生滅 #1

文字数 3,888文字

 10月15日。
 野崎の運転する車で、二人は山梨へと向かっていた。
 時刻は午前10時を少し回っている。
 午前中には目的地に着く予定でいたが——どういうわけだか思うように進めない。
「この先でまた事故渋滞だ」
「参ったな…」
 中央自動車道の下り。二人は途中のサービスエリアに立ち寄った。
 今日は平日だ。
 五十日(ごとうび)の影響もあるのだろうが、それにしてもやたらと事故が頻発している。
「ヤツに邪魔されているのかな…」
「自分から呼んどいて拒絶か?」
 天邪鬼な所はお前と似ているじゃないか、と野崎に嫌味を言われ、宇佐美はムッとした。
 今日から一週間、休暇を取っている野崎だが、こんな事に付き合わせていたら休養の意味がない。それに、離婚に伴う雑務もまだ片付いていないようだし…
 (こんな所でモタモタしている場合じゃないのに)
 宇佐美は、車の外で電話をしている野崎をじっと見つめた。
 休暇中でも現場が気になるのか、白石と何か話している。運転席に戻った野崎に、宇佐美は言った。
「大丈夫ですか?」
 野崎は肩をすくめると、「現場はいいから、ゆっくり休めって言われたよ」と苦笑する。そしてカーナビを見ながら思案した。
「下ルートで行くか…」
「どこ走っても同じ気がする」
 宇佐美はそう呟いた。
「日のあるうちに行動させたくないんだ」
「日暮れを待ってるってこと?」
 宇佐美は頷いた。
「日が暮れてからの山中は危険だな…いくらGPSを使っても、暗闇はマズイ」
 野崎はそう言うと、「ひとまず大月市内を目指そう。最悪、そこで一泊して明朝仕切り直しだ」そう言って車を走らせ、サービスエリアを出た。

 案の定、大月市内に着いたのは午後2時過ぎだった。ここから本来の目的地へ向かうとなると、確実に日が暮れる。二人はやむを得ずビジネスホテルに部屋を取った。
 ツインルーム。予定外の宿泊だが仕方ない。
「やれやれ…何もしてないのに、移動だけで疲れたな」
 そう言ってベッドに倒れこむ野崎を見て、申し訳なさそうに宇佐美は言った。
「ごめん…運転、変われればいいんだけど」
「…」
 もう一つのベッドの片隅に、そっと腰を下ろして背を向ける宇佐美を、野崎は黙って見つめた。
 劣等感という文字が、背中に浮かんで見える。野崎は枕を掴むと、その背に向かって思い切り投げつけた。
「イテッ!——なに?」
 驚いて振り向く宇佐美を見て、野崎は「ははは」笑うと「気にすんなよ。俺が勝手についてきてるだけなんだから」と言った。
「でも…」
「どうせなら温泉宿にでも泊まればよかったなぁ」
 野崎はそう言ってベッドの上で大きく伸びをする。
「せっかくここまで来たんだし…帰りは甲府にでも寄って、温泉浸かって…ほうとうでも食って帰ろうぜ」
「——」
 宇佐美は、呆れるやら驚くやらで言葉もなく野崎を見た。
 この男には緊張感というものがないのだろうか…
 (これから何が起こるか分からないのに)
 ここはすでにヤツのテリトリーで、自分たちは今、敵地の中にいるようなものだ。
 きっとヤツは、自分たちがすぐ近くまで来ていることに気づいている。
 (待っているんだ…)
 その時が来るのを。

 

———


 午後9時過ぎ。
 駅前で夕食を済ませ、二人はホテルの部屋に戻った。ホテルの裏手には川が流れている。
「相模川は山梨に入ると桂川に名前を変える」
 この川を…宇佐美はそう言って、地図を開き川をなぞった。
「もっと上流まで遡る」
「お前の父親の生家か?」
 宇佐美は頷いた。
「すでに廃村になっているけど、どうやら放置されたままみたいで…でも名残ぐらいは残ってるんじゃないかって言ってた」
「死神が生まれた場所か…」
 野崎はそう言ってテーブルの上の缶ビールを開けた。ノンアルコールではない。久々のアルコールだった。
「ヤツは川を流れて移動してたのか?お前たちを追って…」
「人が持つ思念は水や空気に似てる。流動的で流されやすい。特に水は…そういうものを引き寄せやすいんだ。だから水辺の近くには霊が集まりやすい」
「淀んだ水もよくないんだろう?先生もよく言ってた」
 野崎はビールを一口飲むと、宇佐美にも一本勧めた。だが宇佐美は首を振った。
「ヤツの思念は血管を流れる血液みたいに、川に溶けて流れてきた。母や俺は、その思念に無意識に引かれていたんだろうな…川の近くに住むことが多かった。ヤツにしてみたら、俺たちを引き寄せるためだったんだろうけど——結果、関係のない人たちが、その思念に触れて死んでしまった…」
「…」
 もちろん、触れた人間が全員死ぬわけじゃない。条件がそろって、尚且つヤツと波長が合った者だけ…だろう。
「でも、お前のお母さんは気づいていたんじゃないのか?ヤツの姿が見えていたなら、逃げることだってできたんじゃ——」
 宇佐美は、あの日ベランダに立っていた母の姿を思い出していた。傍らにいた黒い影。今ならハッキリと思い出せる。
 あれは、幼い頃に見た父の後ろ姿だ。
「俺を助けるためだったのかも…」
 宇佐美はポツリと呟くように言った。
 あの場から自分を遠ざけ、ヤツと二人きりになって——その後何があったのか。
 自分が死ぬ代わりに、俺は見逃すように懇願したのかもしれない。それとも、もう逃げられないと悟って絶望してしまったのか…
 もし、自分があの場を離れなければ——
 母は今でも生きていただろうか?
 成長するにつれ、父親に似てきた自分を。
 それをいつも不安そうに見ていた母を…

 俺は守ることができただろうか———

 宇佐美は黙り込んだまま、じっと俯いていた。
 つけっぱなしのテレビでは、昔やっていたドラマの再放送が流れている。タイトルは忘れてしまったが、当時の流行歌が流れてきた。
 長い沈黙が続く。
 しばらくして、宇佐美がふと思い出したように呟いた。
「俺…明日、誕生日だ」
 野崎はテレビから宇佐美へ視線を移した。
 急に何を言い出すのかと思えば…
 (祝ってもらいたいのかな?)
 どう切り返してよいか分からず、野崎はとりあえず「そうか…」と頷いた。
「お前もついに40か…もう立派な中年だな」
「そうだな…」
 ほんの少し、口角を上げて笑ったように見えた。
「まぁそう悪くはないさ。男は40からだ」
 我ながら、なんて慰めだと野崎は思ったが、その言葉に宇佐美は頷き「みんなそう言うよ」と言った。
「40になれば40から。50になれば50から…30になった時も同じこと言われた」
「…」
「でも結局なにも変わらない」
 きっとこの先も…なにも変わらず50になって言われるのだ。
 人生50からだと。

「変えようとしなかったからだろう」
「——」
 テレビを見ながらそう呟く野崎の言葉に、宇佐美は視線を向けた。
「もしかして、誰かに変えてもらおうとか思ってない?」
「…」
「宇佐美はさ、今まで自分から本気で何かを変えようと思って動いたことある?人とぶつかって、本音をぶちまけたことは?殴り合いの喧嘩をしたことは?」
 宇佐美は黙っていた。
「他人と本気で関わることを避けて、自分を見せずに上辺だけ。ずっとそうやって生きてきたんだろう」
 そう言って宇佐美を見る。
 その目に、野崎は問いかけた。
「怖いのか?自分を見せるのが」
 だが、相手の返事を待たずに野崎は首を振ると、「いや…そうじゃないな」と言って自戒を込めたように呟いた。
「本当は相手を見るのが怖いんだ…」
 彩子の泣き崩れる姿が、野崎の脳裏をよぎる。
「真実を知るのが一番怖い——」
「…」
 その言葉に、宇佐美の目が一瞬揺らいだ。
 それを見て野崎は確信した。
 そうか…この男の本質は、やはりここにあるんだ、と。
 宇佐美が他人と本気で関わらない理由。
 見なくていいものまで見えてしまう。
 聞きたくない声まで聞こえてしまう。
 知りたくないことも、知ってしまう——
 頑なに人を拒み、一人でいる理由。
「傷つきたくないんだよな…だから自分を必死に守ってる」
「…」
「心を閉ざして関わらない。そうすれば自分も相手も傷つくことないもんな。違う?」
「野崎さん…」
「変わりたいって本気で思うか?」
「——」
「なら一緒に変えていこうぜ。俺も力になるよ」
 宇佐美は黙り込んだ。何かを読み取ろうと、野崎の目をじっと覗き込む。
 網膜を通して何かを見ようとする、あの強い眼差し——
 テレビから懐かしい曲が聞こえてきた。
 これが流行っていたのは、つい最近のような気もするが、はるか昔のことのようにも感じる。
 自分たちもそうだ。ついこの間出会ったばかりなのに。
 なぜだろう…もうずいぶん前から知っていたような気がするのは——

「何か聞こえた?」
「…」
 宇佐美は黙っていた。
「言ってる事と本音が違うじゃないかって、聞こえたんならそう言えよ」
 宇佐美は震えるようにゆっくりと息を吸った。射貫くように、でもどこか慈愛にも似た温かさを感じる。野崎の目は真っすぐ、自分に向けられ揺らぐことはなかった。
 宇佐美の目から、涙が一筋あふれて零れ落ちる。
 それを見て、野崎は言った。
「泣くなよ、バカ」
「…うるさい…」
 宇佐美はそっぽを向き、拳で涙を拭った。
「明日が誕生日なんて、生まれ変わるなら最高のタイミングじゃないか」
「…変われるかな…誕生日が命日になるかも」
「そうならないように祈りたいよ…でも、もし無事に生まれ変わることが出来たら、その時は一緒誕生日祝おうぜ」
 野崎はそう言うと、俯く宇佐美の横顔を優しく見つめた。
「ケーキ買ってさ。ロウソク40本立てよう」
「そんなに刺したらケーキ潰れるよ」
 宇佐美は泣き笑いを浮かべる。
「それもそうか」
 野崎も小さく笑った。

 
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登場人物紹介

野崎祐介【のざきゆうすけ】

45歳。所轄の刑事。階級は警部補。既婚。子供なし。淡々と物事を進めていくタイプ。一見クールに見えるが時に熱くなる一面も。彼のモデルは同年代の頃の竹野内豊。彼の台詞は竹野内で読んでください(笑)

宇佐美尚人【うさみなおと】 

39歳。フリーライター。両親とは死別。独身。霊感があり見えたり聞こえたりする。生い立ちが特殊なため、家庭環境には恵まれず、人に上手く甘えることが出来ないまま大人になった面倒くさい男。見た目9割成功だけど1割の残念な部分で損している可哀そうなイケメン。

神原悟史【かんばらさとし】

69歳。元大学准教授。現在はオカルト雑誌専門の出版社社長兼編集長。鋭い直感力を持っているが、年のためその力は衰え始めている。大学時代の教え子である野崎の捜査協力者として力を貸していたことがあった。少々変わり者。

白石和之【しらいしかずゆき】

45歳。所轄の刑事。階級は巡査部長。野崎とは同期でバディを組んでいる。ゲイ。パートナーと暮らしているが上手くいってないらしい。幽霊苦手。怖い話大嫌い。宇佐美に気がある。

望月【もちづき】

50歳。独身。神原の出版社で働く女性社員、編集者。

神原智子【かんばらともこ】 

63歳。悟史の妻。バレエ講師をしていたことあり。明るく朗らか。子供がいないので野崎や宇佐美を息子のように可愛がっている。料理上手。

小さな影【チイサナカゲ】 ???

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