終章
文字数 2,420文字
淡く揺れるロウソクの炎を見て、宇佐美は気まずそうに俯いた。
「あの…」
「さぁ、一気に吹き消して!」
智子夫人の言葉に、全員の視線が自分に向けられる。宇佐美は困ったように野崎を見た。
「せっかく智子さんが用意してくれたんだから」
ほら消して——と、野崎は意地悪そうに笑う。
「…」
宇佐美は恨めしそうな顔で野崎を睨みつけた。
「歌がないと消しにくいよな。じゃあ歌おうぜ、ハイ!」
白石はそう言うと、「〽ハッピーバースデー トゥ ユー」と、音頭をとって歌いだした。神原夫妻と野崎も一緒になって歌う。
大磯の神原宅で、2週間遅れの宇佐美の誕生日祝いだった。
まさか、本気でやるとは——
目の前には智子夫人の手作りケーキ…に、ロウソクが40本も刺されている。それを見て、宇佐美は嬉しいやら申し訳ないやらで、複雑な気持ちになった。
「〽ハッピーバースデー ディア尚人~ハッピーバースデー トゥ ユー」
皆の期待を込めた視線が自分に集まる。
「——」
仕方なく、宇佐美はロウソクを吹き消した。
キレイに炎が消えて、拍手が起こる。
「40歳おめでとう、ウサギちゃん!」
「おめでとう40歳!」
刑事二人に大袈裟に祝福されて、宇佐美は恥ずかしくなり「もう…やめてくれよ」
下を向いた。
「せっかくのケーキにこんなにロウソク刺して…穴だらけになるじゃないか」
「あら。そんなこと気にしないで」
智子夫人はそう言うと、楽しそうに笑った。
「ケーキにこんなに沢山ロウソクを立てたの初めてよ」と言うと、「そうだ!」と何か閃いたように手を叩き、目をキラキラさせながら言った。
「ねぇ、今度はこの人の古希の誕生日に、70本立ててみない?」
「えぇ!?」
神原は驚いたように目を剥いた。宇佐美と野崎も驚いて肩をすくめる。白石だけは「それ、やりましょう!」と手を打った。
「70本だぞ!?」
「ケーキが崩壊するよ…」
それを聞いて智子夫人は「大丈夫よ。大きいケーキを焼くから」と笑った。
宇佐美と野崎は顔を見合せて笑った。
ロウソクを取り除いたケーキは、案の定ひどい有様だったが、味は申し分ない。
今日の為に、朝からケーキ作りに食事まで用意してくれた智子夫人に、宇佐美は礼を言った。
皿にケーキを取り分けながら、智子夫人は宇佐美を見ると「お礼を言うのは私の方よ」と微笑む。
「誰かのお誕生日を祝うなんて本当に久しぶり」
子供がいれば、子や孫の誕生日を祝うことが出来ただろう。しかし自分たちはそれが叶わなかった。
「とっても楽しいわ。ありがとう」
宇佐美は小さく笑って、ふと野崎を見た。野崎は黙ったまま、ぼんやりとケーキを見つめている。
神原も、そんな野崎を見て言った。
「離婚は成立したのかい?」
「あなた…こんな時にそんな事聞くものじゃないわ」
智子夫人は慌てて夫を窘 めたが、野崎はフッと微笑むと、小さく頷いて言った。
「まぁ…まだ色々あるけど、年明けには落ち着くと思いますよ」
「そうか…」
「——」
宇佐美も白石も、黙って俯く。
しんみりとした空気が漂う——
その空気を、気合で払い除けるように「よし!」と白石は膝を叩くと、野崎の肩に手を回して言った。
「これでお前も独身貴族に返り咲きだな!」
野崎は思わず笑った。
「今時そんな言い方する?」
「昭和のオッサンが気取るなよ。なぁウサギちゃん?」
「その呼び方やめてもらえます?」
冷静な宇佐美の返しに、白石は「可愛いの顔だけだな…」とボヤいた。
「でも心の観葉植物なんだろう?」
野崎に言われて、白石は意味深な笑みを浮かべた。
神原は、しばらく黙ったままその様子を見ていた。
そして言う。
「どうやら、落ち着くべき所に落ち着きそうだな——」
三人は互いに顔を見合わせた。
正直なところ、真の解決には至っていない。幽霊の正体は判明したが、ヤツがこの世から消えてなくなったわけではないからだ。
いつか…
もしかしたら再び、ヤツが姿を現して自分たちを連れていこうとするかもしれない。
でも、退ける手段を知っていれば——恐れることはないのだ。
野崎は、不安そうに自分を見る宇佐美に優しく笑いかけた。その眼差しに、宇佐美も笑って答える。
二人の間に流れる空気を感じて、神原は言った。
「なんだか…良い雰囲気だねぇ」
その言葉に智子夫人も頷く。
「そうね…この間より穏やかだわ」
「そうですか?いつもと変わらないと思うけど」
白石はそう嘯いた。
「二人っきりでお祝いした方が良かったんじゃないかしら?」
「我々はお邪魔だったかな?」
「二人っきり!?ダメですよ、そんなの」
白石は慌てて首を振ると、「おい野崎」と顔を近づけて言った。
「お前、宇佐美 の事好きなの?」
「はぁ?」
野崎は呆れたように言った。
「何言ってんだよ…そんなわけないだろう」
「本当かい?」
「正直に言っていいのよ。今は恥ずかしいことじゃないんだから」
神原夫妻も同調してくる。宇佐美は黙っていた。
「ちょっと待って——変な誤解しないで下さい。俺は別に」
「怪しいとは思ってたんだ…山梨から帰ってきてからさ。なんか二人の態度がいつもと違うんだよなぁ…」
「お前なぁ——」と、野崎は怒ったように白石を指さす。
「適当なこと言うなよ」
「心の観葉植物だと思ってたのは俺だけじゃなくて、お前もそうだったんじゃないの?」
「違う!」
ムキになる野崎に、神原は笑うと「しばらく二人きりにしてあげよう」と席を立った。
「そうね」
と、智子夫人も笑いながら立ち上がる。白石も不承不承頷くと、「これだから、ノンケは怖い」と立ち上がる。
「おい、ちょっと!」
待って——と、野崎も慌てて立ち上がると、部屋を出ていこうとする三人の前に立ち塞がって言った。
「変な気を使わないで下さい!俺にはそんな感情一切ないから!」
———…
一瞬の間の後。
神原がゆっくりと宇佐美の方を振り返り、聞いた。
「今のは彼の本音かい?」
左の口角をやや上げて、宇佐美は答えた。
「たぶん、ね」
【完】
「あの…」
「さぁ、一気に吹き消して!」
智子夫人の言葉に、全員の視線が自分に向けられる。宇佐美は困ったように野崎を見た。
「せっかく智子さんが用意してくれたんだから」
ほら消して——と、野崎は意地悪そうに笑う。
「…」
宇佐美は恨めしそうな顔で野崎を睨みつけた。
「歌がないと消しにくいよな。じゃあ歌おうぜ、ハイ!」
白石はそう言うと、「〽ハッピーバースデー トゥ ユー」と、音頭をとって歌いだした。神原夫妻と野崎も一緒になって歌う。
大磯の神原宅で、2週間遅れの宇佐美の誕生日祝いだった。
まさか、本気でやるとは——
目の前には智子夫人の手作りケーキ…に、ロウソクが40本も刺されている。それを見て、宇佐美は嬉しいやら申し訳ないやらで、複雑な気持ちになった。
「〽ハッピーバースデー ディア尚人~ハッピーバースデー トゥ ユー」
皆の期待を込めた視線が自分に集まる。
「——」
仕方なく、宇佐美はロウソクを吹き消した。
キレイに炎が消えて、拍手が起こる。
「40歳おめでとう、ウサギちゃん!」
「おめでとう40歳!」
刑事二人に大袈裟に祝福されて、宇佐美は恥ずかしくなり「もう…やめてくれよ」
下を向いた。
「せっかくのケーキにこんなにロウソク刺して…穴だらけになるじゃないか」
「あら。そんなこと気にしないで」
智子夫人はそう言うと、楽しそうに笑った。
「ケーキにこんなに沢山ロウソクを立てたの初めてよ」と言うと、「そうだ!」と何か閃いたように手を叩き、目をキラキラさせながら言った。
「ねぇ、今度はこの人の古希の誕生日に、70本立ててみない?」
「えぇ!?」
神原は驚いたように目を剥いた。宇佐美と野崎も驚いて肩をすくめる。白石だけは「それ、やりましょう!」と手を打った。
「70本だぞ!?」
「ケーキが崩壊するよ…」
それを聞いて智子夫人は「大丈夫よ。大きいケーキを焼くから」と笑った。
宇佐美と野崎は顔を見合せて笑った。
ロウソクを取り除いたケーキは、案の定ひどい有様だったが、味は申し分ない。
今日の為に、朝からケーキ作りに食事まで用意してくれた智子夫人に、宇佐美は礼を言った。
皿にケーキを取り分けながら、智子夫人は宇佐美を見ると「お礼を言うのは私の方よ」と微笑む。
「誰かのお誕生日を祝うなんて本当に久しぶり」
子供がいれば、子や孫の誕生日を祝うことが出来ただろう。しかし自分たちはそれが叶わなかった。
「とっても楽しいわ。ありがとう」
宇佐美は小さく笑って、ふと野崎を見た。野崎は黙ったまま、ぼんやりとケーキを見つめている。
神原も、そんな野崎を見て言った。
「離婚は成立したのかい?」
「あなた…こんな時にそんな事聞くものじゃないわ」
智子夫人は慌てて夫を
「まぁ…まだ色々あるけど、年明けには落ち着くと思いますよ」
「そうか…」
「——」
宇佐美も白石も、黙って俯く。
しんみりとした空気が漂う——
その空気を、気合で払い除けるように「よし!」と白石は膝を叩くと、野崎の肩に手を回して言った。
「これでお前も独身貴族に返り咲きだな!」
野崎は思わず笑った。
「今時そんな言い方する?」
「昭和のオッサンが気取るなよ。なぁウサギちゃん?」
「その呼び方やめてもらえます?」
冷静な宇佐美の返しに、白石は「可愛いの顔だけだな…」とボヤいた。
「でも心の観葉植物なんだろう?」
野崎に言われて、白石は意味深な笑みを浮かべた。
神原は、しばらく黙ったままその様子を見ていた。
そして言う。
「どうやら、落ち着くべき所に落ち着きそうだな——」
三人は互いに顔を見合わせた。
正直なところ、真の解決には至っていない。幽霊の正体は判明したが、ヤツがこの世から消えてなくなったわけではないからだ。
いつか…
もしかしたら再び、ヤツが姿を現して自分たちを連れていこうとするかもしれない。
でも、退ける手段を知っていれば——恐れることはないのだ。
野崎は、不安そうに自分を見る宇佐美に優しく笑いかけた。その眼差しに、宇佐美も笑って答える。
二人の間に流れる空気を感じて、神原は言った。
「なんだか…良い雰囲気だねぇ」
その言葉に智子夫人も頷く。
「そうね…この間より穏やかだわ」
「そうですか?いつもと変わらないと思うけど」
白石はそう嘯いた。
「二人っきりでお祝いした方が良かったんじゃないかしら?」
「我々はお邪魔だったかな?」
「二人っきり!?ダメですよ、そんなの」
白石は慌てて首を振ると、「おい野崎」と顔を近づけて言った。
「お前、
「はぁ?」
野崎は呆れたように言った。
「何言ってんだよ…そんなわけないだろう」
「本当かい?」
「正直に言っていいのよ。今は恥ずかしいことじゃないんだから」
神原夫妻も同調してくる。宇佐美は黙っていた。
「ちょっと待って——変な誤解しないで下さい。俺は別に」
「怪しいとは思ってたんだ…山梨から帰ってきてからさ。なんか二人の態度がいつもと違うんだよなぁ…」
「お前なぁ——」と、野崎は怒ったように白石を指さす。
「適当なこと言うなよ」
「心の観葉植物だと思ってたのは俺だけじゃなくて、お前もそうだったんじゃないの?」
「違う!」
ムキになる野崎に、神原は笑うと「しばらく二人きりにしてあげよう」と席を立った。
「そうね」
と、智子夫人も笑いながら立ち上がる。白石も不承不承頷くと、「これだから、ノンケは怖い」と立ち上がる。
「おい、ちょっと!」
待って——と、野崎も慌てて立ち上がると、部屋を出ていこうとする三人の前に立ち塞がって言った。
「変な気を使わないで下さい!俺にはそんな感情一切ないから!」
———…
一瞬の間の後。
神原がゆっくりと宇佐美の方を振り返り、聞いた。
「今のは彼の本音かい?」
左の口角をやや上げて、宇佐美は答えた。
「たぶん、ね」
【完】