第1話 損なコインに騙されて

文字数 4,081文字

「キットコイン、知ってるわよね?」
 白いコートに赤縁のメガネ。
 たくましいと言ってよいのか、ふくよかと言ってよいのかわからない。
 そんな日本人女性が、相談センターに現れました。
 私が相談カウンターに到着するなり、女性は早口でまくしたてました。
「フィリピンの仮想通貨の、キットコイン。あ、あなたは、わからなくてもいいわ。その辺のフィリピン人に聞いてみて」
 なぜ、自分で聞かないのだろう。
 私は、苛立ちを抑えつつ、バックヤードにいるフィリピン人スタッフのユミさんに尋ねてみました。
「聞いたことないですねえ」
 ユミさんは首を傾げました。
 相談カウンターに戻り、女性にそのコインを知るフィリピン人スタッフがいないことを告げました。
「日比友好プロジェクトなのに? 知らないの?」
 女性は睨みつけました。そして、片手を額に当てると軽く頭を左右に揺らしました。
「日本からフィリピンの家族へ送金ををするフィリピン人のため、私たち日本人が、彼ら彼女たちの送金手数料を負担しようっていう、日本とフィリピンの友好プロジェクト。それを知らないなんて。これだから、フィリピン人は……」
 女性は「はあーっ」と大きくため息をつきました。
「その仮想通貨のこと、もう少し、詳しく教えていただけませんか?」
 私の言葉に、女性はすぐに目を細めました。
「あのね、日本の銀行ってひどいのよ」
 女性は急に語気を強めました。
「貧しい国から出稼ぎに日本に来たフィリピンの人から、送金手数料をぼったくってんのよ!」
「ぼ、ぼったくり?」
 私の驚いた表情を見て、女性は、うんうんと頷きました。力強い目で私を捉えると、話を続けました。
「そう。フィリピンの人は、一万円送りたいのに、手数料のせいで8,000円しか送れないんだって。かわいそうでしょう? 貧しい国から来て、必死で働いたお金を家族に送るだけなのに、日本の銀行は、お金取るのよ! ひどいと思わない?」
 女性は、ぐぐっと私に顔を近づけ、前のめりになりました。が、胸よりも張りだしたお腹がカウンターに当たるのが気になるようで、すぐに元の姿勢に戻りました。
「タカルさんっていう人が、フィリピンの貧困解消に貢献しようってSNSで発信してるの。貧しいフィリピン人がたくさんお金を送ってあげられるように、我々が送金手数料を払ってあげようって。こっちにいるフィリピン人がフィリピンにたくさんお金を送れば、フィリピンにいる貧しい家族が喜ぶじゃない?」
 自信に満ち溢れた目から一転、女性の表情が曇りました。
「貧しい国の人たちを助けてあげようと思って、この間、お金を少し、送ったの。でも、事務局からお金払いましたかって、LINEが来て……」
 女性は軽く息を吐きました。
「お金はシヌガリンさんの銀行口座に振り込んであるから確認してって返事したら、それきり、連絡が取れなくなって……」
 あちゃー。
 こりゃ、騙されてる可能性、高いですな。
「すみません。先ほどの、シヌ……なんとかさんは、事務局の方じゃないんですか?」
 私は片手を挙げて、女性に尋ねました。
「あ、シヌガリンさん? タカルさんの秘書。事務局の人じゃないの。タカルさんが呼びかけてる貧困解消プロジェクトは期間限定だから、振込先はシヌガリンさん名義の口座にしてるんだって」
「事務局は、どちらにあるんですか?」
「えー……と。サイトにあったんだけど。無くなっちゃったんだよね」
「事務局が、ですか?」
「ううん。サイトが。貧困解消プロジェクトって、フィリピン政府公認のプロジェクトだっていうから、お金、送ったのに」
 シヌガリンさんの口座にお金を振り込むと、事務局からキットコインが貰えるそうです。株式のように売買ができるキットコインを買うことで、フィリピン経済を支えながら自身の資産を増やすことができるのだと、女性は鼻息荒く私に説明してくれました。
「タカルさんって、どういう方なんですか?」
 私は質問を変えました。
「確か、日本とフィリピンでアイドルグループのプロデュースをしてるって、話だったかな」
 女性の答えに、私は興味を持ちました。
「日本のアイドルグループって、アルファベットで3文字のグループですか?」
「……」
「坂の文字がつくところ、ですか? それとも、娘の文字の方?」
「……組、の漢字」
「あー! ひらがなプラス組、のアイドルグループですね!」
「いや……。全部、漢字」
「え?」
「漢字3文字の……タジマ組」
 それって、ヘルメットがよく似合う人がたくさんいる、公共事業請け負ってる会社では?
「お客様。タカルさんやシヌガリンさんに会ったことは?」
 私は気を取り直して、質問を続けました。
「直接は、ない。SNSで……」
「それは、オンラインで開催されるセミナーみたいなイベント、ということですか?」
「SNSの投稿で、写真見ただけ。その投稿も、削除されちゃったみたい」
 女性は「はぁーあ」と大きく息を吐きました。
「貧しいフィリピンの人のために、キットコイン買ったのに」
 女性は自身のお腹ぐらいの大きさの白いバッグをカウンターに置くと、その上に覆いかぶさるように体を預けました。
「お客様がお金を送ったことが証明できそうなものは、ありますか?」
 私が質問すると、女性はゆっくりと体を起こし、白いバッグに両手を入れました。
「今持ってるの、これだけ」
 女性は、私にスマートフォンの画面を見せました。
 事務局とのLINEのやり取りのスクリーンショットでした。
「この、ペラペラっていうのが、事務局、ですか?」
 私は画面の「PERA-PERA」の文字を指差しました。
「あー。そうかも」
 不愛想に女性は答えました。
「警察でも税務署でもコレ、見せたんだけど。どっちも、個人間でメッセージのやり取りして、第三者だけど個人の口座に送金しただけだから、詐欺にあったとは断言するのは難しいって、言われちゃったんだよねー」
 私は、画面を見ながら女性に言いました。
「このやり取りだと、あなたがキットコインを買うことも、いつ、いくら、送金したかも、書いてませんね。さらに、先方は、お金を受け取ったとは、一言も書いてません。これはあくまでも想像、ですが。先方は、あなたがお金を送っていないのに送金したと嘘ついていると、警察に相談する可能性があります」
 私がそう答えると、女性は慌てたようにスマートフォンの画面を見ました。
「でも!」
 女性は、うわずった声をあげました。
「私の通帳見せたら、私がちゃんとお金を送ったこと、証明できるでしょう?」
 女性の目は怒りに満ちているように感じました。
「そうですね」
 私は落ち着いた声で答えました。そして、女性の目に語り掛けるように話を続けました。
「でも、そのお金は、キットコインという仮想通貨を買うためだと、証明できるものは、LINEのやり取りには、ないんですよ」
 女性は、ゆっくりと、スマートフォンを持った手を下ろしました。そして、目を閉じました。
「やっぱ、騙された……。悔しい。なんちゃらコインなんていらないから、200万……返して、ほしい」
 ええーっ!
 に、200万円っ!
 送ったお金、少しじゃないでしょう!
「税務署に相談されたと、おっしゃってましたね?」
 私は、動揺を隠しながら女性に尋ねました。
「仮想通貨を買ったら、控除があるって噂を聞いて。実際に仮想通貨持ってないけど、買ったことを証明したら、控除受けられるかなぁって」
「でも、税務署はダメだと……」
「そう! 税務署から、200万盗まれたと、警察で被害届を出したらどうかって、言われた!」
 女性は片手で軽く拳を作ると、軽くカウンターを叩きました。
「個人の口座に、送金した事実がある以上、警察が盗難と認定するのは難しいですね」
 私は、女性が手にしているスマートフォンを見ながら言いました。
「ね、これって、振り込み詐欺にならない?」
「それを決めるのは、警察です」
 それを相談しに、警察へ行ったんじゃないの?
 女性は頭を抱えました。
「もう、なんでもいいから、200万、返ってくる方法、ないのっ?」
 女性の金切り声が、相談センターに響きました。
「悔しいですよね。わかりますよ」
 私は静かに答えました。
「取り返したいですよね。200万」
「……うん」
「大統領に、直訴しましょう」
「はあ?」
 女性は、軽蔑の眼差しを私に送りました。
「日比友好の国家プロジェクトを利用してお金を騙し取る悪い人がいることを、フィリピンの大統領に知ってもらいましょう!」
「大統領に言っても、ムダでしょ」
「フィリピン経済を盛り上げようとしている日本人の心を踏みにじる悪い日本人と、それを助けるフィリピン人がいることを、フィリピンの大統領は、放っておくはずがありません!」
「……」
「フィリピンの大統領は、正義の人だそうです」
「え?」
「フィリピンの大統領は、自分宛のメッセージは全て、目を通しているという噂です」
「……そうなの?」
「大統領にメールを送りましょう! 直訴しましょう!」
「じ、じき……そ」
 女性の声は震えてました。
「で、でも、さ。大統領にメールって、ガチすぎない? それに、大統領、日本語わかんの?」
「大統領は、日本語はわかりません。メールは英語で送るんです」
「それじゃ、意味ないじゃん!」
 女性は声を荒げました。
 私は、女性の吊り上がった目をじっと見つめました。ぐっと声のボリュームを落とし、ゆっくりとした口調で女性に質問しました。
「英語ができない。そんな理由で、200万、諦めますか?」
 女性は、しばらくの間、私の目をじっと見つめてました。
 かすかに、女性の口が動きました。
「諦めませんっ!」
 私は女性の目をしっかりと見た後、軽く頷きました。
「大統領宛の文章を日本語で作ってください。こちらで英語に翻訳します。ただし、午前中に持ってきてください。あなただけ、特別ですよ。時間も料金も。その時に、大統領宛のメールアドレス、お教えします」
 女性は私に深々と頭を下げると、軽い足取りで相談センターを出て行きました。
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