第4話 フィリピン人は嘘つき?

文字数 4,842文字

 守衛さんから内線が入りました。
「日本人と日本語で話したいっていう女性がいます。来てもらっていいですか?」
 守衛さんが声を押し殺して話しているような感じがしました。私は短く返事をすると、すぐに、守衛さんがいる相談センターの玄関に向かいました。
「お待たせしました」
 玄関に到着したとたん、私の正面にいる小柄な女性と目が合いました。女性は、大きく目を開いて私を見ていました。
「日本人と日本語で話したいというお客様は?」
 私は、守衛さんに尋ねました。守衛さんが示す手の先には、私を見ていた女性の姿が。
「お客様」
 私が呼びかけると、突然、女性は大きな声でしゃべり始めました。
「すみません。日本人スタッフが来たんですから、日本語で話してもらってもいいですか?」
 守衛さんが女性に話すと、その場にいた他のお客様がドッと笑いました。
 女性は、私に向かって日本語でも英語でもなく、タガログ語を話していたのです。
「そのオバサン、おたくのスタッフに、自分は日本人だから日本語しかわからないって、片言の日本語で言ってたんだよね」
 男性のお客様が私に教えてくれました。
「そう……だったんですか」
 私は男性のお客様に答えた後、タガログ語で言い合いしている守衛さんと女性へと、目を向けました。
「うちのカミさんの話だと、そのオバサン、予約してないのに、中に入ろうとしてたから、男性に予約してない人は入れませんよって、フィリピンの言葉で言われたらしいよ。でも、オバサンは、日本人だから日本語しかわかんないって言ってさ。で、男性が日本語で、予約しないとダメですよって言ったらさ、オバサン、フィリピン人は予約ないと入れないけど、自分は日本人だから、予約なしでオッケー、みたいなこと言ってた。それなら、オレ入れるなって、カミさんに言ったんだ」
 女性が私を指差し、守衛さんにタガログ語で怒鳴りました。
「あれは、日本人じゃない! アタシは日本人だから、アンタの嘘はすぐわかる!」
 日本人じゃないのは、どっちだ。
 私は心の中でつぶやきながら、興奮している女性のところへ行きました。
「日本人でも、日本人じゃなくても、予約のない方は、中に入れませーん!」

 数日後。
 電話対応を終え、バックルームで一息入れていると、フィリピン人スタッフのユミさんが、私のところに来ました。そして、胸の前で両手を合わせました。
「たーこさん、ほんっとに申し訳ないんですけど!」
 ユミさんは、両手を合わせたまま窓口の方を振り返りました。再び、私の顔を見ると、ため息をつきました。
「どこからどう見てもフィリピン人のお客様が、自分は日本人だから、日本人スタッフと話がしたいって」
「日本語しか話せないフィリピン人、ということ……?」
 私の言葉に、ユミさんは肩をすくめました。
「では、ないと思います」
 ユミさんは肩をすくめたまま、両手を広げました。
「私が日本語で話しても、あなたの日本語はわからない、日本人を出してって言われました。タガログ語で」
「え? タガログ語で? ……ですか?」
 私の驚く顔を確認すると、ユミさんはゆっくりと頷きました。

「あ、こっち、こっち!」
 少し離れた窓口で、私に向かって大きく手を振る女性がいました。
 知り合いなのかと思って、女性の顔を注意深く見たら、数日前に、私を指差して「日本人じゃない」と叫んだ女性でした。
「待って。ダンナさん来るダカラ」
 私よりもふくよかなフィリピン人女性は、大きな声でそう言うと、辺りをキョロキョロと見回しました。
 私は、女性の旦那さんがどこから来るのだろうかと、正面の出入り口やお手洗いの方を見ていました。
 突然、女性が私を手招きしました。私が女性の方に顔を寄せると、女性は声を潜めて言いました。
「オネーサン、毎日毎日、フィリピン人と、いっぱいいっぱい話して、嫌でしょ? アタシも、日本人。よくわかる」
 声が小さかったので、すぐに、女性の言葉が理解できませんでした。
「大変ですが、やりがいのある仕事ですよ」
 私は、明るい声で女性に答えました。
「アタシね、フィリピン人、信じない。だって、いっつもウソウソ、チスミス、ばっかり。でしょ?」
 時折、フィリピンの話し方を交えて話す女性。日本語のアクセントも、フィリピン風なのですが、本人は、日本人だと主張しました。
「オネーサン、さっきの女も、信じちゃ、ダメ」
「え?」
 女性は、私の背後、バックルームのある方角を指しました。
「サキ、アタシと話した、フィリピンの女。あの子、嘘つき。あの目、嘘つきの目。アタシ、わかるよ。日本長いダカラ」
 私は、女性へあからさまに不快な表情を作って見せました。女性は、私の顔を気にすることなく言葉を続けました。
「アタシ、フィリピン人、大っ嫌い! フィリピン人、ホント、嘘つき、いっぱい!」
 正面の出入り口から、細身の男性が入ってきました。そして、私たちのいる窓口に到着すると、軽く頭を下げました。
「すみません。会社から電話が入っちゃって。休みを取ってるから、仕事の電話には出たくなかったんですけど、緊急って言われちゃうと断れなくて」
 男性は申し訳なさそうな顔で、私に何度も頭を下げました。
「それでね、オネーサンっ!」
 ふくよかな体が男性の体を横へ押しのけました。
「この前、アタシたち、ケコンしました。それで、ターシカン行って、ショメイショもらおうとしたの。そしたらね、日本語話すバカなフィリピンの女が、アタシがフィリピンでリコンじゃないダカラ、ダメだって言ったの。おかしいよね。アタシたち、ちゃんと、ケコンしたのに。ショメイショ、ダメって」
 女性の話を聞きながら、私は男性の方を見ました。女性から少し離れたところで、男性は目を閉じて女性の話を聞いてました。
「ターシカンの人、いーかげんっ! もう、アッタマ、くる!」
 女性の声は徐々に大きくなっていきました。
「すみません」
 私は軽く片手を挙げ、女性の話を止めました。
「ターシカンって、フィリピン大使館のことですか?」
「はあ?」
 私に質問に、女性の顔が膨張したようでした。
「オネーサン、日本人でしょ? ナニ? 日本語、わからないか? ターシカンのバカ女とイショか?」
 女性は大きな声で笑いました。そして、身を乗り出すように、カウンターに肘をつきました。
「どうして、フィリピン大使館へ行ったんですか? お客様、お二人とも、日本人ですよね?」
 男性が、パッと目を開きました。
 女性の笑い声が止まりました。カウンターに肘を付けたまま、動かなくなりました。
「あ、そ……、それは」
「お客様。先ほど、私に、自分は日本人だと、おっしゃいましたよね?」
「……」
 男性は何も言わず、女性をじっと見ました。
 私と目を合わせようとしない女性に向かって言いました。
「日本人だとお話された方が、どうして、フィリピン大使館へ行ったんですか?」
 女性は、目を上下左右に動かすだけで、何も言いません。
 男性が、女性の顔を覗き込みました。
「イカウ、フィリピーナだから、エンバシー、行ったんだよね?」
 男性は小さな声で女性に言いました。
「ア、アタシ。う、生まれたのは、フィリピーン。でも、もう、アチに、ファミリーいないし、日本、長いダカラ、タガーログ、忘れちゃったなー」
 女性は、男性とも目を合わせずに、上ずった声で答えました。
「英語もですか?」
 私の言葉に、女性の目が大きくなったのを、私は見逃しませんでした。
「英語はフィリピンの公用語ですよ」
 私と目を合わそうとしない女性に、私は言葉を続けました。
 女性は小刻みに体を震わせながら答えました。
「に、日本はさ、ホラ、エゴ、使わないじゃん? それにアタシ、マニラじゃなくて、セブだから。エゴ使わないの」
 女性は、体の震えに合わせるかのように小さく笑いました。
「イカウのプロビンス、ブラカン、ディバ?」
 女性の背後から放たれた男性の言葉に、女性は突然、背筋を伸ばしました。
「あーっ! オネーサン、アタシ、これから、ベゴシのセンセのとこ、行かなきゃダカラ!」
 女性は、私とも男性とも目を合わせることなく、足早に相談センターを出ていきました。
 男性が首をかしげながら、カウンターへ近づいてきました。
「彼女、フィリピン人ですよ」
「そう……、ですよね」
 私は男性に微笑みながら答えました。
「なんで、あんな嘘、ついちゃったんだろ?」
 男性は、あごの辺りを軽く触りながら言いました。
「先ほど、フィリピン人は嘘をつくから信用していないと、お話されてました」
 私が答えると、男性は小さな声で驚きました。
「そんなこと、言ってたんですか?」
「実は、先日も、相談センターに来られまして。私が話しかけようとしたら、あの方は守衛に、あの子は日本人じゃない、自分は日本人だから、あなたが嘘ついてることぐらいわかってるって言ったんですよ」
「なんじゃそりゃ!」
 男性は片手で口を押さえながら笑いました。
「先ほど、彼女が言った通り、僕たち、先月、結婚したんですよ。といっても、籍をいれただけですけどね。それで、彼女が、ビザの手続きに、僕の戸籍謄本だけじゃなく、フィリピンの結婚証明書も必要だって言うんで、先週、大使館で結婚証明書を作りに行ったんですよ。そしたら、彼女がフィリピンで離婚していないから受付できませんよって、日本語の上手なフィリピンの人に言われたんです。その人、とっても丁寧に説明してくれましてね。日本で離婚しても、フィリピンの裁判所で離婚の手続きをしないと、フィリピンでは離婚したと認めてくれない。フィリピンで結婚証明書を作るには、フィリピンの国で離婚してないとダメですよって。……そりゃ、そうですよね。フィリピンの国の証明書を作るんだから、日本で離婚しても、フィリピンで離婚してないと、ダメですよね。僕は納得したんですけど、彼女は、日本での離婚が1回なら、結婚の証明書ができるはずだって、言い張っちゃって……。僕に説明してくれた大使館の人と、大喧嘩になっちゃったんですよ」
 男性は、軽く息を吐きました。
「彼女、焦ってるんです。もうすぐ、ビザが切れちゃうから。前のご主人がいい人で、離婚の原因が彼女なのに、離婚しても、彼女のビザはキャンセルしなかったんですよ」
 離婚の原因は、あのフィリピン人女性?
 この男性は、もしかして、女性の離婚の原因となった人?
 私は、そんな疑問を心に抱きながら、男性の話を聞きました。
「この結婚がビザの為だってこと、わかってるんです。彼女、パチンコが好きでね。あ、これは、彼女の弁護士から聞いた話なんですけど。3年ぐらい前に、あちこちからお金を借りまくって、危ないところからも、金、借りちゃったんですよ。で、気が付いたら、一人じゃ返せなくなっちゃって。ご主人に相談したら、金は返すから別れようって言われて、離婚したって話です。ご主人が子供の親権も養育権も持ったって、彼女の弁護士から聞きました。子供の親権だけでも取り戻すには、経済力をつけなきゃダメだって弁護士に言われて、彼女、去年から働いているんですけど。いろいろと問題が起こして、どこも長続きしなかったみたいです。半年前から、僕の店で働いてます。彼女は僕に、好きだから、結婚するんだって言ってましたけど、本当に好きなのは、僕が持ってるお金、なんですよ」
 男性は時折、笑みを浮かべながら話しました。それが、私には不自然のように感じました。
「いいんですか?」
「え? 何がですか?」
 男性は私に微笑みました。
「お金目当てだとわかって、結婚したんですよね?」
 男性は表情を崩すことなく、私を見ました。
「まあ、そうですけど。……僕、フィリピンの人、嫌いじゃないし」
 男性は自分のあごを軽くなでました。
「ああ見えて、彼女、結構、使い道があるんですよ」
 男性の言葉の意味を考えている間に、男性は相談センターを出て行ってしまいました。
 
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