第10話 純情、愛情、過剰に援助?

文字数 3,747文字

 相談センターでは、メールによる相談も受け付けています。
 「回答をお急ぎの方は、業務時間内にお電話を」という案内をウエブサイトやフライヤーに入れているのですが、「至急、連絡ください」「これは緊急です」とメールを送る人がいます。
 金曜の業務時間後に「明日、午前9時のフライトに乗るので、それまでに回答をお願いします」というメールが送られていたことがありました。月曜日の朝にこのメールを見つけたときは、ため息が出ました。ちなみに、質問は「フィリピンの空港に日本語が話せる人はいるかどうか」でした。

「メールを送ったけど、返事がなかったんでね」
 電話をかけてきた男性の声は怒っているようでした。
「緊急の案件だって、メールのタイトルに入れるんだよ。スピード感を持って対応してくれないと困るじゃないか!」
 男性に、メールによる緊急の相談は受け付けていないと説明しても、納得していただけませんでした。
「どういう内容のメールを送られたんですか?」
 私は男性に質問しました。
「緊急かつ重要な相談」
 耳が痛くなるほどの大きな声で、男性は答えました。
「その、緊急かつ重要なご相談の内容を、教えてください」
 受話器を少し離して、私は男性に尋ねました。すぐに、男性が話し始めました。
「私の愛する人がフィリピンにいます。もちろん、フィリピンの女性です。彼女は世界で感染症が流行っていた頃に、ガンの手術を受けました。私……心配で、今すぐにでも彼女のところに行きたかったんですよ。でも、入国制限が厳しくて会えなかったんです。だから、彼女が安心して治療を受けられるように、日本からお金を送ってました。入国制限が無くなってから、彼女に会いに行こうとしたんだけど、彼女、入退院を繰り返すほど体調がよくないみたいでね。会いたいってメッセージを送ると、今、入院してるとか、具合が悪くて医者に相談したら、すぐに入院するように言われた、なんてメッセージが返ってくることが何度もありました。1日でも早く元気になってもらいたいから、フィリピンへ行くことは諦めて、彼女にお金を送ってました。最近、彼女から連絡がありました。頭痛が激しいから検査してもらったら、頭のガンだった……と」
 受話器から男性の声がピタリと止みました。私は内心、ホッとしました。
「ご心配ですね。すぐにでも、フィリピンへ行った方が」
 私の言葉を遮るように、男性が話を続けました。
「言いましたよ。チケットが取れ次第、フィリピンへ行くって。でも、彼女は、私にすごく気を遣ってくれてね。私は大丈夫だから、日本でお仕事、頑張ってって、言うんですよ」
 私は男性の話を聞きながら、「緊急かつ重要な相談」とはなんだろうかと、考えていました。
 男性の話は続きます。
「私は、愛する人のために、ずっと、生活費を送っています。彼女が病気になってからは、治療費も送っています。彼女には、1日も早く元気になってもらいたい。そのためには、最高の医療を受けさせてあげたいんです」
 男性の声は少し弱くなりました。
「これまでずっと、自分の生活費を切り詰めて、彼女に送金してきました。今、日本全体が苦しいでしょう? 私の生活、ギリギリなんですよ。彼女の命を救いたいけど、自分の命が先に無くなっちゃいそうで……」
 自分の身を削ってまで彼女を支えている男性に、どう返事してよいものか。私は悩みました。
「フィリピンの国は、何をやってんのかね? 私に高い医療費を払わせておいて、貧しくても生きようとしてる彼女に、国は何一つ助けてやらないなんて、おかしいと思わない?」
 男性の言葉に、私は思わず「えっ」と声をあげてしまいました。
「フィリピンには、えっと、日本の生活保護みたいなものはないんですかね?」
 私は受話器を持っている手を変えました。
「お客様。どうして、フィリピン政府は彼女を助けないのかとおっしゃってますが、本当は、なぜ、自分が彼女に送金しなくちゃならないのかって、思っていませんか?」
 男性は小さく驚くと、しばらく黙ってしまいました。
「お客様、いくつか質問させてください」
 私は質問を始めました。
「彼女さんとのお付き合いは長いんですか? これまで送金した金額はどれくらいですか?」
 男性はか細い声で答えました。
「彼女とは……15年ぐらい。いや、お金を送るようになったのが、15年ぐらい前からだから。知り合ったのは、それよりもっと前です」
 受話器から男性のため息が漏れました。
「最初は、クリスマスとか、誕生日とか、プレゼント代わりにお金を送ってました。年に2回か、3回でしたよ。段々、彼女の生活を知っていくうちに、これは、自分が支えてあげなきゃって思うようなって、毎月、1万ずつ送ってました。彼女がガンになったとわかってからは、5万だったり、10万だったり……。15年でいくら送ったかって聞かれても、すぐに答えられません」
 男性の声が笑っているように聞こえました。が、その声は決して明るくなく、泣くのを答えているようにも聞こえました。
「女性からお金を送ってほしいと言われて送っていたんですか? それとも、お客様ご自身の判断ですか?」
「私……です」
「5万円や10万円を送ったのも、お客様の判断で、ということですか?」
「はい。彼女を日本に呼んで、こっちで治療を受けさたいと思ったことがありました。でも、保険の外交してる友達に聞いたら、1回の治療に何百万とかかることもあると聞いて……。だったら、こっちから、5万でも、10万でも送ってやった方が……」
「彼女から、5万円送ってほしいと頼まれて送ったことは、ないんですか?」
「ないですねえ……。彼女から、たくさん送ってくれてありがとう、これでいい治療が受けられるって喜ばれました」
 私は、ずっと気になっていたことを思い切って男性に尋ねてみることにしました。
「女性は今、どこの病院に入院されているんですか?」
「フィリピンですよ」
 男性は、即答しました。
「フィリピンの、どこにある病院ですか?」
「えっ……。マ、マニラですよ。マニラ」
「マニラとは、メトロマニラのことですか? それとも、マニラ市のことですか?」
「あ、あなたねっ。さっきから、なんなんだよ。失礼にもほどがあるっ! 私がマニラって言ってるんだから、マニラなんだよ! マニラにある病院に、彼女は入院してるんだっ!」
 男性が声を荒げました。
「愛する人がどこの病院に入院しているのか、どんな治療を受けているのかもわからずに、大金を送り続けていたんですね」
 私の落ち着いた声が、カッとなった男性を冷やしたようです。
「あっ……。ええ、そう、そうですね」
 返事をした男性の声に、力強さは感じられなくなりました。
「病と闘う姿を好きな人に見られたくないから、お客様に会いたくないと女性が考えているかもしれません。いつだって、綺麗な自分を見せたいですからね。そういう気持ち、理解できます。心配をかけたくないから、入院先を教えたくないという気持ちがあるのも、わかります。でも」
 私は、言葉に力を込めました。
「女性は、今までたくさん治療費を受け取っておきながら、どこの病院でどんな治療を受けていいるのかをお客様に伝えていないのは、良くないと、私は思います!」
「え? あ、ああ……そうですか?」
「お客様は、女性がどんな治療を受けていたのか、気にならないんですか?」
「そりゃあ、気になりますよ。どんな病院にいるのか、どんな手術をしたのか、どんな医者が手術したのか、その後の経過はどうなのか。最高の治療が受けられたって言ってたのに……なぜ、頭のガンになったのか」
「そうですよね。お話を聞いている限りでは、手術を受けても良くなるどころか、どんどん悪くなっている感じがします。女性にどんな治療を受けてきたのか、聞いたこと、ありますか?」
「いや……ないです。聞いたって、わかんないよ。英語だから」
 男性は小さく笑いました。
「さっきは悪かったね。怒ったりして」
 男性は穏やかな声で言いました。
「あなたと話をして、……私、決めました。彼女に会いにフィリピンへ行ってきます」
 
 受話器を置いた私に、フィリピン人スタッフのユミさんが声をかけました。
「たーこさん、大丈夫ですか? 熱くなってたみたい」
 ユミさんは、私の手のひらにチョコレートのお菓子を置きました。
「こういう時は、甘いものが一番」
 私はユミさんに、男性との電話のやり取りを話しました。
「私が彼女だったら」
 ユミさんが人差し指を立てました。
「自分のために、お金を出してくれた彼に会って、ありがとうって言う。彼のおかげで、手術や治療を受けたのに、全然良くならなかったら……。死ぬ前に彼に会って、治らなくてごめんなさいって謝る。彼女、入院してからずっと、彼と会っていないの? 好きな人に会いたいって、思わないのかな?」
 ユミさんの言葉に、私は頷きました。
「これは、私の意見なんですけど」
 私はユミさんの顔を覗き込みました。
「彼女が、お客様から送ってもらったお金で、大きな家を建ててたり、お客様の知らない家族と生活していなければいいなあって、思っています」
「あー、あるかも」
 ユミさんが、ニヤリと笑いました。
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