第2話 記憶にないが記録に残る結婚

文字数 5,207文字

 男性2人が思い詰めた表情で窓口で私を待っていました。
「今日のご相談は?」
 私は、2人の関係を想像しながら、尋ねました。
2人の男性は、少しの間、お互いを見つめ合いました。2人の顔をよく見ると、かすかに顎を動かしたり、目を左右に動かしたりしながら、話すタイミングを伺っているようでした。
 短髪で小柄な男性が、私と向き合いました。
「知らないフィリピン人の女性と、身に覚えのない結婚をさせられました」
 私は、短髪で小柄な男性の隣にいる、長身のクリクリおめめの男性を見ました。
「あの……。おふたりは、どういうご関係なんですか?」
 私の質問に、長身の男性は低い声で答えました。
「友人です」
 小柄な男性は、色のついた紙を、広げるように丁寧にカウンターに置きました。
「私の戸籍謄本です」
 私は、小柄な男性の戸籍謄本を手に取ると、じっくりと内容を確認しました。確認を終えると、私は小柄な男性に声をかけました。
「モドリ、タイト、さん」
「は、はい」
「戸籍によると、10年前に結婚されていますね。この結婚が、身に覚えのない結婚なんですか?」
「そうですっ!」
 モドリさんは姿勢を正して返事しました。
「お相手の女性は、本当に、知らない方なんですか?」
「もちろんです!」
 モドリさんは私の目を見て答えました。
「ひどい話ですよね」
 長身の男性が、目をクリクリと動かしながら私に言いました。
 私は再び、モドリさんの戸籍謄本に目を落としました。
「10年前、いや、それよりもう少し前に、外国人の女性とお知り合いになっていませんか?」
「ないですね」
 私の質問に、モドリさんはきっぱりと答えました。
「いただろ? ほら……」
 長身の男性が、モドリさんの腕を軽く叩きました。
 モドリさんは、「あ」と小さな声でつぶやくと、申し訳なさそうに私を見つめました。
「はい……。いました」
「そうですか」
 私は心の中で「やっぱりね」とつぶやきました。
「でも、友達です。付き合ってません!」
 モドリさんは私に向かって言うと、長身の男性の方を向きました。長身の男性は、モドリさんと目が合うと、軽く頷きました。
 私は質問を続けました。
「そのお友達から……、例えば、結婚したいとか、結婚してほしいとか……。結婚をほのめかすようなこと、言われたこと、ありませんか?」
 私は、じっとモドリさんを見つめました。
 長身の男性は、モドリさんに熱い視線を注いでいました。
 モドリさんは、私とも、長身の男性とも目を合わせず、小さい声で「えーっと」を繰り返しました。突然、モドリさんは、がっくりとうなだれました。
「はい……。言われました」
 長身の男性は、大きくため息をつきました。
「本当に、お付き合いしていないんですか? 戸籍謄本に書かれている、フィリピン国籍のララケーロさんとは?」
 私はゆっくりとした口調で、モドリさんに尋ねました。
「お付き合いしてません! そもそも、彼女がフィリピン人だったなんて、戸籍を見るまで、知りませんでした! 名前だって……名前だって、ジェニファーだったし。金髪だし。ずっと、片言の日本語を話すアメリカ人だと思ってました!」
 モドリさんは、訴えるような目で私に話すと、長身の男性の方を向きました。
「ホントに、付き合ってないんだな?」
 長身の男性の問いに、モドリさんは、深く頷きました。
「モドリさんは、ただのお友達と思っていても、女性はモドリさんと結婚できると勘違いしてしまったかも、しれませんね。デートらしいこと、してませんか? 例えば、お食事したとか」
 私は、長身の男性に顔を向けたままのモドリさんに尋ねました。モドリさんは、ゆっくりと私の方に顔を向けると、苦笑いしました。
「食事しました。一度だけ」
「ホントに、それだけか?」
 私より先に、長身の男性がモドリさんに聞きました。モドリさんは、私をチラリと見ると、うつむきながら答えました。
「食事の後に、2人きりになれる場所へ行って……その……まあ、体の交流を深めたと、いいますか」
 モドリさんの答えに、長身の男性は、頭を抱えました。
「体の関係を持った後に、女性から、結婚を迫られたってことですか?」
 私は、うつむいたままのモドリさんに尋ねました。
「まあ、そんな感じですね。彼女から、責任取って結婚ほしいって、言われました」 
 モドリさんは顔を上げずに答えました。
「何が、付き合ってない、だよ! 結婚を迫られるようなこと、してたじゃないか!」
 長身の男性は、クリクリした目を大きく開き、吐き捨てるようにモドリさんに言いました。モドリさんは、顔を上げ、長身の男性に言いました。
「で、でも、彼女と2人きりで会ったのは、一回だけ! 結婚してほしいって電話やメッセージが何回もあったけど、全部、無視したし、彼女と会ってない」
 モドリさんは私の方を向きました。
「信じてください! 彼女と会ったのは一度きりで、付き合ってないし、結婚の約束もしてないんです!」
 モドリさんの目は潤んでました。
「その女性と、どういういきさつで、知り合ったんですか?」
 私がモドリさんに尋ねると、モドリさんは長身の男性の方を向きました。長身の男性は、私に軽く手を挙げました。
「それは、私から説明します。私の誕生日のお祝いに、彼が、外国人の女性がたくさんいるパブに連れて行ってくれたんです。女性の前でお話するのは恥ずかしいんですが、前から行ってみたいなって思っていて、それを彼に伝えたことがあるんです。私と彼と、それから他の友人数人と一緒に行きました。接客してくれた女性の中に、彼のことを気に入った人が何人かいて、彼に連絡先を聞いていたのを見ました。後で彼から、連絡をやり取りしてる子がいると聞いたので、結婚したというのは、その女性かと……」
「その人じゃないんです」
 長身の男性の話をモドリさんが止めました。
「気に入った女性がいました。彼女と連絡を取るようになってからも、お店に通ったりして、仲良くしてました。でも、彼女と急に連絡が取れなくなって……。ジェニファーに連絡したら、店を辞めたと言われました。ジェニファーが、彼女の居場所を知ってるっていうから……、それで、食事したんです」
 モドリさんは、私の方を向いて説明しました。
「その食事の後に、2人きりで仲良くなって」
 私はモドリさんに言いました。
「あ、はい……。その後は、この通りです」
 モドリさんの背後で、長身の男性が大きく息を吐きました。
「戸籍によると、フィリピンで結婚したことになってますね」
 私の言葉に、男性2人は同時に戸籍謄本を覗き込みました。そして、2人は驚きの眼差しで私をみつめました。
「え、あの。モドリさん、ご存じなかったんですか?」
 私はモドリさんに尋ねました。
「そうだよ。自分の戸籍なのに、どこで結婚したかも知らなかったのかよ?」
 長身の男性にも質問されたモドリさんは、無言で顔を激しく左右に振りました。 
 私は、モドリさんの戸籍の、婚姻に関する部分を指差しました。
「フィリピンで結婚したことを、日本の市役所で報告したと、戸籍に書いてあるんですが。フィリピンへ行ったことはありますか?」
「ありませんっ!」
 モドリさんは叫ぶように答えました。
「彼は、飛行機に乗れないから、海外に行ったことがないんですよ。だから、フィリピンには行ったことがないと思います」
 長身の男性は私にそう話しました。そして、モドリさんをじっと見ました。
「と、信じたいところですが、実は、フィリピンへは船で行ってるかもしれないし、飛行機に乗れないっていうのは、嘘かもしれない」
「ホントに飛行機に乗れないんだって! フィリピンに行ったこと、ないんですよ! 一度も!」
 モドリさんは今にも泣き出しそうな表情で、私を見ました。
「モドリさんの話が本当だとすると、誰かがモドリさんになりすまして、フィリピンで結婚して、日本の市役所で手続きをしたってことになりますね」 
 私が泣き顔のモドリさんに説明すると、長身の男性が「そんな」と声を詰まらせました。
「この離婚も、モドリさんになりすました人物が手続きしたってことですね」
 私はモドリさんの戸籍に記載されている、離婚の文字を指差しました。
「あ……。それは、たぶん……。私が」
「なんだと!」
 私より先に、長身の男性が声を発しました。
「5年ぐらい前だったか……。彼女、あ、ジェニファーが突然、この書類にサインしてって、私のところに現れたんです」
 モドリさんは、私と長身の男性を交互に見ながら、話しました。
「何の書類にサインしたか、覚えてますか?」
「さっき、食事してから一度も会ってないって、言ってたよな?」
 私と長身の男性は、ほぼ同時に、モドリさんに質問しました。
 モドリさんは、カウンターに顔を伏せると、そのまま動かなくなりました。


「まったく……。お前には、本当にがっかりしたよ」
 モドリさんの背後から、長身の男性は言いました。しかし、モドリさんは振り向くことはなく、ぼんやりと私を見ていました。
「彼はね、別のフィリピン人の女性と結婚する予定なんですよ」
 長身の男性が私に話しかけました。
「この間、大使館に婚姻なんとか証明書というのを申し込んだら、前に結婚してますねって、大使館の人に言われたそうです。それで、初めて、自分が結婚していたことを知ったんですよ。彼女は、彼がフィリピン人と結婚していたことにショックを受けちゃったらしく、2人、破局寸前なんですよ」
 長身の男性は、クリクリとした目を数秒、モドリさんに向けると、再び、私に戻し、話を続けました。
「自分が結婚していたことも知らない。女から渡された紙が離婚届だということも知らずにサインして。離婚したことも、わかってなかったって。彼から知らない人と結婚されたって聞いた時は、彼を助けてやりたいって思ったけど。今は、もう、情けないというか、恥ずかしいというか……」
 長身の男性は、私に深く頭を下げました。
「誰かが、モドリさんになりすまして結婚の手続きをしたことは、犯罪です。警察に相談してください。と言われても、警察に何をどう相談してよいのかわからないかと思います。相談センターがお世話になっている弁護士のサバキ先生をご紹介します」
 私は、弁護士の連絡先を長身の男性に渡しました。
「モドリさんが犯罪被害に遭われたことが認められて、フィリピンでの結婚が無効になるといいですね」
 私は長身の男性に言うと、男性は「そうですね」と短く答えました。
「あの」
 蚊の鳴くような声で、モドリさんが私に話しかけました。
「日本の方の結婚は、無かったことにしてほしいけど、フィリピンの方の結婚って、私には関係ないでしょ」
 私は、モドリさんの戸籍謄本の「婚姻」の部分を指差しました。
「戸籍では、モドリさんは、フィリピンで結婚の手続きをしています。フィリピンに、モドリさんがジェニファーさんと結婚した登録があるんです。モドリさんの結婚の記録は、日本とフィリピン、両方にあるんです」
 モドリさんの背後で「あっ」と長身の男性が声をあげました。
「日本で離婚をしていても、ジェニファーさんがフィリピンで離婚の手続きをしていなければ、フィリピンでは、モドリさんとジェニファーさんは、まだ結婚しています。夫婦です。モドリさんが今、結婚を考えているフィリピン人の女性と結婚したら、モドリさんは、フィリピンでは重婚になるんです」
 私がここまで説明すると、モドリさんは小さく笑いました。
「私、フィリピン行かないし、日本で籍入れるだけだから、重婚にはなりませんって」
 長身の男性が「お前」とモドリさんに言ったのを、私は軽く制しました。
「以前、日本で結婚したフィリピン人の奥様の配偶者ビザのことで、相談に来られた方がいました。フィリピンの結婚証明書があればビザの更新ができるとわかり、フィリピンの結婚証明書を申請したそうですが、結婚証明書は出なかったそうです。相談に来られた方は、前に別のフィリピン人とフィリピンで結婚して日本で離婚したんですが、フィリピンで離婚の手続きをしなかったんです。フィリピンでは重婚になるという理由で、今の奥様との結婚がフィリピンでは認められず、結婚証明書は出ませんでした」
 モドリさんから、笑顔が消えました。
 長身の男性は片手で口を押さえたまま、動かなくなりました。
「モドリさんの結婚は、フィリピンでは現在も継続中だと思います。フィリピンは、日本のように離婚届がありません。フィリピンの裁判所で手続きをしないと、離婚できないんです。モドリさんがフィリピンの裁判所で手続きすることになるかもしれません。詳しくは、相談センターがお世話になってる行政書士のタック先生に聞いてください」
 私は、呆然としているモドリさんに行政書士の連絡先を渡しました。 
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