第11話 だが、承諾は、いる

文字数 5,392文字

 18~25歳までのフィリピン人が結婚する場合は、フィリピン国籍のご両親、またはどちらかの承諾書や同意書が必要です。フィリピン国外で結婚する場合でも、同じです。
 日本に住む18~25歳までのフィリピン人は、親御さんの承諾書や同意書がないと、フィリピンの大使館や総領事館から「婚姻要件具備証明書」という書類が発行されません。その証明書がないと、日本の市役所などで婚姻届を受け付けてもらえないようです。

「あの~ぉ。ワタシ、フィリピン人なんですけどぉ」
 窓口に、色白で髪の長い女性が現れました。整った目鼻立ち、金髪でも茶髪でもない髪の色、やたらと白い肌の露出が多い季節感のない服装。
 本人がフィリピン人と言っても、フィリピン人には見えない女性でした。
「日本人とぉ、結婚したくってぇ~」
 鼻にかかった、やや高い声で話した女性は、隣にいる男性を見ました。そこには、茶髪のゲゲゲの鬼太郎がいました。
 目玉のオヤジはどこだ?
 私が目を動かして、鬼太郎の周辺に目玉のオヤジがいないかを探しているなんて知る由もなく、女性は話を続けました。
「んでぇ、区役所行ったらぁ、コーリン? ヨーケン? グミ? 証明書? ……なんかよくわからないんですけどぉ、フィリピン大使館からの書類がないとぉ、フィリピンの人は結婚できないよーって言われたんでぇ、大使館行ったんですけどぉ」
 彼女の話を聞きながら、茶髪の鬼太郎は、私を睨んでました。
 私が目玉のオヤジを探していることに気づいたのかもしれません。
「んでぇ、大使館行ったらぁ、ダメって言われちゃってぇ。ねえ?」
 女性は鬼太郎を見ました。鬼太郎が頷きました。
「婚姻要件具備証明書の申請にフィリピン大使館へ行ったんですよね? どうして、ダメだったんですか?」
 私は、2人を交互に見ながら話しました。
「なんかぁ、予約してないと中に入れないって、言われたんです。ね?」
 女性は再び、鬼太郎を見ました。鬼太郎は静かに頷きました。女性は私の方を向き、話を続けました。
「今日、結婚しようと思って区役所行ったんですよ。そしたら、ウチの書類がないよって区役所の人に言われてぇ。大使館に行ってもらってきてって言われたから大使館に行ったのに、予約してないからダメ~って。なんか、ウケますよね。アハハ。んで、彼がぁ、区役所が大使館行けって言ったのに、予約してないなんて、マジありえないって、怒ってたんですけどぉ。区役所の人、英語話せないから予約なんてするわけないですよね? アハハ」
 女性は時折一人で笑いながら、楽しそうに相談センターに来たいきさつを説明してくれました。
「大使館も、ココみたいに、2時間後とか3時間後の予約オッケーにしてくれたらよかったのにね」
 女性が鬼太郎に言いました。
「それな」
 鬼太郎が小さな声で返しました。
「どうして、今日、結婚しようと思ったんですか?」
 私の質問に、女性が目を輝かせました。
「聞いてください。今日、ウチの、二十歳の誕生日なんですよ!」
 女性は嬉しい気持ちを押さえられないのか、大きな声で私に答えました。
「それに、今日って、ウチらが付き合い始めた日なんですよ」
 女性は鬼太郎を指差しました。
「二十歳って、なんか、響きよくないですか? 二十歳の誕生日は、思い出に残ることしようって、ずっと思ってて。だから、今日、絶対、結婚しようって決めてたんです」
 私は女性の細い手に目を移しました。指先にきらりと光るものが目に入りました。婚約指輪か結婚指輪かと思い、よく見てみたら、左手の人差し指に金色に光るリングを付けていました。
「あ、そうだ」
 女性は何かを思い出したような顔をしました。
「大使館に行ったら、今度来るときはお母さんと一緒に来てって言われたんですよ。書類作るのに、お母さんの承諾がいるからって。でも、今度じゃ遅いんですよ」
 真剣な表情をした女性は、両手をカウンターに置きました。
「そうですよね。今日、結婚したいんですよね?」
 私は、相づちを打つように女性に答えました。女性は前のめりになりました。
「大使館行かなくても、今日、ウチらが結婚できる方法って、教えてもらってもいいですか?」
 驚きのあまり、私は声が出ませんでした。

 私は、2人を別室で待たせました。そして、2人が婚姻届を提出しようとした区役所に電話をかけました。
「ああ。今日中に結婚したいという若いカップルの方、ですよね?」
 電話に出た女性の職員は、2人のことを覚えていました。
 2人が区役所を出てからすぐにフィリピン大使館に行ったこと、予約をしていなかったために大使館で婚姻要件具備証明書を申請できなかったことを、私は女性職員に話しました。
「困りましたねえ」
 女性職員の困惑具合が受話器から伝わってきました。
 私は、区役所から提案された内容を書き取ると、そのメモを持ったまま、2人のところへ向かいました。

 私が部屋に入ると、鬼太郎は片手を挙げて「聞きたいんですけど」と、私に話しかけました。
「フィリピンで結婚するわけじゃないんだし、なんとか証明書って、いらなくないですか?」
 私が答えるよりも先に、女性が鬼太郎に言いました。
「結婚する場所が日本とか、フィリピンとかの話じゃなくって、ウチがフィリピン人だから、証明書が必要なんだって」
 鬼太郎は不満そうな顔で軽く頷きました。
 私は2人と向き合うように席に着くと、2人に向かって話し始めました。
「区役所の方が、今回特別に」
「マジですか!」
 私の説明が始まるより先に、女性が叫びました。
「やった! ウチら、今日、結婚できるかも!」
 女性は隣に座っていた鬼太郎にハイタッチを促しました。
「ちょっと待ってください! まだ、何も話していないんですが」
 私は慌てて、女性を制しました。
「そうだよ。気がはえーって」
 鬼太郎は横目でチラリと女性を見ると、落ち着いた声で言いました。女性は、私に軽く頭を下げると「どうぞ」と言いながら、軽く右手を差し出しました。
「区役所の方は、区役所が閉まるまでに、結婚するお二人と、フィリピン人のお母さんと3人で来てほしいと、話してました」
 私がそこまで話すと、2人は「3人で?」と声を揃えました。
「はい、3人で、です。フィリピンでは、二十歳の方は親の承諾がないと結婚できないんです」
 私の説明に、鬼太郎は険しい表情をしました。
「だから、ここ、日本だし。なんで、フィリピン人ってだけで、そういう面倒くさいこと言ってくるわけ?」
「だーかーらっ! ウチがフィリピン人だし、二十歳だから、親がオッケーしないと結婚できないんだって! 日本で結婚するとか、日本人と結婚するとか関係なしに、フィリピンでは、それがルールなの!」
 鬼太郎の言葉に、女性は強い口調で反論しました。
「てか、3人で区役所行けば結婚できるんだったら、わざわざ大使館へ行く必要なくね?」
 鬼太郎が不貞腐れた表情で言いました。
 鬼太郎、いいとこ突いてるな。私は心の中でつぶやきました。
「区役所へ行くときには」
 私は、鬼太郎をチラリと見てから、話を続けました。
「記入済みの婚姻届。これは絶対忘れないでくださいね。日本人の方は身分証明書を。それから、フィリピン人の方は、身分証明書のほかに、出生証明書と独身証明書。フィリピン人のお母さんは、パスポートか在留カードのどちらかを必ず持って来てください、とのことです」
「はあ?」
 女性が大きな声で叫びました。
「ちょっと待って! ウチ、出生証明書とかって、持ってないんですけどぉ!」
「大使館で取れんじゃね?」
 女性の言葉に、鬼太郎は冷静に答えました。
「そっかー! だから、区役所の人、大使館へ行けって言ったのか!」
 立ち上がり、荷物をまとめた女性を、私は慌てて引き留めました。
「違います! 待ってください! 区役所の方がフィリピン大使館へ行くようにお願いしたのは、お客様が、フィリピンの出生証明書や独身証明書を持たずに区役所へ行ったからなんですよっ!」
 女性は動きを止め、不思議そうな顔で私を見ました。
「結婚するのに、戸籍的なものっていらないんじゃないんですか?」
 鬼太郎が睨むような表情で私に言いました。
「それは、日本人が結婚する場合です」
 私は鬼太郎の目を見て答えました。
「日本に住む外国人は、住民票はありますが、戸籍はありません。住民票には、生年月日は載ってますが、その方の生まれた場所やご両親のお名前、それと、結婚の記録はありません。それから、日本の役所は、外国人の出生証明書や独身証明書を、その国の大使館や政府機関から取り寄せることができません。だから、区役所の人は、外国人であるこちらのお客様に、ご自身の出生証明書と独身証明書のご提出をお願いしたんです」
 私は、右手を女性に向け、男性に説明しました。
 鬼太郎は「なるほど」と小さな声で答えました。私は女性の方に顔を向けました。
「お客様。午前中に、出生証明書も、独身証明書も、身分証明書も持たずに区役所へ行き、どうしても今日中に結婚したいとお話されたそうですね? 区役所の方が、フィリピン大使館から発行された婚姻要件具備証明書を出してくれたら婚姻届を受け付けますよと、答えたのは、婚姻要件具備証明書の申請には、出生証明書と独身証明書、さらにお客様の場合は、フィリピン国籍のお母様の承諾書が必要だったからなんです。身分証明書と婚姻要件具備証明書があれば、婚姻届は受付できると、区役所の方がおっしゃってました」
 女性は荷物を手にしたまま、うつむいてしまいました。
「大使館で婚姻要件具備証明書が申請できなかったと区役所の方に伝えました。そしたら、大使館で婚姻要件具備証明書を申請するときの書類を持って、フィリピン国籍のお母さんと3人で区役所に来てくれたら、大使館で婚姻要件具備証明書の申請が間に合わないという理由で、婚姻届を受け付けますよと、お話してました。お二人がどうしても今日中に結婚したいというので、今日だけ特別、とのことです」
「今日、特別」
 鬼太郎が独り言のようにつぶやきました。
「最悪、お母さんはなんとかなるかもしれないけど、書類が……」
 女性は荷物に話しかけるようにつぶやきました。  
「あ、それから」
 私は話を続けました。
「大使館では、出生証明書と独身証明書は取れませんよ」
「マジかっ!」
 鬼太郎が叫ぶような声で驚きました。「大きな声、出るんだ」と私は内心、驚きました。
 女性は、呆然とした表情で立ち尽くしていました。
 「じゃあ、今日、結婚できないじゃん!」
 鬼太郎は大きな声で言うと、のけぞるように背もたれに体を預け、両手で顔を覆いました。
 そろそろ、退室をお願いしようかと、私は腕時計に目をやりました。
 急に鬼太郎が立ち上がり、女性に向かって言いました。
「ていうかさ、お前がフィリピン人だってこと、今日、初めて知ったんだけど」
「だから何?」
 女性はゆっくりと顔を上げ、鬼太郎に答えました。
「お前が日本人だと思ってたからさ。ずっと。区役所で、フィリピン人って言われた時、騙されたって思った」
 女性は鬼太郎を睨み付けながら、鬼太郎の言葉を聞いていました。
「お前さ、なんで、今までワケワカメって名前、使ってんの?」
 鬼太郎が女性を指差しました。
「それは、お父さん……って言っても本当のお父さんじゃないけど、お母さんの再婚相手がワケさんだから、ウチもワケって苗字を使ってるんで」
 女性は聞き取りづらい声で鬼太郎に答えました。
「じゃなくて」
 鬼太郎が大きな声で女性の話を遮りました。
「なんで、フィリピン人なのに、日本人の名前使ってんのかって、聞いてんの?」
「そ、それは、いろいろあって……」
 鬼太郎の質問に、女性は短く答えると、俯いてしまいました。
「小学校の時、お父さんが日本人でお母さんがフィリピン人っていう友達いたけど、フツーに日本人だったわ。友達、大人になるまで2つ国籍持ってていいって親に言われたって話してたし。だから、お前も同じだと思ってた」
「……」
「お前さ、付き合ってるときに、自分が日本人じゃないってこと、1回も言わなかったじゃん? 今日、いきなり、日本人じゃないって言われても……。騙されてからの結婚は、無理」
 鬼太郎は荷物をまとめると席を立ちました。私のところまで近づくと、立ち止まりました。
「あの……」
 そして、鬼太郎はゆっくりと頭を下げました。
「区役所に電話してくれて、ありがとうございます。忙しいのに、ホント、すみませんでした」
 鬼太郎からお礼を言われると思っていなかった私は、「あ、いえ」と変にうわずった声で答えました。鬼太郎は振り返ることなく、足早に部屋を出ました。
 女性は鬼太郎を追いかけることなく、ゆっくりと帰り支度を始めました。
「マジ、意味わかんね」
 自分のことを言われたのかと驚いた私。女性は私と目を合わせると、ニコッと微笑みました。
「どう思います、あの男? ウチがフィリピン人だから結婚しないってことですよね? マジで意味がわかんないですよね?」
 口元は笑っていましたが、女性の声は震えてました。そして、女性は、右の目尻に右手の人差し指を軽く添えました。
 部屋を出て行く女性を見ながら、私は区役所に電話をすべきかどうか、悩んでました。
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