第7話

文字数 1,994文字

「もうすぐ、新学期ね」
 学校に行っていない彼女に気遣っていたという訳ではなかったけれど、僕からは進んで学校の事を口に出した事はなかった。だから、学校の話題が出た事に少し驚いたし、彼女から言い出すとは思わなかった。
「うん、平日はもう来れないかな」
「え?土日は来るの?」
「そのつもりだけど」
「ふーん」
 そう言って彼女は靴を脱ぐと、その足を椅子の上に上げて、体育座りをしだした。暫くすると膝の上にあごを載せて、首をかしげながら僕を見るものだから、いつもと違う角度の彼女と目が合ってしまった。
「でも、君にここで観測会の事を教わって、本当によかった。あれから、なんかリズムよく勉強も出来るようになったし、あの土星、本当に驚いた」
「フフッ。そうね、驚いてた。あなたを見てた私も驚いた」
「あんなに遠いのに太陽の光が反射して見えるなんて、なんか不思議でさ」
「そうね」
「星が好きなんだよね。詳しいの?」
 すると、僕の方に向いていたその小さい顔は、抱え込んだ膝の上に乗ったまま、何も言わずにまっすぐ前に向いてしまった。僕はそれを見て、何かいけない事を言ってしまったのかと思ったし、彼女が少し遠くに行ってしまったような気もした。
「どうかなぁ」
 彼女は少し間を空けたけれど、答えてくれたので、僕はこのまま、この話を続けてもいいんだと思った。
「好きなら知りたくならない?調べるの好きじゃない?」
「勉強は嫌いじゃないわ。でも、好きだからって調べる必要は無いような気がする。星も宇宙も好きだけど、見ているのが好き」
 僕はなんとなくだけれど、彼女の言っている事が分かったような気がした。そういえば、と、自分の事を顧みるとやはり思い当たる事があった。
「星のあの輝きは太古に輝いていたもの、そして、月や土星は太陽に照らされて見えているだけ」
「うん」
 僕は彼女が自分の気持ちや考えをこんなに話すのを初めて聞いたから、それを邪魔しちゃいけないような気がして、相槌を打つだけにした。
「別に、そこに浮かんでいるだけでいいの。調べても調べなくても、宇宙からの光は変わらずここまで届いてる」
 そう言って、彼女は自分の目を指差した後、
「あなたの目にも、ね」
 と、今度は僕の目を指差した。
「その光が私の目の奥の視神経を刺激すると同時に感性を刺激する。三日月の見えない部分は陰で、その陰は陰として見えている筈なのに、見えないフリをしているの。何だか可笑しいよね?」
 僕は彼女の言う事があちこちに飛んでいて、ついていけそうにない気がした。でも、なんとなく言いたい事は分かったような気もした。彼女は本当は沢山の事を考えているけれど、それを表現する機会が少なくて、ついそうなってしまうのかもしれない。
「変わった事、いや、不思議な事を考えるね。もしかして清涼飲料水と同じ?」
「あ、それすごい。そう、そうね。鼻をつまんで見れば、月も丸く見えるかも」
 彼女は「フフッ」と笑った後、もう1つの僕の言葉に答えてくれた。
「うん、変わってるかも。でも、あなたもそうかも」
「え?僕が?」
「そう、私と同じ」
「何が同じなの?」
「この前土星を見たとき。言ってたわね。私も初めて見たとき、同じ事言ったのを思い出しちゃった」
「もしかして、絵が貼り付けてあるの、って?」
「フフッ」 
「初めて見たのはいつ?」
「幼稚園」
「そんなに小さい時?良く覚えてるね。どこで見たの?」
「家で」
「え?望遠鏡があるの?」
「ええ、見たい?」
 すぐにでも、見たい、と言いたかったけれど、それでは余計に彼女のペースになるし、子供っぽいような気がして、僕はこの誘いに応じて良いのか、断らなければいけないのか、少しだけ考えているフリをしようと思った。でも、彼女はやっぱり、
「フフッ」
 と笑って、
「顔に書いてある」
 とだけ言った。


 結局、彼女の家の望遠鏡を見る事が出来たのは、夏休みの最後の宿題との戦いの後だった。最後の宿題は作文で、それは文才の欠片もない僕が書きたい事があるにもかかわらず、どんどんそこから反れて、勝手に違う方向に走って行ってしまう言葉との戦いだった。その終戦記念日は、まだ夏だというのに少しカラッとした陽気で、少しだけ秋を感じさせる高い雲が上空に吹き流されていた。僕達はロビーでサイダーを飲みながら、彼女の家での天体観測会の事を話していた。
「普段はベランダで見るの。でも、自分の家が邪魔をして反対方向の星が見えないの」
 あの彼女が少し困ったように言うものだから、何かあるな、と思いつつも、望遠鏡を見させてくれるのは確かなので、何かしたいという気持ちになっていた。
「どこか広場みたいなところに運べばいい。僕が運ぶよ」
「フフッ。優しいのね」
 僕は自分でも顔が赤らむのが分かった。

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