第14話

文字数 2,090文字

子供のころは確か、家に車があったような気がする。
 でも、車酔いの激しい兄のせいなのか分からないけれど、すぐに手放してしまったと思う。だから、父の車に乗った記憶は、ほとんど無くて、それは隣県の母方の実家に行ったときぐらいのものしかない。
 父の世代では、どんな車に乗るとかが一つのステータスというか、人生の楽しさを表す1つのバロメータになっていたのだと思う。そうはいっても、普通のサラリーマンの父は大衆車の代表ともいえる誰でも知っている極普通のセダンを買うのがやっとだったのかもしれない。そして、2台目はというと、2リッターに満たない小さいハッチバック車で、それは1台目の車から10年以上も経ってからの事だった。丁度その頃、僕達兄弟は免許を取ったばかりだったのであてがう様に用意してくれたのだろう。なるべく車を大切にしたい僕は大人しく運転していたけれど、スピード凶の兄の運転はいつも乱暴で、いつ車が壊れてしまうのか心配ばかりしていた記憶がある。その車も通勤で使用する兄が殆ど乗っていたせいで、僕は休日ぐらいしか乗る事が出来なかったから、これもあまり特別な記憶というものでもない。だから、ついドライブというと、一番最初に頭の中に思い描くのは、そう、どうしたって3人で天文台に行ったときの事になってしまう。いや、3人と言っても、それは父と兄とではなかった。

 僕は、「いい」と断ったのに、結局咲子さんの車は僕の家の前に横付けされ、後部ドアが開いた。中から彼女が開けてくれたらしく、そして彼女はすぐに奥の席に移動した。どうやら僕の席はここらしい。僕は素直に従う事にして、座席に座り、ドアを閉めた。そして、シートベルトを装着するのに、まごついていると体がシートに押しつけられるのを感じた。それは車がゆっくりと進み出した証拠だった。

 見つけてきたのは彼女の方だった。
「修理していた望遠鏡が治ったみたい」
 いつもの通り唐突に、それでいて何気ない口調は、それだけで僕をドキリとさせてしまう。だから、その先を聞きたい衝動に駆られてしまうのは仕方のない事で、実際にいつもその通りだった。最初は、彼女の家の望遠鏡かと思っていたけど、彼女の望遠鏡が壊れたなんて話は聞いた事が無かったから、
「誰の望遠鏡?」
 と首を傾げて聞いてみると、話に乗ってきた僕を見て嬉しくなったのだろう。それでも彼女はその様子を気取られないように訥々話していたのが、僕には却って面白かった。だから、僕も素知らぬ顔で彼女の話に耳を傾けた。
 隣県にある天文台は15、6年前に建てられ、その目玉はレンズが1メートル以上もある巨大な望遠鏡で、ここしばらく使用する事が出来なくなっていたとの事だ。彼女は星が好きで自宅でもよく望遠鏡で天体観測をするものの、天文台には小さい頃しか行った事がないという事は、それまでに聞いていた数少ない彼女の情報の一つで、僕は不思議に思っていた。そして、彼女がそんな話をするものだから、僕も行ってみたくなった。でも問題がある。高校生である僕が山奥にあるであろう天文台に行くなんて簡単に出来る事ではない。ただ行って帰ってくるだけならば、たぶん電車やバスを使えば行けるだろう、ぐらいの想像はついたけど、問題は時間帯だ。天文台なんだから、そこには夜行かなくてはいけない。宿泊施設でもあれば、昼間の間に移動出来るけど、多分そんなものはないだろう。でも、普段見えない星や星団が見ることが出来る体験はすばらしいものだし、仮に望遠鏡が無かったとしても、本物の「山の天辺」で見る夜空は、それに負けないぐらい素晴らしいものに違いないから、僕の頭の中はその妄想でいっぱいになってしまっていた。そして行くのが難しいと思えば思うほど、その欲求は高まるばかりだった。その様子を面白そうに見ていた彼女の視線に気づいていたけど、僕はそんな事を隠すのは無駄な事だと心得ていたし、彼女に分かってもらえるのがどちらかというと、気分が良くなるのが最近分かってきていた。そして、彼女は
「聞いてみるね」
 と言った後、もうその話題に触れる事はなかった。

 僕はその後も天文台の事が頭から離れずに数日を過ごしていたけれど、わざわざ電話で聞くのもなんだか急かしているような気がしたし、そもそも僕と彼女の関係も相変わらずぼんやりとしたものだったから、自然に任せるより他はなかった。だから、僕は次の週末を待つしかなかった。土曜日の朝、図書館に行くと、彼女は僕の顔を見るなり、開口一番に、
「咲ちゃんが連れて行ってくれるって」
 と、弾んだ声で教えてくれた。僕は彼女の弾んだ声が嬉しかったのか、それとも僕自身の心が弾んだのかよく分らなかったけれど、とにかくここ数日、頭の中を満たしていた星空を見に行ける事に素直に喜んだ。そして、それが彼女にまた移り、少しばかりはしゃいだ2人は図書館の中だというのに、つい周りから注目を受ける事になってしまった。僕と彼女は回りに、すいませんと頭を下げる事になってしまったのだけれど、それも含めて嬉しかった。
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