第18話

文字数 3,569文字

「疲れてたんでしょう。偵察は危険な任務だ。緊張して当然です」
「だよな。もし死餓鬼にやられたなら、報告しないわけないし」

 ナイトハルトはいたわるようにキリアスを見た。

「お付きの家士が死餓鬼化したことは、カドルーから聞きました」
「……考えすぎだな、きっと。斥候を任される兵は優秀なだけでなく信用のおける忠実な兵のはずだ」

 自分に言い聞かせるようにキリアスは呟いた。別室で待っていたカドルーたちとともに武器庫係から装備一式を受け取った。予備部隊から回された歩兵は六名。ケチくさいとカドルーがぶつくさ言ったが仕方ない。キリアスは戦場で功績をたてるどころか、正式に出陣した経験も未だないのである。

 話し合いの結果、キリアスと共に出撃するのはカドルーとギーゼラに決まった。アーシファも行きたいと言い張ったが全員に反対され、城壁の弓兵隊に加えてもらうことでどうにか落ち着いた。ナイトハルトはアーシファの警護のために側に残る。むろん弓は使えるし、剣もひととおり使いこなせるという。カドルーが真面目な顔で保証したのだから腕は確かなのだろう。

 軽い夕食を済ませて部屋に引き取り、早々に寝床に入った。しかし妙に目が冴えて眠れない。どうしても軍議の時に見た偵察兵の様子が気になって仕方なかった。

(さりげなくでも声をかけてみればよかったな……)

 キリアスは起き上がり、静かに部屋を出た。城壁に上がると篝火が焚かれた中、夜警の兵たちが暗い森に目を凝らしていた。敵陣にも灯が見える。異常はないかと尋ねると、いつもと変わりないとの答えが返ってきた。

 ちらちらと瞬く光を矢狭間の間から眺めていると、カドルーとナイトハルトが連れ立って現れた。

「なかなか戻って来ないんで、どうしたのかと思いましたよ」
「悪い、起こしたか」
「つか、どうも眠れませんで。何だか妙に胸がざわざわする」

 ぼりぼり頭を掻くカドルーの隣で、ナイトハルトは冴えた白皙の面を闇の向こうへ向けている。ふたりとも眠気は全然ないようだ。

「……キリアス?」

 戸惑ったような声に振り向くと、アーシファとギーゼラが立っている。ナイトハルトが苦笑した。

「おやおや。全員集合してしまいましたね」
「何かあったの」
「いや、単に眠れないだけ。気が早いな。もう支度したのか」

 矢筒を背負い、弓を手にしたアーシファは肩をすくめた。

「その辺に置いとくわけにはいかないでしょ。まったく、責任重大だわ」
「すみません、アーシファ様。わたしの分まで」

 ギーゼラが恐縮顔で謝る。

「いいのいいの。下手に持ってたりしたら戦ってても気が気でないもんね。ここで援護してあげるから、思う存分戦ってきて。――その代わり、絶対生きて帰ってきてよ。あたしはただ預かってるだけなんだからね」

「これで姫君が攫われでもしたら大変ですねぇ」

 冗談ぽく笑うナイトハルトをカドゥルーが横目で睨んだ。

「それを防ぐのがおまえの仕事だろうが」

 余裕で請け負うナイトハルトの言葉を遮るように、城内から時ならぬ絶叫が轟きわたった。歩哨がぎょっとして振り向く。

 反射的に駆けだしたキリアスに続きながらカドルーが怒鳴った。

「見張りを怠るんじゃないぞ!」

 螺旋階段を駆け降りて居館に戻ったとたん、脇から誰かが襲いかかってきた。危うく避けてキリアスは絶句した。それはジャリードの兵士だった。首には見るも無残な噛み跡がはっきりとついている。半ば裏返った眼球は左右ばらばらの方向を向いていた。

 ぶんっ、と空を斬る音がして、側頭部をかすめた剣が壁にぶち当たる。衝撃で兵士がよろけた隙に腰の剣を抜き放ち、下から思いっきり斬り上げて右手を切断した。腕が飛んでも兵士は悲鳴ひとつ上げない。わずかに残った躊躇いが消える。ぎくしゃくと向き直ろうとする死兵の首を、キリアスは水平に薙いだ。

 ちょうど駆け降りてきた足元で生首が跳ね返り、カドルーがゲッと呻く。

「死餓鬼だ」

 剣を構え直しながら短くキリアスは叫んだ。その間にも剣撃の音と怒鳴り声、恐怖と断末魔の絶叫が響いている。

「くそっ、うようよいやがる。いつのまに入り込まれたんだ!?
「……悪い予感が的中してしまったようですね」

 眉を曇らせ、ナイトハルトが囁く。キリアスは廊下の向こうから現れた新たな死餓鬼に向かって走り出しながら低く呟いた。

「責任は取る」
「あなたの責任だとは言ってませんよ!」
「アーシファを頼む」

 流れるような一連の動作で死餓鬼に止めを刺しながら駆け抜けるキリアスの姿に、カドルーが口笛を吹く。

「手慣れたもんだ。ホント、若君は躊躇いさえしなければお世辞抜きで強い」
「躊躇いは甘えだ」

 横手から現れた死餓鬼に回し蹴りを放ちながらナイトハルトは吐き捨てた。その手はすでに長剣を抜き放っている。彼は憂鬱そうに嘆息した。

「……まったく。切った張ったは引退したってのに」
「昔取った杵柄だろ? ご婦人がたを頼むぜ。俺は若君を援護する」

 ニヤリとして肩を叩き、カドルーはキリアスを追って走り去った。そこへアーシファとギーゼラが駆けつけてくる。

「どうなってるの、ハル!? 城内から死餓鬼が出てきたよ!?
「自覚症状のない『なりかけ』が紛れ込んだようです」

「どうしよう。あいつら、いくら弓が刺さっても平気でずんずん歩いてくるの」
「痛みを感じませんからね。首を切り落とさない限り止まりません。このままだと奴らの数は増える一方だ。それを防がないと」

「どうやって!? キリアスはどこ!?
「大丈夫、あの方はひとりで死餓鬼狩りをしてたくらいだから手慣れてる。カドルーも追いかけていきましたし。――さぁ早く!」

「どこ行くの」

 乱暴に腕を取られ、アーシファはたたらを踏んだ。

「乾燥オリバナの倉庫ですよ。念のため場所を確かめておいて正解だった」
「オリバナ……。じゃあ、やっぱりあの匂いが……!?

 ハッとした顔で呟いたギーゼラにナイトハルトは頷いた。

「あなたも気付いてましたか。死餓鬼はどうやら乳香の匂いが苦手みたいです。オリバナは乳香によく似た香りがする。奴らを倒すのは無理でも遠ざけておくことができれば、少なくとも数は増えません」

「分断して足止めできれば倒しやすい……!」

 ギーゼラは目を輝かせ、大きく頷いた。篝火の焚かれた中庭に走り出ると、そこはもう混乱の極みに陥っていた。外部からの攻撃に備えて閉じられた城門は、こうなると逆に逃げ道を塞いでパニックを助長するだけである。

 城内には非戦闘員も数多くいる。彼らは恐慌状態で逃げまどうばかりだ。混乱の中オリバナのことを何度も叫んでいると、それを耳に留めた人たちがやがて倉庫から乾燥させたオリバナを持ち出してきた。

 最初はわけがわからずとにかく死餓鬼に向けてオリバナを投げつけていたが、そのうちに彼らがそれを嫌っていることがわかってくると人々の顔に希望が浮かんだ。気を取り直した兵士はオリバナを鎧の隙間に差し込んでかつて仲間だった死餓鬼に立ち向かい始めた。

 同じ頃、城内ではまだ悲惨な同士討ちが続いていた。訓練を積んだ兵士たちは動搖を乗り越え、悲壮な覚悟を決めて反撃し始めた。一度死餓鬼化したら元には戻せない。そのやり方がどんなに残酷に見えようとも、彼らをふたたび眠らせるには首を斬り落とすしかないことは、もはや誰もが知るところだ。

 キリアスは行く手に立ちふさがる死餓鬼を左右に斬り捨てながら走った。それはまるで黒い魔風のようであった。いちいち手順通りにしている暇はなく、首を失った死餓鬼たちは狂ったように走り出しては互いにぶつかって倒れ、床の上で手足をばたつかせた。

 やがてその激しい痙攣が静まって彼らが今度こそ二度とは目覚めぬ眠りに就いた頃――。その場に足を踏み入れた兵士たちは折り重なる首なし死体の山とそこらじゅうに転がる生首に慄然と肌を粟立たせた。

「カスラーンどの!」

 走りながら何度も叫んだが、返る答えはなかった。王の居室らしき部屋には何人もの兵が首を切断されて倒れている。中には衛兵の徽章をつけている者もいた。持ち込まれた死餓鬼の呪いは恐るべき速さで城を席巻したのだった。

 不案内な城内を出くわす死餓鬼を葬りながら走っていると、甲冑姿で立つ男の後ろ姿が見えた。足音に気付いて振り向いた顔に愕然とする。

「……ギドウ……!!

 キリアスは咆哮を上げ、背に担ぐように大きく剣を振り上げた。鋭い刃音が響き、火花が散る。受け止めたギドウは嘲笑うように口の端をゆがめた。
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登場人物紹介

キリアス

・18歳

・ヴァストの第3王子

・武術においては天才なのに自覚なし・執着なし

・極楽トンボ

・口癖「面倒くさい」「どうでもいい」(なげやりではなく、こだわりがなさすぎ)

・家族が殺されてから性格激変する

・黒髪

・黒瞳


アーシファ

・17歳

・皇家最後の姫

・活発、おてんば、じゃじゃ馬

・弓が得意

・キリアスに淡い想いを抱いているが、野心やこだわりのなさに失望を感じている。

・燃えるような赤い髪

・翠の瞳


【幼時の設定】

アーシファは五歳から十三歳までの八年間、ヴァストの王城で暮らした。アーシファ出生時、父は数多いる王子のひとりにすぎなかった。アーシファの祖父は漁色家で、正妻をふたり持ったうえ数えきれないほどの側妃がいた。


父は祖父が気まぐれで手をつけた女官が側妃となって産んだ子で、ほとんど忘れられた存在だった。学究肌の物静かな人物で、平和な世の中であったなら案外名君となったかもしれない。


だが皇家はすでに神竜の加護を失っていた。己の権勢欲を満たすためだけに皇族同士相争い、宮城は陰謀と策略の伏魔殿と化した。そんな中、思いがけず父に帝位が回ってきたのだ。


父は祖父と違ってアーシファの母だけを愛し、慈しんでいた。一介の王子であった時はそれでよかったが、皇帝となればそうもいかない。文官や武官たち宮廷貴族から女を押しつけられ、拒否すれば母が危うくなる。拒否しなくても有力な後ろ楯のない母は正妃といっても甚だ不安定な立場だ。いつ暗殺されてもおかしくない。


そこで妻と娘をヴァスト王アルフレートの下に避難させることにした。当時アルフレートは戦死した父王の後を継いで王になったばかりだったが、少年の頃、宮城に出仕していて父と固い友情を結んだのである。


母娘は侍女をひとり伴ってヴァストに逃れた。この侍女は母より身分の高い武官の娘だったが大変人柄がよく、忠義に母に仕えた。この侍女をアルフレートが見初めて妻とした。


そういうこともあってヴァストでアーシファはのびのびと暮らすことができた。アルフレートの末弟で一つ年長のキリアスが遊び相手を仰せつかり、アーシファは十三歳になるまで自由闊達に育った。


その間、父はおおかたの予想に反してしたたかに生き延び、地歩を固めた。そして妻と娘を呼び戻したのだが、幸せも束の間、半年と経たぬうちに夫妻はともに毒殺されてしまう。犯人も毒を投入した手口も、未だに不明。


残されたアーシファは後宮の一角に閉じ込められた。後を継いだ皇帝はライバルを葬りつつ三年間帝位を保持し、ついに彼を脅かす存在は地上からすべて抹消された。


しかし安堵の矢先、彼は暑い日に冷水を一気飲みしたのが祟って呆気なく死んでしまった。待ち構えていたかのように乗り込んできたシャルの王軍によって帝都はさしたる抵抗もできないまま屈した。気がつけばアーシファは最後にただひとり生き残った皇族の姫になっていたのである。

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