第24話

文字数 3,624文字

 キリアスは力なく馬に揺られていた。全身が虚脱して、手綱を握る手にもろくに力が入らない。ナヴァドと剣を交わした時の高揚感の反動か、疲労と絶望で身体が水を含んだ綿のように重く感じられた。

 ナイトハルトが前方から馬を寄せて告げた。

「この先に古い砦があるそうです。今夜はそこで休みましょう」

 黙って頷いたキリアスを一時見つめ、ナイトハルトはまた前列へ戻っていった。ふと我に返り、キリアスは周囲を見回した。斜め後ろにカドルーが従っている。前にはアーシファとギーゼラが並んで馬を進めていた。アーシファがうとうとと舟を漕いでいるのが後ろから見てもわかった。ほとんど徹夜だったのだから無理もない。

 ギーゼラは逆に不自然なほど背筋を伸ばしていた。ずっと何事か考え込んだ様子で黙りこくっている。ナヴァドに危うく殺されかけた時のことを訊いてみても曖昧な答えを返すだけだった。

(女だからって見逃すような奴じゃなさそうだが……)

 実際ナヴァドは向かってくるのが女だとすぐに気付いたはずだ。それでも躊躇いなく剣を振るった。寸前で刃を止められたのは彼が手練だったからだ。そして、彼の顔に浮かんだ驚き――。

(やっぱり知り合い、か……?)

 こわばったようなギーゼラの背を、キリアスは暗鬱に眺めた。

 キリアスたちは今、百名ほどのジャリード兵を連れて数日前に通ったばかりの道を国境へ向けて引き返しているところだ。ジャリードの王城は落ちた。オリバナの効果で死餓鬼たちを追い詰め、城の地下牢に落とすことには成功したものの、すでに兵力は尽きたも同様のありさまだった。

 進軍してくるフォリーシュの軍勢を見た兵士たちは一挙に戦意を喪失した。敵はいつのまにか大規模な援軍を得てその数は数倍に膨らんでいたのである。彼らを迎え撃つに足る弓兵も騎兵もいない。指揮官たる王は死んだ。王の身体にははっきりした噛み跡が無数に残っていたので、首を斬り落とされていたことに憤る者はいなかった。こうするしかないことは誰でも知っている。

 気がつけば、王に『安らぎを与えた』のはキリアスということになっていた。不本意ではあったが、訂正するとややこしいことになるし、キリアスがジャリード兵から恨みをかう恐れがあると主張したナイトハルトがそれで押し通した。

 おまけに彼は厳かな顔つきで、キリアスがカスラーンからジャリードの宝珠を託されたと告げ、本物の〈竜の宝珠〉を生き残りの兵たちに見せたのである。どのようにしてそれを手に入れたか、後で聞いてキリアスは呆れた。もっともらしく主替えを申し出たナイトハルトは、かつてキリアスがギドウから投げ渡された偽物の珠を本物と偽ってカスラーンを信用させ、ジャリードの宝珠を見せてもらった時にすり替えたのである。

 あらかじめ湯で偽物の珠をほどよく温めておき、さらにカスラーンの気を大いにそそるようなことを散々言って動悸を速めさせた上で、強く珠を握らせたのだ。

 そんなこととは思いも寄らないジャリード兵たちはナイトハルトの言葉を素直に信じた。生存していた中で最も身分の高い騎士も、示された宝珠を受け取ろうとはしなかった。むろん、ナイトハルトは最初からそれを見越していた。

 城に居住していた王族はギドウの手で全員殺されてしまい、宝珠を受け継ぐべき血筋は絶えた。宝珠だけでは王権の証とはならない。正統な血筋の者が持たなければ単なる珍宝でしかないのだ。そしてその場に『王族』はひとりしかいなかった。たとえそれが他国の王族であろうとも、かつて竜帝から宝珠を授かったという意味では同等である。

 キリアスとしては断固断りたかったが、主を失った兵たちにすがるように見つめられてはそうもいかない。しぶしぶながら宝珠を受け取るしかなかった。

 生き延びた騎士たちは臣従を申し出た。フォリーシュに下るくらいなら力は未知数でもヴァストの王子の元で戦いたいと彼らは言った。気持ちはありがたかったが、領地を持つ者は断った。逆らわなければ領地を取り上げられはしないはずだ。宝珠の行方を訊かれたら隠し立てしないように含め置き、所領を持たない騎士たちだけを連れて急いで城を出た。

 緊急時に備えた砦には十名の警備兵が置かれているだけだったが、食糧や武器は充分にあった。城の様子を見に行かせた兵は、フォリーシュ軍は王城を占拠したものの追撃部隊は出していないと報告した。ちなみにこの斥候は報告後、裸に剥かれて死餓鬼の噛み跡がないかどうか点検され、夜通し仲間に監視されるという気の毒な目にあった。

 食事を済ませると、キリアスたちは一室に集まって今後の方策を話し合った。

「ささやかながら自軍を持てたのはいいことですが、ぞろぞろ引き連れて歩くわけにもいきませんね。我々には百人も養う余裕はありません」
「軍資金ないの?」

 カドルーの問いにナイトハルトは肩をすくめる。

「なくはないが、無駄遣いしたくない。かといって見捨てたら食い詰めて盗賊化しかねません。ただでさえ悪い治安がさらに悪化する。そこで、神殿に雇って貰おうかと」
「神殿に?」

 ぽかんとカドルーが訊き返す。俯いていたギーゼラも神殿と聞いて顔を上げた。

「神殿騎士というのはそう大勢いるわけではない。そうですよね?」
「小さな神殿だと、ひとりもいないことも珍しくありません」

 ギーゼラは頷いた。

「そこで、避難民兼衛兵として雇い入れて貰おうというわけです。神殿には逃げ込んできた者を庇護する権利があります。義務ではなく、あくまで権利です」

 目線で問われ、ギーゼラが黙って頷く。

「ということは、たとえば残党狩りなどが回ってきても差し出す義務はないわけです。兵士たちの安全はかなりの程度保証される」

「保護する義務はないんだろ? 受け入れて貰えなかったらどうする」
「受け入れるさ。こういう状況では、どこの神殿でも死餓鬼の対抗手段を欲してるはずだ。それに、手土産も持たせる」

 ナイトハルトは取り出した小さな袋の中身を掌にあけた。覗き込んだアーシファが首を傾げる。

「……種?」
「オリバナの種です。効果は実証済み。これを神殿の薬草園で栽培してもらう。乳香は数に限りがありますからね。その点オリバナは栽培すれば増えるし、乳香樹よりずっと成長が早い。何せ草ですから」

「なるほど。それで兵士たちを神殿に押しつけて、俺らはどーするわけ?」

「最小限の人数でダロムを目指します。今度は厭とは言わせませんよ、キリアス様。兄君の形見の剣は折れた。そうして敵が持っているのは得体の知れない魔剣だそうですね。こうなったら対抗できるのは〈始祖の剣〉しかない。……もっとも、あの男には敵わないと負けを認め、何もかも投げ捨てて逃げ出したいというのならあえて引き止めはしませんが。そうしたら私は宝珠を持ってフォリーシュの陣営に加えてもらうことにしますよ。宝珠を三つ持参すれば雇ってくれるでしょう」

 キリアスはナイトハルトを睨み付けた。

「俺は負けてなんかいない。今度あいつに会ったら絶対倒す!」
「だったらふさわしい武器が必要ですね。魔剣に対抗できるのは神剣のみ」

 涼しい顔で挑発する参謀役を黙って睨んでいたキリアスは、やがてぼそりと呟いた。

「……奴を倒すための武器を手に入れる。それだけだからな」
「結構ですよ、今のところはね」

 悪魔のようににんまりする青年を睨み付け、キリアスは憤然と部屋を出て行った。カドルーが呆れて嘆息する。

「おまえも回りくどいねぇ。あなたを見込んでるんだって素直に言えばいいのに」

「見込み違いの可能性はつねに考慮に入れておかないと。それに、人から言われてその気になるような人物に大事な未来を託すつもりはないのでね」

「俺、おまえみたいに変に頭が切れなくてよかったぜ。俺はヴァストの騎士だから、キリアス様に皇帝になってもらいたいね。個人的にあの人は好きだし、器量もあると思う」

「それが単なる贔屓目でないことを願うよ。おまえ自身のためにもな」

 辛辣に言い放ったナイトハルトの瞳は、その口調とは裏腹に温かなものだった。


 アーシファは気になって仕方がなかった。ギーゼラの様子がずっと変なのだ。ジャリードの王城を出た時から、いやその前からやけに深刻な顔で何事か考え込んでいる。キリアスの命を救ってくれたことに礼を言っても何だか上の空だ。

 話し合いの時も、神殿に兵士たちを預けることが決まると関心をなくしたみたいに物思いにふけっていた。キリアスがともかくも〈始祖の剣〉を手に入れようと決めたんだから、もっと喜んでもいいのに。〈始祖の剣〉を手に入れるということは、キリアスが何と言おうとどう思おうと、帝位に王手をかけることなのだ。
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登場人物紹介

キリアス

・18歳

・ヴァストの第3王子

・武術においては天才なのに自覚なし・執着なし

・極楽トンボ

・口癖「面倒くさい」「どうでもいい」(なげやりではなく、こだわりがなさすぎ)

・家族が殺されてから性格激変する

・黒髪

・黒瞳


アーシファ

・17歳

・皇家最後の姫

・活発、おてんば、じゃじゃ馬

・弓が得意

・キリアスに淡い想いを抱いているが、野心やこだわりのなさに失望を感じている。

・燃えるような赤い髪

・翠の瞳


【幼時の設定】

アーシファは五歳から十三歳までの八年間、ヴァストの王城で暮らした。アーシファ出生時、父は数多いる王子のひとりにすぎなかった。アーシファの祖父は漁色家で、正妻をふたり持ったうえ数えきれないほどの側妃がいた。


父は祖父が気まぐれで手をつけた女官が側妃となって産んだ子で、ほとんど忘れられた存在だった。学究肌の物静かな人物で、平和な世の中であったなら案外名君となったかもしれない。


だが皇家はすでに神竜の加護を失っていた。己の権勢欲を満たすためだけに皇族同士相争い、宮城は陰謀と策略の伏魔殿と化した。そんな中、思いがけず父に帝位が回ってきたのだ。


父は祖父と違ってアーシファの母だけを愛し、慈しんでいた。一介の王子であった時はそれでよかったが、皇帝となればそうもいかない。文官や武官たち宮廷貴族から女を押しつけられ、拒否すれば母が危うくなる。拒否しなくても有力な後ろ楯のない母は正妃といっても甚だ不安定な立場だ。いつ暗殺されてもおかしくない。


そこで妻と娘をヴァスト王アルフレートの下に避難させることにした。当時アルフレートは戦死した父王の後を継いで王になったばかりだったが、少年の頃、宮城に出仕していて父と固い友情を結んだのである。


母娘は侍女をひとり伴ってヴァストに逃れた。この侍女は母より身分の高い武官の娘だったが大変人柄がよく、忠義に母に仕えた。この侍女をアルフレートが見初めて妻とした。


そういうこともあってヴァストでアーシファはのびのびと暮らすことができた。アルフレートの末弟で一つ年長のキリアスが遊び相手を仰せつかり、アーシファは十三歳になるまで自由闊達に育った。


その間、父はおおかたの予想に反してしたたかに生き延び、地歩を固めた。そして妻と娘を呼び戻したのだが、幸せも束の間、半年と経たぬうちに夫妻はともに毒殺されてしまう。犯人も毒を投入した手口も、未だに不明。


残されたアーシファは後宮の一角に閉じ込められた。後を継いだ皇帝はライバルを葬りつつ三年間帝位を保持し、ついに彼を脅かす存在は地上からすべて抹消された。


しかし安堵の矢先、彼は暑い日に冷水を一気飲みしたのが祟って呆気なく死んでしまった。待ち構えていたかのように乗り込んできたシャルの王軍によって帝都はさしたる抵抗もできないまま屈した。気がつけばアーシファは最後にただひとり生き残った皇族の姫になっていたのである。

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