第9話

文字数 3,567文字

「触ればわかるさ。〈竜の宝珠〉は温かい。夏でも冬でも、人間の体温よりちょっと高いくらいの温度を保ってる。しかも、触ってると鼓動を感じるんだ。あれは生きているって兄上が言ってた……」
「この珠もあったかいぞ?」
「それはずっと私が持っていたからだ。──ということは、ギドウもそれを知っていて、宝物庫にあるのがただのガラス玉だと気付いたわけですね。アルフレート王やエドゥアルド様を問い詰めても答えは引き出せなかったか……」
「……きっとその前に殺しちまったのさ。さぞかし後悔しただろうよ」
 キリアスは低く呟き、テーブルに爪を立てた。指先が白っぽくなるほど爪を天板に食い込ませると、アーシファがきゅっとその手を押さえ、噛みしめた唇を黙って震わせた。
「それにしても宝珠はどこにあるんでしょう。あれがないと王位の正当性が損なわれてしまう。エレオノーラ様は本当にご存じないのですか」
「知ってりゃ教えてくれるさ。叔母上は本当に知らない」
「あの……、そのことなんだけど……」
 おそるおそる手をアーシファが手を上げる。
「何かご存じなのですか? 姫君」
「じ、実は、ね……」
 アーシファは矢筒から矢を抜き出すと、底をごそごそ手探りした。分厚い布でくるまれたものが出てくる。テーブルに置かれたそれを見て、全員が目を丸くした。
「まさか……」
 それは掌にちょうど載るくらいの大きさの、黒ずんだ半透明の珠だった。ひったくるように掴んだキリアスが茫然と呟く。
「本物だ。──おまえが隠してたのか!?
「隠してたわけじゃないよっ。叔母様の離宮へ行く前の晩に、しばらく預かってくれってエドゥアルドに頼まれたの。絶対中身を見ちゃダメだって言われて……」
「そういうこと言われたら絶対見るだろおまえ」
「見なかったもん! 何かのおまじないとかで、見たら効果がなくなってしまうってエドゥアルド、すごく真面目な顔で言ったの。だから見なかったよ。後でちゃんと教えてくれるって約束してくれたし……」
「姫君の好奇心を逆手に取ったわけですね。さすがエドゥアルド様」
「誰にも気付かれないようにって言うから、矢筒にしまったの。でもその──、あんなことがあって、すっかり忘れてて。昨夜急に思い出して、迷ったんだけど、ちょっと気になることもあって……、思い切って覗いてみたんだ。そしたら──」
 ごく、と唾を飲み、アーシファはこわごわと珠を眺める。
「すぐキリアスの部屋に行ったけど、また出かけちゃってたでしょ。今朝帰って来た時にも言いだしそびれて。ごめん」
「いや……。おまえが持っててくれたから無事だったわけだし」
「気になったことって何です?」
 突然ナイトハルトに訊かれ、アーシファは目をぱちくりさせた。
「えっ……? ああ、あのね。何だかこの布の包み方が、預かった時とちょっと違ってるような気がして――」
 ナイトハルトが眉をひそめると同時に、扉の向こうで大声が上がる。商館員と誰かが押し問答をしているようだ。舌打ちをしたナイトハルトは急いで珠を布でくるみ、アーシファに押しつけた。
「元どおりにしまって矢筒を背負うんです。早く!」
 言われるままに包みを隠し、矢を元に戻す。矢筒を背負うと同時にバタンと扉が開いて人がなだれ込んできた。ナイトハルトは何事もなかったように営業用の微笑を浮かべた。
「おや、これは参事会の皆様方。お揃いで何のご用でしょうか」
 入ってきたのはシャニーエの代表機関である市参事会の主な面々だった。そのほとんどは都市の貴族層である大商人たちである。
 彼らの背後には武装した連中も控えていた。参事会と契約し、都市の警備を請け負っている傭兵たちだ。
「臨時参事会議でヴァスト商館の差し押さえが決定した。建物及び商館員と使用人を全員拘束する。むろん客人も例外ではない」
「ここはヴァスト王国の領事館でもあるんですがね。勝手に踏み込まれては困ります」
「シャニーエ参事会はヴァスト王国を滅亡したものと認定する。よって外交特権は停止。商館付属の動産不動産はすべて参事会が差し押さえる」
「ヴァストは滅んでなどいない!」
 怒気もあらわに言い返したキリアスの肩をカドゥルーがぐっと掴んで引き戻した。参事会の代表を馬鹿にしたようにせせら笑った。
「城も軍も失って何ができる? せいぜい新たな竜帝の不興を買わないようにした方がいいですぞ、若君。〈竜の宝珠〉と旧皇家の姫を差し出せば、少なくとも身の安全くらいは保証されるでしょう」
「ふむ。それが参事会の期待というわけですね。自由都市の誇りを捨ててフォリーシュに身売りしましたか」
「この異様な事態を乗り切るためだ! フォリーシュに与しない限り、死餓鬼は増え続ける。知ってるだろう、この都市の墓地はどこも空だ。死者が生き返り、おぞましい姿で徘徊している。死餓鬼どもはどこからでも入り込んでくる。このままでは都市が死者に乗っ取られてしまう」
「フォリーシュに従えば死餓鬼を一掃してもらえると?」
「そのために宝珠と姫君が必要なのだ!」
 ナイトハルトは皮肉っぽく嘆息した。
「やれやれ。参事会の(スパイ)を見過ごしていたとはね。この責任は取らねばなりますまい」
 手首が一閃し、参事会員たちの前で何かが爆発する。もうもうと煙が立ちのぼり、わめき声と咳き込む声が上がった。
「こちらへ!」
 ナイトハルトの指示で反対側の扉から抜け出す。そこはふだん使われていない控えの居間だった。
 扉を閉めると彼はすぐ側にある大きな床置き時計と背後の壁の間に手を突っ込んだ。何か操作すると、バタン、ガシャン、と大きな音が隣室で響いた。
「あの食堂は言わば緊急避難用でしてね。立て籠もることも閉じ込めることもできるようになってます」
 ドンドンと壁や扉を叩く音と怒鳴り声が響いてくる。
「鎧戸を落としたんであちらは真っ暗になってます。扉は鉄のボルトで固定されてる。まず自力では出てこられないでしょう。さぁ、急いで。残念ながらもうシャニーエには居られません。一刻も早く城門を出ないと、閉められたら厄介です」
 持ち物を取りにいく暇もなく、慌ただしく外に飛び出した。厩に駆けつけると、支度を整った馬を手際よく引き出しながら厩係の少年が叫んだ。
「早く早く! 裏口は開いてます」
「よくやった。さぁ、早く乗って」
 急かされてそれぞれの馬に跨がる。ナイトハルトは少年の頭を一撫でした。
「うまく逃げるんだぞ」
「わかってますって。心配いりませんよ。──若様、どうぞお気をつけて」
 にこっと笑った少年に、キリアスは気を呑まれたように頷き返した。走り出して振り向けば、少年の姿はすでに消えていた。


「……おい、道が違うぞ」
 不審そうなキリアスの声にアーシファは馬を止めた。先頭を行くナイトハルトがわずらわしそうな顔で振り向いた。
「いいんですよ、こっちで」
「そっちに進んだらどんどん南に行っちまう。逆方向じゃないか」
 無我夢中でシャニーエを飛び出し、ようやく馬の速度をゆるめた矢先のことだった。焦ってナイトハルトの後を追いかけていたアーシファは、ようやく我に返った。
 まるで考えていなかった。自分たちはこれからいったいどこへ行けばいいのだろう。
「ダロムへ行くんだから南でいいんです」
 ナイトハルトがきっぱり断言する。キリアスはますます疑り深い目つきで彼を睨む。
「何でダロム。あそこも全滅だろ」
「ええ、王城や王族はね」
 ふと思いついてアーシファは尋ねた。
「ひょっとしてダロム領内の自由都市に行くの? ヴァストの商館は他にもあるんだよね」
「都市には行きません。どこの都市でもシャニーエと同じ状況だと思います。ヴァストに限らず、どの王国の商館もすべて差し押さえられてるはずだ。都市連合がフォリーシュ側についたなら、加盟都市はどこであれ我々にとって敵対者だ」
「だったらどこへ……?」
「南にある古い神殿跡です」
「そんなとこへ何しに行くんだよ」
 キリアスは苛立ちを隠そうともせず、とげとげしく尋ねた。ナイトハルトはそんな彼を探るように眺めつつ答えた。
「〈始祖の剣〉を探しに」
「えっ、〈始祖の剣〉!?
 素っ頓狂にアーシファが叫ぶ。
「それってあれでしょ。宮城から消えてしまった、皇家の──」
 重々しくナイトハルトは頷いた。
「そう。〈始祖の剣〉あるいは〈始まりの剣〉。世界竜から与えられたという統治者の証だと言われています。皇帝はこの剣を持っているからこそ竜帝、つまりは神竜の代理者として認められる。八葉の王たちが、〈竜の宝珠〉を皇帝から与えられることによって王権を獲得するのと同じことです」
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登場人物紹介

キリアス

・18歳

・ヴァストの第3王子

・武術においては天才なのに自覚なし・執着なし

・極楽トンボ

・口癖「面倒くさい」「どうでもいい」(なげやりではなく、こだわりがなさすぎ)

・家族が殺されてから性格激変する

・黒髪

・黒瞳


アーシファ

・17歳

・皇家最後の姫

・活発、おてんば、じゃじゃ馬

・弓が得意

・キリアスに淡い想いを抱いているが、野心やこだわりのなさに失望を感じている。

・燃えるような赤い髪

・翠の瞳


【幼時の設定】

アーシファは五歳から十三歳までの八年間、ヴァストの王城で暮らした。アーシファ出生時、父は数多いる王子のひとりにすぎなかった。アーシファの祖父は漁色家で、正妻をふたり持ったうえ数えきれないほどの側妃がいた。


父は祖父が気まぐれで手をつけた女官が側妃となって産んだ子で、ほとんど忘れられた存在だった。学究肌の物静かな人物で、平和な世の中であったなら案外名君となったかもしれない。


だが皇家はすでに神竜の加護を失っていた。己の権勢欲を満たすためだけに皇族同士相争い、宮城は陰謀と策略の伏魔殿と化した。そんな中、思いがけず父に帝位が回ってきたのだ。


父は祖父と違ってアーシファの母だけを愛し、慈しんでいた。一介の王子であった時はそれでよかったが、皇帝となればそうもいかない。文官や武官たち宮廷貴族から女を押しつけられ、拒否すれば母が危うくなる。拒否しなくても有力な後ろ楯のない母は正妃といっても甚だ不安定な立場だ。いつ暗殺されてもおかしくない。


そこで妻と娘をヴァスト王アルフレートの下に避難させることにした。当時アルフレートは戦死した父王の後を継いで王になったばかりだったが、少年の頃、宮城に出仕していて父と固い友情を結んだのである。


母娘は侍女をひとり伴ってヴァストに逃れた。この侍女は母より身分の高い武官の娘だったが大変人柄がよく、忠義に母に仕えた。この侍女をアルフレートが見初めて妻とした。


そういうこともあってヴァストでアーシファはのびのびと暮らすことができた。アルフレートの末弟で一つ年長のキリアスが遊び相手を仰せつかり、アーシファは十三歳になるまで自由闊達に育った。


その間、父はおおかたの予想に反してしたたかに生き延び、地歩を固めた。そして妻と娘を呼び戻したのだが、幸せも束の間、半年と経たぬうちに夫妻はともに毒殺されてしまう。犯人も毒を投入した手口も、未だに不明。


残されたアーシファは後宮の一角に閉じ込められた。後を継いだ皇帝はライバルを葬りつつ三年間帝位を保持し、ついに彼を脅かす存在は地上からすべて抹消された。


しかし安堵の矢先、彼は暑い日に冷水を一気飲みしたのが祟って呆気なく死んでしまった。待ち構えていたかのように乗り込んできたシャルの王軍によって帝都はさしたる抵抗もできないまま屈した。気がつけばアーシファは最後にただひとり生き残った皇族の姫になっていたのである。

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