みんなの日常 〜おくりもの〜 (前編)

文字数 4,758文字

【ご案内】
本話「みんなの日常」では、各物語の世界からみんなが集まってきています。本来であれば交わることのない世界ですが、クリスマスの奇蹟が起きているようです。また、こちらの前編では視点(話者)の切り替えが行われます。この世界の基盤が「愛情の記憶」となりますため、「*」マークごとにエイト・フェザーハントから記名された人物へ視点が移ろいます。

それでは。物語の世界へ、いってらっしゃい。


****


クリスマスの今日。街を行き交う人々は皆、温かい笑顔を浮かべて寄り添っている。きっとこれから大切な人たちと集まって、大事な時間を共にするのだろう。そんな中自分はというと、自身に苛立ちながら早足でパティスリーを目指している。

本来なら今頃は落ち着いて夕食の準備を進めているはずだった。それなのに、とっておきのデザート兼サプライズプレゼントとして作ったクリスマスケーキが盛大な失敗作に仕上がり、慌てて代わりとなるデザートの探索に出たところ。まずはパトリックお気に入りのパティスリーを訪ねたものの当日分のケーキが売り切れ、自分好みのケーキ屋さんは予約販売のみ、頼みの綱の街で人気のお店では気にいるものがなく、失意をお供に当てもなく彷徨うことになった。

今更、どこへ行けるというのだろう。何ができるというのだろう。

その後数件巡ったが結果として落胆に終わり、最初のお店に戻ってめぼしい焼き菓子を選んで買うことにした。ラッピングされたギフトバッグの中身はマドレーヌ、オランジェット、プラリネショコラにキャンディ、ギモーヴ。クリスマスの雰囲気とは全く無縁だった。確実に美味しいだろうけど、後悔と自己嫌悪で満杯になる心。期待外れで、ごめんなさい。溜息が白く色づいて、そのまま虚空に消えていった。


太陽が明日への準備に入り星が瞬き始めたころ。帰宅途中、無意識のうちに俯いていたらしい。前方不注意のせいで、お店を出て最初の角で誰かと正面衝突してしまった。自分のプレゼントは無事だったが、気づけば足元にペーパーカップが転げ落ちており、見る見るうちに中身が地面に広がっていく。立ち昇るココアの香りの向こうから、「ライ、大丈夫か?」と聞こえてきた。






出先での捜査を済ませ、ステーションへと戻る途中。先輩の真剣な眼差しに気を取られていたらしい。前方不注意のせいで相手を避けきれず、気づく頃には黒髪の男性とぶつかってしまっていた。先輩に奢ってもらったココアが手をすり抜けていったけど、それよりも、地面に横たわるココアを見つめる悲しげな瞳に「ごめんなさい」と伝えずにいられなくなった。そして顔を上げる彼。黒目がちの澄んだ瞳が印象的はその人は、申し訳なさそうに口を開いた。

「いえ、悪いのはこちらです。せっかくのココアを台無しにしてしまって……本当にごめんなさい」

「いやいや!ほぼ飲み終わりでしたし、お互い怪我もなく無事なので全然お気になさらず」

「でも……」

彼は何か思いついた様子で視線を手元のギフトバッグに落とす。すると躊躇なく銀色のリボンを解き、二つ一組みに包装されたマドレーヌを差し出してくれた。

「あの、これをどうぞ」

「えっ?!でもこれって大事な人へのプレゼントなのでは?どうぞ完璧なまま届けてあげてください」

「大丈夫です、自分用ですから」

目の前で広がる純粋な笑顔の奥に、優しい嘘が透けて見えた。それでもやはり手が伸びず、考えあぐねて横にいる先輩を見上げると、微笑んで背中を押してくれた。

「では、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

“とんでもないです”と小さく手を振る彼に、先輩も言葉をかけてくれた。

「私の部下が失礼しました。ココアで着衣は汚れてないですか?」

「はい、大丈夫です」

「よかったです、安心しました。あの、私が言うのもなんですが、お菓子ご馳走様です。それともうひとつ伝えさせてください」

「はい?」

「私たちはきっと、今後マドレーヌを目にする度にあなたの笑顔を心に描くでしょう。必ず、感謝と共に。特別な今宵、どうかあなたと、あなたのそばにいる人たちが、笑顔溢れる時間を過ごせますように」

「はい。あの……ありがとうございます」

きっと彼は“そばにいる人”を思い浮かべたのだと思う。表情を和らげお菓子の袋を優しく抱き締める姿は、“大好き”の気持ちで包まれていた。そんな彼の様子を見守る先輩の横顔は、“お兄ちゃん”の優しさと“カイト”せんぱいの温もりに彩られていて。普段見ることのできない側面(いろみ)を引き出してプレゼントしてくれた黒髪の彼は、偶然出逢えたサンタさん。





二人と別れて家路を急ぐ。ただでさえ余裕がないのに、これ以上遅れるわけにはいかない。誰かを招待するわけではなくふたりだけのディナーなのだから、厳密に時間を守る必要性はゼロに近い。けれど今日はクリスマス。時間をかけいつもの夕食を特別感でラッピングして、いつもの日常にいつも以上の幸せを盛り付けて届けたい。そうやってふたりだけの特別な想いを重ねて、ふたりだけのとっておきの思い出を一緒に増やしたい。永遠の保証はない残りの人生(にちじょう)。それが続く限りは、あの笑顔をたくさん自分の(なか)に詰め込みたい。もっともっと、たくさん。

街の時計塔が六時を告げ、不意に自分を急き立てる。これはもう走って帰るしかない。そう決めて大きく一歩を踏み出した途端、そばのお店から目の前に人影が乱入。覚悟をエネルギーにした歩みを急停止させることなど叶わず、またも衝突事故に。そして瞬時に広がる薔薇の甘い香り。その香りに触発されたのは癒しではなく不安で、案の定、お相手が抱えた花束から花びらが溢れ落ちていく。さらには数本折れた茎が不格好で崩れた花は見栄えが悪い。明らかに自分のせいだ、そう思って自分の手を離れたギフトバッグを拾うより先に視線を跳ね上げた。しかしお相手の頭部に鎮座する猫耳に気が取られ、届けた「ごめんなさい」は残念なほどたどたどしい。あの耳はクリスマスの仮装だろうか、いや、今はそれより先に考えることがあるのに、混乱で言葉に詰まる。すると猫さんに続いて出てきた男性が「意外と頑丈だな、エフって」と笑いながら言った。見れば、彼らが出てきたお店はお花屋さん。つまり自分は出来立ての花束(おくりもの)を台無しにしてしまったのだ。なんて無残な光景だろう。

「ごめんね、大丈夫?」

こちらに降り注がれる、猫さんの心配そうな眼差し。自分には、その優しさを受け取る資格なんてないのに。






クリスマスの今日は、同僚の木崎と弟の(かい)くん、エフ、そして俺の四人でこれからお祝いをすることになっている。クリスチャンではないし毎年行っているものでもないが、今年はみんなで明るい気分を共有したいところだった。

お誘い当初の木崎の反応は鈍く、先約の雰囲気を感じて引っ込めようとしたが、「ちょうど、(かい)を迎えに行こうと思ってたんだ」と打ち明けてくれた。普段接点のない海くんがいては盛り上がりづらいだろうと遠慮し前向きになれなかったらしい。だけど、俺は言った。

「クリスマスってさ、海外では家族で過ごすことの方が主流らしいじゃん」

「そうなのか?初耳」

「まあ、テレビが言ってたことの受け売りなんだけど。それでだ。この日に誰とどう過ごそうと自由でいいと思う。だから、弟くんとゆっくり過ごしたいなら邪魔はしたくない。だけど、木崎は俺の親友であり家族みたいなものだから、海くんも俺の家族同然。心配はありがたいけど、家族に遠慮とか、いらないからな」

「ああ。ありがとう」

そして、笑顔の参加表明があった。

「蜜谷にエフ、そして海。一気に三人も家族が増えるなんて、この上ないクリスマスプレゼントだよ。あ、言っておくが蜜谷。兄は厳しいぞ?」

「え?俺、弟なの?同い年なのに?」

「ハハハ」



二人へのお祝いとして花束とクリスマスケーキを準備し木崎家へ向かう途中、花屋の前でエフが誰かとぶつかった。細身のわりに軽くぐらつく程度で済んだエフは、のんびり構えて相手の顔を覗き込み様子をうかがっている。そして次第に下がっていくエフの耳。その心に、無言で眉尻を落とす黒髪の彼の悲しみが伝染してきているのが見て取れた。折れた薔薇にそっと手を添え黒髪さんは言った。

「あの…本当にごめんなさい……大事な贈り物を、こんな……」

「いいの、大丈夫だよ。まだこんなに綺麗だから」

「……」

エフは本心から言っていたが、黒髪さんの表情は晴れぬまま。するとエフは花束をこちらによこして黒髪さんに向き直り、少し屈んで彼の乱れたマフラーを優しく直しながら言った。

「折れたお花には一輪挿しを選んであげたり、コップに飾ってあげたら綺麗だと思わない?そうやったら、お部屋のいろんな場所に飾れそうじゃない?だからいいの。君のおかげで、木崎くんのお部屋をお花だらけにするチャンスができたから」

「その木崎っていうのは俺たちの家族みたいな人なんですけど。彼なら、同じこと考えると思います」

そう。人によっては喪失に見えることが、人によってはチャンスに見える。ひとつのことの、その先。そこに広がる選択肢は、無限大。俺は、お花だらけの未来を選びたい。

黒髪さんは少しだけ表情を和らげて、地面に落ちたギフトバッグを拾いあげた。そして淡いピンク色の袋から取り出されるチョコがけオレンジと薄紫の小箱。

「もしよかったら、これをどうぞ」

微笑みと共に差し出されるものの、戸惑うエフ。

「これ、プレゼントに見えるけど……いいの?」

「自分用に買ったものですからお気になさらず。お詫びと呼ぶには不十分ですが、お二人と、お二人のご家族さんへ、ぜひ」

「君は本当に優しいね」

そう言い終える前に、エフは彼を抱きしめていた。驚きに肩を震わせる彼にすかさずフォローを入れる。

「すみません、エフは抱きつき癖がありまして」

「ねえ奏、知ってるでしょう。ぎゅってするのは、誰でもいいわけじゃないってこと」

ひたすら緊張しっぱなしの黒髪さんの頭に頬を寄せるエフ。

「君はお花の香りがするね」

「先ほどの薔薇の香りでは……」

「これは、君の香りだよ。とっても優しいお花の香り。そばにいる人を優しさで溶かしてふんわり包むような、君だけの香り。この香りはね、どんなに傷ついても消せないの。君が君であるかぎり」

ゆっくり体を離すと、手渡されるお菓子。二人の体温で温められたチョコが少し溶けていたけれど、それはこのご縁を振り返るためのチャンスの姿。

「お菓子ありがとう。じゃあね。君と、君の大事な人が、みんな幸せになれますように」






猫さんたちと別れた後。地面に落ちた赤い花びらも風に舞い去っていった。自分の横を通り過ぎていく人々は、街を温めるカラフルなイルミネーションに照らされながら楽しそうに支え合い、不運とは無縁に見えて。きっとみんな、自分とは真逆の完璧な人たち。そう思ったら、夕闇の只中に彩度を上げていく月の光すら眩しく見えて。

そして視線を下げれば強制的に視界に入るギフトバッグ。大きめのバッグに残されたのはキャンディとギモーブ、その二種類だけ。今から急いで帰っても、やり残したことの方が多くて確実にパトリックを待たせることになる。この希望に満ちた夜に届けられるのは、お菓子ではなく、感謝でもなく、ため息。

気づけば失意の結晶が頬を滑り落ちていった。

「どうぞ」

どこからともなくふわっと胸元にやって来た、花柄のタオルハンカチ。

「……え?」

顔を上げると柔らかい微笑みが迎えてくれた。ふわふわの白いマフラーをした彼女のコートからは観光マップが顔をのぞかせている。

「よかったら使ってください」

「……いえ、あ、あの……」

「大丈夫です。大丈夫ですよ、それはきっと、大事な(こと)だと思うから」

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