ep.35 翡翠の扉(2)

文字数 4,161文字

 キョウ、檜前准士、青。
 火力の高い班構成となった三人は、主に翡翠領内の外周の広域を担当する事になった。

 首府から西側へ谷を越えた山間部。
 ヒノキの高枝から、村落の様子を眺める三人の人影がいた。

 高いところから、青、その下にキョウ、反対側に檜前。

 山林の中にひっそりと拓かれたその村は、十数世帯がヒノキを切り畑を耕して日々を細々と暮らす、閑村だ。総じて翡翠にはそのように小規模な集落が多い。

 三人が眺める先に、数人の人影が見えた。
 村人の集会場と思われる小さな広場で、円を描いて昼から酒盛りに興じている。

 人影はいずれも獣の皮で作った上衣に、両手足にサラシを巻き、足元に巨大な鉈や、菜切り包丁を巨大化させたような刀が置いてあり、おおよそ木こりや百姓とはほど遠い身なり――いわゆる賊だ。

「ん?」
 賊の一人が、背後を振り返る。

「どうした」
 仲間たちも気がつき、同じ方向へ視線をやった。ヒノキと杉といった針葉樹林の奥から、次第に地響きが近づきつつある。

「何だ?」
「雷でも近づいてんのか」
「地震じゃねぇか? 最近多いしよ」

 呑気に酒を呷る賊らの顔が青くなるまでに、時間はかからなかった。

「おい、あれ」
「やべぇ!」

 山林の向こうから上下に跳ねながら近づく影に気が付き、賊たちが腰を上げる。

 と同時に、
「水神…長蛇」
 青の水術が発動。
 水流が、広がる反物のように賊たちの足元へ絡みついた。

「うっ??」
「足が!」

 粘着質な半液体に下半身を固められた賊たちの前に、藪と木々を突き破って小山のごとき巨大な化け蛙が姿を現した。
 ブヨブヨと波打つ体全体は深藍色で、斑に鉄紺色が散っている。遠目には鉱石のような色合いだが、至近距離ではなんとも毒々しい。

「ぎゃあああ!」
「ひぃい!」

 哀れな悲鳴ごと、化け蛙は身動きのとれない賊らを順々に頭から粘着液ごと、舌で掬い取って呑み込んだ。

「……おぉ…」
「わぁ、刳(えぐ)いねぇ」

 息を呑む檜前と、どこか愉しげなキョウの声。青から「お二人は体力や気を温存してください」と言い渡されているので、両名とも文字通りの高みの見物だ。

 一方の青は、
「……」
 賊たちを呑み込んで消化する化け蛙の様子を、身じろぎせず観察している。

「効きが悪い…か」
 呟き、青は腰から中刀を抜いて枝から跳んだ。

 化け蛙の背――脊椎の一点を狙い全体重をかけて刀を突き立てる。

『ギョボッッ!!』

 青黒い体液が飛び散り、悲鳴とも破裂音とも言い表せぬ断末魔をあげて、化け蛙の体は粘着液に沈んだ。

「なるほど、あそこが急所なんだな」
 高枝からキョウが頷く。
 普段のキョウならば、炎か雷で火力に物を言わせて焼ききるか、力づくで一刀両断にするところだ。

 一方で毒術師シユウの戦い方は、賊の元へ蛙をおびき寄せて喰わせ、更に術を使わず急所を適格に突いて一発で即死させるという、労力温存式。

 あとは死骸を焼き払って終わり、というところだが、
「あの」
 青は高枝に向けて声をかけた。

「この種の妖獣に遭遇するのが初めてで…素材の採集をする時間を頂戴してもいいでしょうか」
「もちろんです。朱鷺一師も、よくそうされていましたよ」

「……あ…ありがとうございます」
 思いがけず朱鷺の名が出て心臓が跳ねる。

 顔を背けて呼吸を整え、この場における班長であるキョウの許可を得て早速、青は腰から苦無と小瓶を取り出した。
 事切れた蛙の表皮に分泌していた滑った体液を苦無の刃先で削いで、小瓶へ流し入れる。

「あの蛙の体液は何の材料に使われるのやら…ですね」
「飲み薬や塗り薬でない事を祈るよ」

 青の採集の様子を高枝から眺めているキョウと檜前の二人は、苦笑を向けあった。

「…おっと」
 ふと、何かに気が付き、キョウは高枝に立ち上がる。
 山林側から新たに現れた気配が地を蹴る音と同時に、キョウの足が枝を蹴った。

 ギャリッ

 金属同士がぶつかる音。

「!?」

 振り向いた青の目の前で、キョウが中刀で賊の刃を受け止めていた。

「なっ…てめぇどっから!」
「お互い様だ」

 短い一呼吸と共にキョウの刀が鍔迫り合いを弾き、その流れのまま刃先が賊の首筋を薙いだ。血を噴き上げ、驚愕に目を見開いたまま賊の体は、糸が切れたように地に落ちる。

「残党がいましたか…、周辺を見廻ってきます」
 続いて枝から着地した檜前が、山林を登って行った。

「頼んだ」
 檜前を見送り、キョウは刀を一振りして血を払い落とす。

「も…申し訳ありません。完全に油断を」
「楽させてもらっていたので、お気になさらず」

 埃を払い落としたほどの、取るに足らないといった様子でキョウは青を振り返った。

「見張っていますから、続きをどうぞ」
「ではもう少しだけ」

 小瓶を道具入れへ押し込み、青は再び腰から中刀を引き抜く。地に伏せた蛙の腹付近へ移動すると、青白く膨らんだ表皮に躊躇なく刃を深々と突き立てた。腹の曲線に沿って下へ引き裂いていく。

「なかなか大胆なことをするものですね」
 周囲を警戒しつつキョウも、好奇心に押し負けて青の背後から裂かれた妖蛙の腹部を覗き込んだ。

「消化具合を確認したくて」
「理由をうかがっても?」
「消化が速いようであれば、強酸を貯める器官があるかもしれないので、それが採取できたらと」
「酸、なるほど」

 キョウは頷きながら、手際よく妖蛙の腹を裂いていく青の手元を眺める。白い皮が何層にも重なり、切り裂くごとに徐々に藍色を帯びてくる。最後の一皮を裂くと、胃の中身と思われる肉塊や吐瀉物のような諸々が大量に流れ出てきた。

「……ぅっ」
 強烈な悪臭。
 さすがのキョウも眉を顰めて指先で鼻を覆う。

「臭いが酷いですね。すみません、すぐ処理しますから」

 刀の刃先で妖蛙の臓物を探り、目当てのものを探り当てる。手首を返して刀を持ち上げると、刃先に青黒い袋が釣れた。それをそのまま、瓶に落として蓋をする。

「終わりました。少し離れて下さい」

 瓶を道具入れへ仕舞い、キョウが距離をとった事を肩越しに確認してから、青は符を手に取った。
 短く唱えて前方へ放る。符が死骸に触れた瞬間から、妖蛙の表皮が符と共にみるみる腐蝕し、爛れ、文字通り「溶け」始めた。

「へぇ…毒を符にしたのか」
 キョウのくぐもった独り言が漏れた。
 鼻と口元を手で抑えて悪臭に目を顰めながらも、毒術師シユウの仕事ぶりをつぶさに観察している。

「水泡」
 続いて青が小さく唱えると、妖蛙の死骸が浸っていた粘着液が急激に嵩を増し、死骸の全身が粘着液に封じられる。まるで琥珀に閉じ込められた虫だ。

「腐蝕が速い」
 キョウが身を乗り出して見つめる中、粘着液に包まれた死骸の腐蝕が急速に進む。
 粘着液に封じられたおかげか、悪臭は激減した。

「……」
 しばし腐蝕の進行を観察した後、青は「うん」と納得したように頷き、

「炎神…玉」
 粘着液に向けて小さな炎を放つ。
 と、一瞬で粘着液に燃え広がり死骸は炎に包まれ、そして数秒のうちに鎮火した。粘着液が燃焼剤となり残ったのは、わずかな骨の燃えカスと、青黒く変色した土。

 青は道具入れからまた新たな小瓶を取り出し、片手で器用に蓋を開けて前方に掲げた。

「水神…玉」
 唱えに応じて液体が瓶の外へ吸い上げられるように昇り、宙空に水玉となって浮かぶ。

「え、蛙が消えた?」
 山林側へ偵察に行っていた檜前が戻ってきた。「し…」とキョウに静寂を促され、数歩手前で足を止める。

 青が手首を返すと共に、宙空の水玉が変色した地面、広場一帯に降り注いだ。
 液体が染み渡ったのを確認すると、青はその場に片膝をつき、両手の平を地面に添える。目を閉じ、大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと、深く、吐いた。

「…土の色が…」
 青の為すことを見守っていた二人の目に、広場の地面一帯から、穢れた腐敗の色が消え去っていく様子が映った。

「今のは、湧き水を浄化した時の解呪と同じですか」
 青の作業が終わった様子を見計らって、キョウが尋ねる。

「直前に私が使った毒の解毒対応です。広義的には解呪と同じですね」
 質問に答える間、青はキョウたちに背を向け、色を取り戻した土の感触を確かめていた。

「死骸を溶かしたやつの?」
「はい。私が製作した、有機物を即座に腐蝕させる劇毒です。この手の毒は放っておくと土壌を穢してしまうので、対となる解毒薬も作りました」

「解毒薬?」
 キョウは小首を傾げた。

 討伐対象の死骸を処分するために、腐蝕を促す毒薬を用いた経験はキョウにもある。
 凪法軍の劇薬に分類される毒薬目録に登録されている登録名「病葉(わくらば)」がそれに該当するが、対になる解毒薬など見た覚えがない。

 そもそも「劇薬」と認定されている強力な毒物にはどれも解毒薬は存在せず、故に厳重保管され使用者も使用機会も厳しく限定される。

「効力が強いだけの毒を作り出すのは容易ですが、効力の強さと二次被害の大きさは比例します。それが酷く無責任だと思うようになりまして…自分の銘で登録する時は、必ず対となる予防もしくは解毒薬とで組にしようと決めているのです」
「それは……」
「あ…偉そうに能書きを垂れましたが、まだ目録への登録には至ってないのです。それに解毒には少しコツも必要で、汎用的とも言えず…」

 立ち上がり、青は苦笑を零しながらキョウと檜前を振り返る。

 朱鷺の教え通り、獅子の位に任命されてから開発――つまりシユウ銘の毒や薬の目録登録を新たな目標としているところだ。

「もっと試行を重ねて精度を上げて、使い勝手もよくしないと」
 視線を二人に向けたまま、青の手が手際よく、刀や薬瓶をそれぞれ腰の所定位置に戻した。

「本当は、速効性がありながら自然に土へ還る毒を作りだせたらいいのですが、私の技術や経験が及ばず。他にも人体には無害だとか、使用者におよぶ危険性を減らせたらとも思うのですが、一方で劇薬の敷居が低くなる事が果たして良い事なのかという――あ」

 また話が冗長になってしまったと、青は覆面の上から口元に手をあてた。
「――失礼しました。また余計なことを」

「いや」
 青の自嘲を、キョウの微笑が否定する。

「選べるのなら、俺は二師の名による物を選びたい、と思いますけどね」

「同感です」
 檜前も頷く。

「え……」
 キョウと檜前の思わぬ言葉に、青は二の句を忘れて固まった。
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