ep.30 覚悟(2)

文字数 3,369文字

 朱鷺と別れてから青は「大月青」として、森の作業小屋へやって来た。

 任務の相談をした後、
「今日はやめておきましょ…」
 との朱鷺の提案で今日の実験は解散となったのだ。

 心あらずな状態で繊細な術の制御を必要とする実験は、暴発を招く危険性がある。今日はその気遣いが、ありがたかった。

「解」

 幻術を解くと小屋が姿を現す。少々ガタが来ている木戸を引いた。

「ただいま~」

 戸口を跨ぐ時はいつも、誰にともなく声をかける。

 部屋へ上がったら窓という窓を開け、木戸もしばらく開きっぱなしにして風を通す。

 棚に軽くハタキをかけて埃を飛ばし、長期間ぶりの時は室内全体的に水拭きを施す。

 それが小屋を出入りする時の、青の習慣だ。

 藍鬼が使っていた時からほぼ変わらない家具や道具の配置そのままに、棚の一画だけが唯一、青が手を加えた場所だ。

 藍鬼が遺した螺鈿の箱と、予備の鬼豹の仮面が立て掛けられている。

「師匠」

 仮面と向き合う位置に、青は腰を落として正座する。懐から虎の甲当てを取り出して、仮面の前に置いた。

「虎の位に任命されたよ」

 黒い面が心なしか、微笑んだようにも見える。

「でも朱鷺一師に叱られちゃったんだ。あの方はいつも、現実を教えてくれる」

 今度は、少し苦笑いしたようにも見えた。

「……」
 しばし、仮面を見上げて青は口を噤んだ。

 開け放った窓からは、晩夏の蝉の音。戸口の外では、遅咲きのノリウツギやサルスベリが風に揺れている。

 微量の涼が混じる風が、室内を吹き抜けた。

「よし」

 青は立ち上がると仮面の前から虎の甲当てを取り、懐へ仕舞う。次に棚の隣に並ぶ作業机に向かい、取り出した任務依頼書を広げた。改めて詳細を確認した。

 標的は凪之国の州の一つ、洒州(サイシュウ)を統轄する洒侯(サイコウ)の末の弟にあたる男で、謀反の嫌疑がかけられているという。

 洒侯は自らの潔白を証明するため国に末弟および家族の誅殺を直訴、受理された結果が任務依頼となって青の手に渡り今に至る。

「期限は…一月(ひとつき)あるのか」

 病に見せかけた暗殺―つまりは作為を感じさせずに亡き者にせよとの指令。それには時間を要すると任務管理局が判断しての期限設定であろう。

 依頼書に付随する資料を捲り、標的の詳細を紐解く。
『依頼書をよく読んで、考えてみて』との、朱鷺の言葉に従って。

 凪之国、洒州の長、洒侯は六人兄弟であり、すぐ下の実弟以外の弟妹たちとは母親が異なる。

 名門、名家にありがちな異母兄弟を軸にした、其々の親族らによる権力争いの典型的な図式だ。

 その中で末弟である今回の標的はまんまとその神輿に担ぎ上げられ、異母兄である洒侯の転覆を狙って成り替わろうと不穏な動きを見せているという。

「諸侯絡みの事件が続くなぁ…」

 青は作業台上の本立てから軍用地図を引っ張り出して広げた。凪之国に存在する七つの州の一つ、洒(サイ)。都の北東に位置する州で、五大国の一つ稲之国に接している。

 標的の実母および妻は稲之国の名家の出であるという。

「なるほど。だから「病死」に見せかけたい…」

 凪としては洒侯を失う訳にはいかず、一方で凪と稲の摩擦を回避し、かつ末々の憂いを断ちながら牽制したい。その最適解がこの任務依頼書なのだ。

「…まずは偵察、かな」

 青は立ち上がり、長期任務用の鞄を取りに奥部屋へ向かった。



 数日後。
 青は偽の庭師として、標的の屋敷内の中庭にいた。

 事前に、水術を使って屋敷中庭の池への水脈を詰まらせ、池の水が濁りだしたのを見計らい、職人の装いで何食わぬ顔をして正面から訪問したのだ。

「近隣のお屋敷でも同様の現象が起きていますので、もしやと思った次第です」

 対応した女中頭と思われる中年の女へ丁寧に説明すると、いとも簡単に信じて通してくれた。

 幼い頃、女子には「優しそう」、トウジュには「油断してるとナメられるぞ」と言われた顔が、こういう時に相手へ敵愾心を与えにくくて役に立っている。

「詰まりを直して、水を入れ替えますので、半日ほどお時間いただきます」
「ちょうど良うございました、ではお願いいたします」

 池に浸かって泥さらいを始める青に、女中頭は安堵して頷き、縁側廊下を歩き去っていった。

 これで半日、屋敷内の様子を窺う時間が稼げる。実際のところは術を使えば一瞬で水の詰まりは直せるのだが。

「学校で池の掃除をした経験が役立つとは」

 水を少しずつ抜き、掃除用網や鋤を用いて落葉や泥をさらいながら、青は聴覚と意識を屋敷側の音へ全集中させる。

 屋敷内の人数、位置関係、それぞれの動線、来客の様子、会話といった情報が、物音を聞き続ける事で把握できるものだ。

 二刻も経過する頃には、水が抜かれた池の沈殿物が処理されると共に、屋敷内の概ねの状況は把握できた。

 その中で最も大きな収穫であったのは―

「おい!まだか!」
「は、はい、ただいま…!」

 奥の部屋から怒声が聞こえる。
 青が作業を始めてからもう五度目だ。

 声に急き立てられて女中が慌てて盆を運び廊下を足早に進む。盆の上には、数本の徳利。酒だ。

「……」
 池の中で中腰になっていた青は上背を上げる。

 屋敷の方を振り返ると、障子の一つが乱暴に開かれて、膳や盆が廊下へ投げつけられた。

 追加の酒を運んできた女中が小さな悲鳴を上げ、新たに運んできた酒を零してしまうと「愚図が!」と再び怒声、室内からけたたましい音を立てて男が廊下へ姿を現し、怯える女中の背中を蹴り倒す。

「お、お許しを…」
「今すぐ新しくご用意致します」

 蹴られた女中は俯いて身を起こし、寄り割れた徳利や盃を拾う。別の女中が慌てて台所へ消えた。

「依存症か…」

 廊下へ姿を現した屋敷の主人―すなわち任務の標的である男―の横顔を、青は庭から窺い見る。

 顔色が土黒い。今日だけの悪酔いではなく、長期にわたり慢性的な状態で酒に溺れているであろう事が伺えた。

「!」
 ふと、横目と視線がかち合った。

 しまった。と思いつつ、青は咄嗟に深く頭を下げた。

「何だガキ。生意気な目で見やがって…」

 粗野な足音が近づいてくる。履物も履かずに縁側から庭へ降りてきた男は、頭を下げたままの青の前に立った。すらりと、刃物を抜いた音がした。

 「ひっ」と女中の引きつった悲鳴が聞こえる。

「……」

 青は表情を変えず俯いたままでいた。
 視界に男の足元が映る。
 酔っ払いの剣など、恐れることはない。

 振り下ろされたらギリギリで避けて、慌てた振りをして逃げれば良い。

「あなた、おやめください…!」

 新たな声が、青と男の間へ横切った。
 そっと顔を上げると、露草色の染が視界に入る。

「この子は、池のお掃除に来てくれただけです」
 男の妻だ。

「チッ」
 微量の冷静さを取り戻したか、男は刃を収めると青と妻に背を向けて、再び荒い足音をたてながら縁側を上がって室内へ姿を消した。

「あの人が…ごめんなさいね、怖がらせて」
 ため息の後、男の妻は青に向き直る。

 良家の淑女を体現したような、たおやかな女性だ。こうして夫が狼藉を働く都度、妻が代わりにおさめているのだろう。

「いいえ、私の方もご無礼いたしました」
 青が微笑み返すと、奥方は安堵に面持ちを緩ませた。

「ははうえ」
 離れと思われる館へ続く渡り廊下から、か細い声。

 柱に半分隠れた、幼い子どもがこちらを覗いている。着ている物からそれは男と奥方の子で、男子であるからおそらく嫡子であろう事が推測できた。

 青が少年へも微笑んでみせると、
「お池のお掃除ですか?」
 と少年が縁側廊下まで駆けてきた。

 年は三つ程だろうか。年齢の割に言葉が達者なようだ。

「はい。もうすぐ終わります。水が綺麗になれば、鯉や亀もまた元気になりましょう」

 掃除中の池の側には水を張った盥(たらい)があり、そこに池で飼われている生き物を避難させていた。青の言葉に少年は嬉しそうに破顔する。

「ありがとう!おにいちゃん」

 拙いお辞儀をして、少年は屋敷の奥へと駆けて行った。利発で賢い子だ。

「後で甘いものを用意させますから、ぜひ食べていってね」

 息子が青に懐いた様子へ嬉しそうな笑みを見せて、奥方も庭から去っていった。

「お気遣い恐縮です…」

 女中たちがいる台所の方へ遠ざかる露草色を見送って、

「……」

 青は、しばし池の中で佇立(ちょりつ)していた。
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