ep.11 祈り(2)

文字数 2,492文字

 数日後。

 七重塔の正面は物々しい門と石壁で下界と隔てられており、目に入る場所すべてに警備や衛兵の姿が見受けられ、なんとも厳めしい空気を放っていた。

「近くから見ると、やっぱり大きいね、先生」
「本当ですね…」

 門を抜け、小松先生と青の二人は霊山のごとき七重の塔を見上げる。若い女と少年の二人組はこの場で目立っていた。当然、不釣り合いという意味で、である。

 いくつもの衛兵や行き交う文官や高官らしき人々の視線をやり過ごし、二人の身長の十倍はありそうな高さの木門をくぐり、石畳の玄関口に入ると受付係数人が仕切られた窓口ごとに並んでいる。

 そのうちの一人に小松先生が声をかけると、すんなりと奥の廊下へと通される。

 どうやって階上まで登るのだろうと青が考えていたところ、二人は四角い箱のような装置の前へ案内された。本立てのような木と鉄で組み合わされた箱の中に立つと、巨大な歯車が動力となって箱を上へ上へと押し上げる。

「わあ、面白い。先生、これ何ですか?」

 ぐんぐんと階下の景色が遠ざかっていく様子を楽しむ青の横顔に、小松先生は優しく笑いかける。

「これは昇降機って言います」
「どういう仕掛けで動いてるんだろう…」

 青の視線は上下左右へとせわしなく動く。からくりが理解できれば、罠作りの参考になるかもしれない。目にするもの全てから学ぶ。師の言葉を青は忠実に実行していた。

 目的階につくまで、小松先生は静かにその様子を見守っていた。

 間もなく昇降機は減速し、鐘の音と共に停止した。鉄柵が降りて目の前に伸びる廊下への渡り板が伸びる。

「どうぞ」

 門衛の仕草に促され、小松先生と青の二人は廊下へ足を踏み入れる。二人が階に降り立った事を確認した門衛によって渡り板が取り外されて、再び昇降機の柵が閉じられる。

 敷物が張られた廊下を歩くうちに、外廊下が見える硝子壁へと景色が変わる。こんな高い場所まで自分を抱えて跳んできたのかと、改めて青は藍鬼の風術の力に驚く。

 そこを過ぎれば見た事のある光景だった。大人四人分ほどの巨大な扉があり、両脇には門衛。扉の前には藤色に金刺繍の敷物。

 二年半ごしの、長室だ。

「先生はこちらでお待ち下さい」

 門衛の一人が、廊下の壁際に置かれた長椅子を示した。振り返る青へ、

「大丈夫ですよ大月君、笑顔でいきましょ」

 小松先生はいつもの「大丈夫ですよ」と共に大きく頷いた。

 観音開きの扉が開かれ、青一人が中へ通される。その先に見える光景はやはり二年前と同じ。巨大な執務机があって、右手には書棚。執務机の向こうに長衣の長がいて、左手は総硝子張りの壁、その前に、

「し、師匠!?」

 藍鬼が立っていた。

 見慣れた黒い鬼豹の仮面、だがいつもと異なるのは、脛まで隠れる長い外套を身に着け、背に大きな鞄を背負っていること。

 厚みのある外套の薄青の生地はあちこち汚れが目立つ。任務から帰還したばかりであろう。

「こんにちは、大月君」

 執務机の方から、長の声。

「あ」

 我に返って執務机へ向き直ると、二年前と変わらない、長の柔らかい笑みが青を出迎えた。

「えっと、大月青です、このたびは、え、エッケンの」

 校長先生たちに教えられたご挨拶をいかにもぎこちなく口にすると、

「面倒くさいご挨拶はいいよ。「おじちゃん」と話をしよう」

 長は気さくに手を振る。

「あ、その、えっと」

 二年前の自分の失言に赤面しつつ、ちらちらと藍鬼が気になって落ち着かずで、青の感情は忙しい。

「四種の一級資格、最年少合格おめでとう。よく学んでくれているようで嬉しいよ」

 長は改まった語調で祝福を口にした。

「もっとも、私からより「彼」から言われた方が嬉しいかな」

 彼、で長の目は硝子壁の前に立つ外套の藍鬼を一瞥した。
 助けを求めるように青が師を振り向くと、外套に包まれた師は首だけで頷く。

「返事ができていなくてすまなかった。よくやった」

 藍鬼の言葉は素っ気ないものであったが、青を破顔させるには十分だった。

「うん、ありがとう!」

 師弟の結びつきを前に長の瞳が瞬時、鈍色に曇った。

「君にここに来てもらったのは、ただ話をするだけではないんだ。私から贈り物があってね」

 長が片手を上げると、門衛が頷いて扉を開ける。
 青の背後へ文官が一人、室内へ足を踏み入れた。

 文官は両手で恭しく三宝を掲げ、青の横に回り込むと腰を屈めた。

 青の前に、盆の上に乗せられた手形が差し出される。

 撚った飾り紐が結ばれた、長方形の小さな木の短冊だ。墨文字の上に朱印が押されている。

「それは通行手形だ。書いてある場所へ自由に出入りができる」

 短冊には「七重塔 一層 蟲之区」と書いてあった。

「あ、ありがとう、ございます。む、ムシ?」

 青が短冊を受け取るのを見届け、文官は一礼し、楚々と部屋を出ていった。

「この塔の一階層の、東側の区画に、大きな書庫や工房があって、その一帯が蟲之区と呼ばれているのだよ」
「なんでムシなんですか?」
「本の虫や、研究の虫が大勢いる場所だからね」

 駄洒落でついた名前らしい。

「え…ムシがいっぱい…?」

 ピンと来ていない様子の少年へ、

「近々、行ってみるといい。そろそろ学校や霽月院の図書室では物足りなくなるだろう」

 長は最後に微笑みを手向けた。

「さて」

 と一区切りの息を吐き、長は次に藍鬼へ目配せをする。

「待たせた。どうぞ」
「……青」

 硝子窓の前、外套の中で腕を組んだ姿勢のまま動かなかった藍鬼が、青へ一歩を踏み出した。外套の長い裾が厚みのある音をたてて揺れる。

「俺からも、お前に渡すものがある」
「師匠からも?!」

 分かりやすく黒曜の瞳が爛々と輝く。

「明後日、明けの六つの刻に、森の小屋へ来てくれ」
「明後日?分かった!」

 仮面を見上げる青は、素直に頷いた。何故そんな早朝に、という疑問は沸かなかった。この一年、実技練習のために早朝集合を命じられる事はしょっちゅうあったからだ。

「楽しみにしてるね!」
「…ああ」

 やや躊躇したような一息を挟んで、黒い仮面は弟子へ優しく頷き返した。

「……」

 頬を紅潮させる弟子とその師の様子を、長は執務机ごしに黙って見守っていた。
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