ep.23 血と毒

文字数 6,058文字

 夏が近づく森の夕暮れ刻、戦いの喧騒が止んで穏やかな静けさが訪れようとしている。
 木々がなぎ倒された谷間(たにあい)の森の真ん中で、楠野隊と一色隊が合流した。
 匪賊の気配は消え、双方の隊員ともども、激しい一戦を交えた後の疲労感を漂わせている。
「楠野隊、無事か」
「負傷者一名、死者無し、続行可。一色隊は」
「軽症者三名、死者は無し。こちらも任務続行可能」
「討ち漏らしは推定二~三人」
「こちらも同数程度。ここまでの殲滅数は―」
 青は興味深げに両上士のやりとりを聞いていた。
 互いに短い文節、最小限の言葉で効率の良い情報共有を行っている。上士同士だと一色隊長の言葉遣いが変わるのだな、などと思いながら彼らの話を頭の中で総合し、整理する。
 賊は東西に別れた二隊それぞれに襲撃を仕掛けていた。いずれも賊にとって地理的有利な谷間へ隊を引きずり落とす作戦は共通しており、先に片づけた方から合流して残った方を始末する算段だったと思われる。
「皆よく対応してくれました」
 面々へ、一色隊長が労いの言葉をかけた。その間、蓮華が負傷者を診て回っている。
「今晩はここで一泊、出発は翌早朝。北上して賊の砦を目指します」
 隊長および副隊長から野営の準備係、賊の死体処理係、が命ぜられる。
「では…私たちは…周辺に獣除けを」
 輪の外から朱鷺が手を挙げた。
「それはありがたい。お願いします」
 一色隊長が頷く。野営地の周辺に妖を含む獣や虫が嫌う薬の散布や術を施すという、安全対策。これも集団任務における毒術師の役割の一つだ。
「シユウ君、こっち…」
「はい、ただいま」
 朱鷺に呼び寄せられて青が駆け寄る、その背中へ、
「ちょっといいか、シユウ佳師」
 声がかかった。振り向くと、楠野上士とその隣に蓮華が並んで立っていた。その後ろでは、中士や准士らが火起こしや天幕張り等それぞれの作業に取り掛かっている。一部の者は賊の遺骸処理へと向かっていた。
「何故お前までついてくる」
「あら、私が最初に約束してたのよ」
 楠野上士と蓮華の、他愛もない小競り合いが近づいてくる。その様子が青の目には、互いに近しい間柄のものに映った。
「何か、ご用命でしょうか」
「隊が急襲を受けた時に、お前が何やら対策を講じたようだな。罠だと蓮華は言っているが」
「罠…?」
 楠野の話に、朱鷺が呟きを漏らす。
「詳細を説明してくれ」
「は、はい」
 ちらりと、青は横目で朱鷺を一瞥した。龍と獅子が揃っている前で説明をする事に、多少の気後れを覚えなくもない。
「あれは水術と地術を応用した罠で」
 青が賊を相手に仕組んだのは、藍鬼との訓練の中で用いた水罠だ。
 苦無で切り込みを入れた木の根から毒薬を流し込み、地術と水術を用いて木の根を介し地中に毒を行き渡らせる。距離を取って隊を取り囲む賊の導線下の木の根に、劇毒を含んだ水を瘤状に貯めるのだ。
「瘤の真上を踏むと毒が噴出するという仕掛けです」
 ただ、本来であれば時間を要して念入りに準備をするところを大突貫で術を使用したために、最後は目眩を起こして動けなくなってしまったのだが。
「…ほう」
「へぇ~、地雷みたいね。面白いじゃない」
 楠野と蓮華がそれぞれの反応を見せた後、顔を見合わせる。
「……」
 一方、朱鷺はただ無言で身じろぎ一つしない。
「ちなみに、使った毒というのは?」
「対妖獣や妖虫用です」
「どうりで」
 楠野が苦笑で応える。悲鳴を手がかりに楠野が賊を切り捨てた時、まるで強酸でも浴びたかのように賊共の皮膚が酷く爛れていた事を思い出した。
「あの時はお前の機転が突破口になった。お手柄だったな」
「あ…ありがとうございます!」
 楠野は踵を返しながら「ただし」と継いだ。
「動けなくなってるようじゃまだ甘いからな」
「一言、多いんだから」
 苦笑する蓮華を伴い、楠野上士は忙しく動き回る部下達の元へ去っていった。
 そんな二人を青が見送る間、
「水術と地術を応用した…罠…水罠…」
 朱鷺は独り、薄闇の中で繰り返し呟いていた。
「朱鷺一師…?」
 歩み寄ろうとして、青は思わず足を止めた。木陰の薄闇の中でぶつぶつと呟きながら、微妙に左右に揺れている朱鷺の様子が、一種の妖怪のようにも見えてくる。
「……」
 きっと考え事をしているのだろう。
 そう思うことにして、青は静かに様子を見守る事にした。

 それから朱鷺が我に返るまでに、半刻ほどの時間を要したのであった。 



 獣除けの手法はいくつか存在するが、最も単純なのは獣が嫌がる薬の散布だ。
「私は東回り…シユウ君は西回りで…」
 朱鷺はシユウへ薬瓶を手渡し、二手に分かれて野営の周辺に円を描くように薬品散布を指示した。
「分かりました」
 素直な返事の後、シユウはしげしげと薬瓶を眺め始める。瓶に貼り付けた札に書いてある文字、液体の色、蓋を開けて匂いを確かめたりと、念入りだ。
 評判通りの子だ。
 それが朱鷺がシユウに抱く印象だった。
 蓮華が言っていたように、朱鷺は高難易度任務に、なるべく若手の毒術師を指名する事にしている。
 選定方法は単純だ。過去の任務記録からのあらいだし。過去の任務記録閲覧は、高位の者に許された権限だ。
 その中で目に止まったのが、一色上士が隊長を務めた人面蜘蛛討伐任務の報告書。狼に任ぜられたばかりの新人毒術師の初任務でもある。任務規模は小規模なものだが、隊長が負傷するという事態においての機転の利かせぶり。
 その報告書で最も朱鷺の目を引いたのは、その新米が攻と補の両方を担っていたところだ。
 ヌシ級の妖虫を相手に毒針で動きを止め、その後の解呪や傷の応急手当も丁寧かつ適切な対応をしている。新人らしからぬ高い評価がつけられていた。
 その後は後方支援の小さな任務が続くが、いずれも丁寧な仕事ぶりという好印象は変わらない。楠野上士が隊長を務めた妖獣掃討任務では代理で薬品を届けるだけの役目であったが、楠野の体調不良を蓮華二師に報告するなど、細かい所に気と目が行き届いている。
 今回の匪賊討滅任務へシユウの指名を考えていたところに舞い込んだ、国抜け組織殲滅任務。滴の森で拾った薬瓶にシユウの署名を見つけた時は、何か導きのような予感を覚えた。
 あの時に森で出逢った医療士の少年との関連性を勘ぐることはしない。
 朱鷺にとっての判断材料は、今こうして共にしている任務での、シユウの一挙手一投足が全てなのだ。
「水罠…水術の澪は必須として…地術は主根…あと蠢動…かしら…?」
 薬の散布を進めながら、朱鷺はシユウが仕掛けた罠の仕組みを脳裏で分析していた。
 水術の澪、地術の蠢動、主根などの制御や透視・探索系の術は軽んじられる傾向にあるが、技能師の間においてはどれも有用視されている術だ。
 それを上手く組み合わせた発想力もさることながら、朱鷺が驚かされたのはその制御力。
 同属の術を連続使用する事はできても、火と水といった属性の異なる術を連続発動もしくは組み合わせる事は難易度が高く、気力を激しく消耗する。
 それを緻密に正確に制御できなければ、罠に応用はできない。
 だがシユウには、その基礎ができているという事なのだ。
「見てみたかった…な…水罠」
 別働隊に分けられてしまった事が悔やまれる。
「一師、僕の方は終わりました」
「!」
 声をかけられて顔を上げると、目の前にシユウの姿がある。考え事をしながら散布を進めるうち、いつの間にかお互いに半円を描いて合流していた。
「あら…もう?」
 熟考に入ってしまうと時間の流れを忘れてしまう。
「一師、この獣除けの薬について、少しお話を伺ってもいいですか?」
 シユウの手には、空になった小瓶。貼られた札には「熊隠れ」という薬品名と、龍の判と朱鷺の署名。
「…構わない…けど」
 何を訊かれるのだろうと内心が踊っている自分に、朱鷺は少しの驚きを感じていた。
 


 陽が落ちかけ夕暮色が藍色へと塗り替えられようとする頃。賊の遺骸処理にあたっていた面々が野営地へ戻ってきた。野営地には既に天幕が張られ、火も焚かれている。
「隊長たちが、お話しがあると」
 そんな中、獣除け薬の散布を終えた朱鷺と青は、見回り役の中士に声をかけられた。隊長と副隊長の天幕へ向かうと、そこに一色と楠野の他、三人の獣血人の中士と、蓮華もいた。
 青は思わず三人を凝視しかけて、視線を逸らした。興味本位や奇異の視線を向けられる事の不快さを、毒術師として自らも味わってきたのだから。
「獣除け、完了しました…お話し…とは?」
 後の隣で、朱鷺面の嘴が、天幕にいる面々へ一巡した。
「技能師の皆さんの見解を伺いたい事があります」
 一色の説明によると、こうだ。
 賊の遺骸処理を担当した雲類鷲、檜前、小毬中士によると、賊の遺骸から「獣」の臭いがしたという。
「獣の…でもそれって普通の事ではなくて?」
 蓮華が首を傾げた。
 賊が森で暮らし活動しているのであれば、森の獣を喰らい、血に触れ、皮を身につけるなどして臭いが移る事は自然ではないか、ということだ。
「私も最初はそう考えたのですが」
 一色が応え、
「雲類鷲(うるわし)、詳しく」
 楠野が継いだ。楠野に促され「はい」と雲類鷲中士が一歩進み出る。切れ長の涼やかな瞳が、天幕内の面々を一巡した。
「我々も、遺骸を検分するまでは気づきませんでした」
「血の臭い…?」
 無意識な青の呟きに「はい」と雲類鷲が頷く。
「表面的に染み付いた臭いではなく、もっと体の奥深くに混ざり合うような…人間の血に異質な臭いが混在していました」
 説明が難しいのですが、と雲類鷲は言葉を切って少しの思案を挟む。
「あれ、見せてみるか。百聞は一見に、だ」
 楠野が目配せをすると、三人は顔を見合わせた。
「承知」
 と次に檜前中士が前に出る。この天幕の中でもっとも上背があり、厚みのある体躯。変貌後の羆に似合う見目だ。徐ろに檜前は苦無を取り出すと、自らの手の平にうっすらと線を引いた。少しずつ血玉が浮き出てくる。
「俺は体験済みだからトモリ、お前やってみろよ」
 楠野が苦無を一色に手渡す。
「何をだ?」
「袖」
 困惑する一色は、楠野に促されるままに片腕の袖を捲った。
「腕、切ってみろ。ほんの少しでいい」
 首を傾げ、言われるがまま一色は苦無で腕に小さく傷を作る。ミミズ腫れのような傷跡から、薄っすらと血が浮かび上がった。
「?」
 青は小首を傾げ、目の前のやりとりを見つめる。朱鷺と蓮華は身じろぎせず佇んでいた。
「失礼」
 短く断りを入れ、檜前が一色の腕をとる。切った檜前の掌の傷と、一色の腕の傷を重ねる形だ。
「…?」
 天幕に一瞬の静寂が通り過ぎ、
「っ!」
 一色の顔色が変わった。
「ぐ、っ…!」
 目眩でもしたか、体の均衡が崩れて半歩身を引く。
「離…っせ!」
 檜前の手を振りほどき、一歩、二歩と後ずさって、膝の力が抜けて体が沈みかけたところを背後から楠野が羽交い締めにして一色の体を支えた。
「ど、どうしたんですか??」
 慌てる青とは対照的に、蓮華と朱鷺からは一切の感情の揺れが見られない。
「い、今のは…」
 呼吸を整えて一色は自分の足で体勢を立て直すも、その面持ちには疲労の影が残る。
「よく分からないが…心臓を掴まれたように苦しくなって、それで」
 一色の視線が、檜前を見上げる。
「一瞬、君がとても、怖ろしいものに感じた…」
「怖ろしいものに…」
 隊長の様子に、朱鷺と蓮華が顔を見合わせた。
「念のため、解呪を」
 朱鷺が前に進み出て、一色の腕をとり符を添える。解呪の唱えで符が青白く発光。握りつぶした龍の手甲の掌に、黒煤は残らなかった。
「申し訳ありません、ご無礼を」
 一歩引いて頭を下げる檜前へ、
「いや、謝らなくて良い」
 一色は柔く首を横に振った。顔色はだいぶ平常に戻っている。
「血毒…ってこと…かな」
 様子を見守っていた朱鷺の呟きに、蓮華から「そのようですね」と同意の頷きが返った。
 血毒(ちどく)は、薬術や毒術で使われる通称の用語で、青も机上の知識としては知っている。言葉の意味合いは血に限らず、体液や唾液も内包している。噛まれたり、創を舐められたり、触れたり、粘膜に付着したり、様々な経緯で人間の内部を侵す要因を指し、総じて人間にとって強すぎる影響となることから「毒」と呼称されている。
「あなた達の血は、人にとって強すぎるみたいね」
 蓮華の視線が、三人の中士たちに向く。
「傷口から中に入り込んで、隊長の精神に一瞬だけど、影響を与えかけた」
「精神にも、ですか?」
 思わず青は身を乗り出す。本で得た知識では、身体への影響についてしか記述が無かった。
「隊長が…檜前中士に抱いたのは…「畏怖」…」
 それは獣がより強い獣に対し抱く、怖れと、念。
「檜前中士の血が、一瞬とはいえ、一色上士の意を掌握しかけたってこと」
「では、賊の遺骸から嗅ぎ取った臭いというのは…」
「恐らく我々と同じ獣血人か獣人の血と思われます」
 ちなみに、書物上の記載において獣血人と獣人の違いは「二足歩行し人間と同等の知能、言語能力を持つ獣」が獣人であり、一方の獣血人は「獣の血を持つ人間」とされている違いがある。
 だがいずれも五大国においては極めて稀少種である事から、彼らに関する情報や資料はほぼ無く、伝承上の存在とすら位置づけられているほどだ。
「こいつらの五感は、信用していい」
 俺が保証する、と楠野。訓練所の教官として三人と過ごす時間が他者より長い分、身を持って理解しているのだろう。
「…実は…心当たりがあります」
 ぽつりと、視線を伏せていた小毬中士が声を発した。
「私たち三人よりも前に、訓練所にとある獣血人が所属していたと聞きました」
 こころなしか、声に細かな震えを感じる。
「俺が教官として入る前の事だが、聞いたことがある」
 と、楠野が続く。
「確か訓練所を辞めて姿を消してしまったとも聞いた」
 雲類鷲や檜前の表情にも影が差した。
「そんな…」
 青は覆面の下で軽く唇を噛んだ。行方を晦ました人間の末路はいくつかの可能性があるものの、最悪な事例は賊化や国抜けだ。いずれも待ち受けるのは法軍人による誅殺、死。
「その獣血人について何か知っている事は他にありますか」
「申し訳ありません」
「俺もそれ以上の事は」
 ふむ、と一色は顎に指を添えて口を噤んだ。
 また天幕にしばしの静寂が流れた。幕の外からは、ひと仕事を終えた面々が火を囲んで寛ぐ声が流れてくる。
「仮に賊の中に獣血人がいるとして、そいつが鼻や夜目が利くとしたら」
 一色が、視線を上げた。
 天幕の中、全員の視線が隊長を向く。
「私なら、砦でのんびりと待つ指示は出さない」
「!」
 いち早く動いたのは楠野だった。
「総員、夜襲に備えろ!」
 天幕を出て、休憩に入っている面々に呼びかけた。
「え…!?」
「承知!」
 緩みかけた野営地の空気が、一瞬にして再び張り詰めた。
 太陽が沈みかけた逢魔ヶ時の空は紅色と紫色が混じり合い、夜闇を迎える前の最後の輝きで森を染めている。
 夜の帳が下りる時、森はまた戦場となる。
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