第1話 金猫のたま

文字数 1,839文字

 ある日の午後。同心の犬山金吾は、

岡っ引きの橋蔵から、奇妙な話を聞いた。

 犬山が、過去の捕物帖を見返していると、

「両国の金猫銀猫という女郎屋にいる

たまという女郎のことなんですがね、

上玉という評判がたって、

鼻の下のばした客があとを絶たないっていうんでさあ」

 橋蔵がいつものように、脇に立つと噂話をはじめた。

「それがどうしたってんだい? 」

 犬山が顔を上げると言った。

「鳶をやっているダチが評判を聞いて

たまを指名したそうなんですがね

床入りする前に、眠っちまったらしく、

朝起きたら、何も覚えちゃいねぇてんですよ」

 橋蔵が面白おかしく、ダチの失敗談を語った。

「いくら、つぎ込んだか知らねぇが、

大事な時に寝ちまうとは、

阿呆としか言いようがねぇぜ」

 犬山が鼻で笑うと言った。

「それが、ダチだけではないてんでさあ。

他にも数人、床入り前に寝ちまって、

気づいたら、朝だという野郎がいるそうな」

 橋蔵が身を乗り出すと言った。

 ひとりではなく、何人もの客が

口をそろえて、何も覚えていないというのは、

どう考えたって不自然だ。
 
「眠り薬でも盛られたにちげぇねえ」

 犬山が、橋蔵の推理をズバリ言い当てた。

「そうでねぇかと、探りを入れてみたんですが、

何も変わったところはなかったそうな」

 橋蔵が神妙な面持ちで言った。

「ほっておけ。どうせ、じきに、店をたたむことになるさ」

 犬山がぽつりと言った。

「それは、いってえ、どういうわけで? 」

 橋蔵は、犬山が放った言葉を聞き逃がさなかった。

「ここだけの話だが、近じか、

岡場所を一斉、ガサ入れするらしい。

問題がある店は容赦なく、お取りつぶしとなるわけさ」

 犬山が腕を組むと言った。

 ようするに、わざわざ、手を下さずとも、

たまのいる女郎屋はお取りつぶしになるというわけだ。

「もし、お取りつぶしになったら、そこにいる女郎らは

どうなっちまうんですか? 」

 橋蔵が訊ねた。

「そうさねえ。稼ぎの良い女郎は、

吉原に所替えになるんでねぇのか」

 犬山がそっけなく答えた。

「あの。親分。たまの身辺を探るうち、

あることに気づいたんでさあ」

 橋蔵が言った。

「気づいたこととは何だ? 」

 犬山が、橋蔵の顔をのぞき込むと訊ねた。

「親分は覚えていますか? 」

 橋蔵が、たまについて気になることを話し出した。

 2年前、吉原に店をかまえる遊郭で、

 遊女が遊客と相対死した事件がありました。

 その際、遊客の恋人と名乗り出た町娘がおりました。

 その名を玉井と言いまして、元奥女中だという話でした。

大店の主だという父が、縁談話があるとして、

玉井を呼び戻したのですが、玉井には、

売れない役者の恋人がいました。

もちろん、両親からは猛反対されて、

しまいには、駆け落ち同然で家を出たわけです。

玉井は、売れない役者と長屋で2人暮らしをはじめました。

事件が起きたのは、その矢先のことでした。

自分を裏切り、他のおなごと相対死した恋人を

うらんでもおかしくないというのに、

玉井は、恋人の亡骸を引き取ると手厚く葬りました。

その後、玉井は、住んでいた長屋を出て

呉服屋の縫子の仕事も辞めて姿を消しました。

金猫銀猫の店にいるたまというのがどうも、

その玉井にそっくりなんです。

あれから、苦労したらしく、

柳のようにかよわくなっちまいましたが、

優し気な眼差しは以前と変わってはいませんでした。

「こりゃあ、おもしれえ。元奥女中が、

いってえ、どういうわけで、女郎にまで身を落としたんだ? 

借金か、それとも、やけくそか? 」

 犬山が言った。

「気になるのはそこではござんせん! 」

 橋蔵がなぜか、ムキになった。

「他に何があるてんだい? 」

 犬山が訊ねた。

「駆け落ちしてまで一緒になったおなごを捨てて、

遊女と相対死しますかね?

どうにも、それがひっかかったわけでさあ」

 橋蔵が頭をかくと答えた。

「魔が差して、吉原通いしたのが運の尽き、

遊女に骨抜きにされちまったのだろうよ」

「考えてもみてくんねえ。裏切られたにも関わらず、

玉井は、恋人の亡骸を引き取り手厚く葬ったんですぜ。

亡骸を見るまで、己への愛情を微塵も疑っていなかったという証しではござんせんか?

何か、ちっとでも、疑わしいところがあったとしたら、

そうはしなかったはずでさあ」

 橋蔵が強く訴えた。

「するってえと、なにか。玉井は、相対死とは思っておらず、

今でも事件を探っている。女郎に身を落としたのもそのためだと言うわけか? 」

 犬山が訊ねた。

「その可能性はなきにあらずでさあ」

 橋蔵が静かに答えた。





 

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