第6話 相模屋の女房

文字数 1,785文字

 2人は偶然、吉原の大門の前で、

牛と呼ばれる遊郭の若い衆が

年増女を取り囲むようにして連行する姿を見かけた。

「親分、あのおなごは」

 橋蔵が目を丸くすると言った。

「ああ。どういうわけか、相模屋の女房が吉原にいる」

 犬山が言った。

「あの様子では、逃亡に失敗したようでさあ」

 橋蔵が言った。

「どこの店かつきとめよう」

 2人はどちらからともなく、相模屋の女房のあとを追った。

「ここか」

 相模屋の女房は、「あづま屋」の裏へ消えた。

「旦那が吉原で死んだ。女房は遊郭に売られた。

いってえ、どうなってんだい? 」

 犬山が頭をかくと言った。

「山谷堀で会った時には、

親戚に子を預けて宿場で働いていると言っていましたが、

嘘っぱちだったというわけでさあね」

 橋蔵が言った。

「おめぇたち、そこで何してんだ? 」

 野太い声に気づいて、ふり返ると、

熊みたいな男が仁王立ちしていた。

「何って、捜査に決まっているだろ」

 犬山が言った。

「何者だ? 

他人の陣地に土足で入り込みやがって

犬みてぇに嗅ぎまわるんじゃねえ! 」

 その熊みたいな男ががなった。

「わしは、町廻り同心、犬山金吾と申す。

見た感じ、おめぇも、同じ穴の狢ってところか? 」

 犬山が上目遣いで言った。

「町廻りが吉原に何用だ? 

 吉原の治安は、この吉原同心、

荒正格之進様が守っている故、

手出し無用だ。とっとと、けえれ! 」

 荒正と名乗る吉原同心が有無を言わさず、

2人を追っ払おうとした。

「話はまだ、終わっちゃいねぇぜ。

おめぇに聞きてぇことがあるんだよ」

 犬山が舌打ちすると言った。

「何だ? 申してみろ」

 荒正が、犬山に詰め寄った。

「ここ数日の間に、刃傷沙汰は起きてはおらんか?

 実は、山谷堀付近で、刺殺されたと思われる

土左衛門が揚がったわけさ」

 犬山が冷静に言った。

「番所に届は出てねぇし、

見廻りの際も問題は起きてねえ。

山谷堀付近で揚がったからと言って、

殺害現場を吉原と断定するのはどうなんだ? 」

 荒正が反論した。

「さよか。そんならば、あづま屋のことを聞かせてくんねえ。

こないだ、闕所に処されて江戸所払いとなった

相模屋の女房がどういうわけなのか、あづま屋にいるわけさ」

 犬山が「あづま屋」の方を見やると言った。

「借金のかたに売られて来るのは、ここ吉原では

日常茶飯事のことなわけさ。

いちいち、誰が売られたなんぞ気にも留めていねぇさ」

 荒正がそっけなく言った。

「それでも、届は出ているんだろ。あづま屋の届を見せてくんねえ」

 犬山が頭を下げると言った。

「なんだ。わしらが、怠慢だと文句つけていやがるのか? 」

 荒正がすごんだ。

「いんにゃ、違う。その土左衛門というのが相模屋の主なわけさ。

相模屋の女房が吉原にいるのと、何か関係があるのではないかと思って、

売られた理由がどうしても知りてぇんだ」

 犬山が必死に説明した。

「相模屋と言えば、吉原では、太客として名の知れた豪商だった。

そう言えば、昔。あづま屋で相模屋の馴染みの遊女が、

相模屋が浮気した腹いせに、他の遊客と相対死した事件があったけ」

 荒正が覚え語った。

「それはまことの話か? 」

 犬山は思わず、荒正に詰め寄った。

「親分。誰かが出て来ましたぜ」

 橋蔵が、犬山の着物の裾をひっぱると告げた。

 「あづま屋」の裏戸が開いて、身なりの良い町人が姿を現した。

「店の裏で立ち話をなさられては人目につきます。

何か聞きたいことがあるのでしたら、中でうかがいましょう」

 その身なりの良い町人が告げた。

 その身なりの良い町人の顔をよく見ると、

相模屋の競売の不正を訴え出た東だった。

「おめぇが、あづま屋の者だとは奇遇だな」

 犬山が言った。

「この人は、あづま屋の楼主だ」

 荒正が咳払いをすると言った。

 支度部屋の横を通り過ぎると、

遊女たちが身づくろいをはじめているところでにぎやかだった。

「こちらへどうぞ」

 「あづま屋」の楼主が、3人を客間へ案内した。

 犬山は、遊女たちの髪を結っている女を見るや立ち止まった。

「どうかしたのですか? 」

 橋蔵が、犬山に訊ねた。

「あれを見ろ。相模屋の女房が髪結いになっていやがる」

 犬山が、髪結いを指さすと言った。

「大店の女房が、髪結いに転身とは思いつかなかったでさあね」

 橋蔵が穏やかに告げた。

 2人は、口には出さなかったが、

髪結いになった相模屋の女房の姿を見て、胸のつかえが取れた気がした。

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