不思議な穴

文字数 2,413文字

 木立の中へ分け入り、十分近く進んだ先で、子ども達は立ち止まる。
 すぐ、ミートとミカーも追いつく。
 
 木々が幾らか開けて、少し先で緩い勾配の小さな丘がありその先には林が群生していた。
 空には相変わらずの、灰色の雲が流れている。
 
「あれ? いないや」
 子どもの一人がそう発する。
 
「ここ?」
 ミカーが辺りを見渡す。
 
「うん。そうだよ。ここだけど……」
 もう一人の子が応える。
 
 怪物を見張っていると言った子の姿も、怪物の姿もなかった。
 
 その子の名を皆で呼んでみるが、返事はない。
 周りはしんとして、物音もなかった。
 
 さきまで生き生きして駆けてきた子ども達二人は、急に不安げな表情になってただ無言でいる。
 
「どこから怪物を見張っていた? 怪物は、どの位置にいたんだ?」
 ミートは子どもらに聞いてみる。
 
 子どもはすぐ脇にある木を指して、
「確かこの木の影に隠れて……」
 と言う。
 続いてもう一人の子が、
「怪物がいたのは、えーとなあ」
 と言って、駆け出す。
 
「あ、ああちょっと、離れないで!」
 
 ミカーが引き留めようと追うが、その子は丘をたったっと上り、
「ここ、ここ!」
 丘を上ってすぐの、林から手前に迫り出している一本の大きな木の横でぴょんぴょん飛んでみせる。
 
 ミカーは注意深く周囲を見渡しながら、丘を上る。
 
 ミートはその場でもう一人の子とそれを見ていた。
 その子はミートに状況を説明してくれる。
「怪物はね、この辺りをうろついた後に、あそこのあの木にもたれるようにして休むようにしていたんだ。だから今の内に、隊長さん達に報告してくるようにって」
 と、その時、ミートは見た。
 丘の上にいた子が、急に地面に吸い込まれるようにして、消えた。
 
「お、おい!」
 ミートは思わず叫び、隣の子もうわあ、と声を上げる。
 
 ミカーは丘を一気に駆け上がった。
 
「何があった?!」
 ミートはミカーに呼びかけるが、すぐに、
「大丈夫!」
 と丘を上ったミカーから返事があった。
 
 その木陰に隠れて窪んだ穴が開いており、そこへその子は足を滑らせたのだ。
 
 ミートともう一人の子も、駆け足に丘を上り合流した。
 
「ああ、いてて……っ」
 穴に落ちた子どもは、見たところ怪我もなく、無事なようだ。
 穴は、子どもの背丈程の深さで、底も人一人が寝そべられる程度。片側で木の根が土から露出して絡み合っている。
 
 ミカーが穴の中へと手を伸ばす。
「大丈夫? 怪我は、ない? ほら、掴まって」
 
「平気だい……腕をちょっとだけ擦りむいただけ」
 子どもは立ち上がり、服についたほこりを払っている。
 
 ミートといた子は、びっくりして、泣いてしまっている。
 何故かミカーにジロリと睨まれた。
「お、おれが泣かせてないって……ほ、ほら、な、大丈夫、大丈夫っ」
 ミートはコミュ障を振り切って必死に子どもを励ました。
 
「あれ、お姉さん。この穴、木の根っこの下の方に、続いているようだよ」
 落ちた方の子は気丈なようだ。
 上からでは、穴の奥に絡まる木の根に隠れて見えないが、その奥に穴が続ている、という。
「暗くて見えないけど、奥はけっこう広いぞ?」
 子どもはしゃがみ込んで、その穴の奥を覗いている。
 
「だ、だめ。危ない、もしかしたら怪物が……」
 とミカーが言うが、ミートははっとする。
 そう。実際今、見張りの子が見たという怪物はいなくなっているのだし、それに何よりその見張っていた子もいないのだ。
 
 怪物がここから移動して、その子もそれを追って行ってしまったのか。
 あるいは、それとも。
 
 ミートはひとまず、ミカーと一緒に穴に落ちた男の子に手を貸して、上へと引っ張り上げた。
 そして、その穴の奥を見つめる。
 ミカーも、子ども達も、その穴をじっと見つめる。
 
 ふと、穴の奥の方で、声が聴こえたように思う。
 
「お、おい今……」
「ミートにも、聴こえましたか?」
 ミートは、ミカーと顔を見合わせる。
 
 二人の子は手を取り合って不安な表情で穴を見つめている。一人はまた、泣き出しそうだ。
 
 怪物がこの穴の中へ入っていったのを、その子は追っていった……?
 
 ミカーは次の瞬間には、
「行きましょう!」
 と真剣な表情で言う。
 
「おい待て、この子らは……それに、レクイカに知らせないでいいか?」
 
「そうですね。……いえ、思案している暇はありません。もしあの子に何かあれば……。私が探りますので、ミートは二人を連れて戻り、レクイカ様に伝え指示を仰いでください」
 
「いやミカー。きみを、……いや、おれの上司を、こんなとこへは……」
 
 ミートは、そう言うと意を決し穴へと飛び降りた。
 
「あ、こら、ミート……何を勝手な……!」
 
「この短剣がある」
 ミートはミカーから預かった短剣を掲げて見せる。
 
 ミカーは面食らったような表情をした後、少しだけ顔を赤くしたようにも見えたが、
「子どもを必ず保護して、無事に、ここへ戻ってきておきなさい。必ずですよ?」
 と言い、二人を連れて駆け戻っていった。
 
 ミートには、不思議と、怖さも不安もなかった。
 それどころか、何故かこの穴の奥の闇へと、惹かれるような気がした。
 その穴は、暗く、静かで秘密めいた闇を湛えてそこにある。
 
 ミートは短剣を握りしめ、その闇へと足を踏み入れた。
 
 
 誰もいなくなった丘の上の木々が、かすかに湿気を含んだ風に揺れる。
 雲は幾らかその厚みと暗さを増して、空を流れている。
 
 そして、木陰に不可思議な穴を抱えるこの大きな木の枝の高い所に、黒い天使が腰かけて、静かにその羽を休めているのだった。
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