第14話 みっかめ
文字数 2,283文字
「ホーホーho~!」
花屋さんは歓喜の声をあげながら 「ABARAYA」の周辺を走り回っていた。
この島に辿り着いてから3日目、今日のお天気も良い感じ。
時折、冷たい風が吹き抜けるけれど、お日様の温もりは私の全てを包み込んでくれているようで、目を閉じると、瞼の裏に素敵な輪っか―もうひとつのお日さま―が、ぼんやりと見えた。
今日初めて知ったのだけど、私の部屋の隣にはルーフバルコニーがあって、そこにはベンチとテーブルがぽつんと置かれていた。
非常用の階段と繋がっているから、誰でも出入りは出来るのだけど、それ以外にはあまり使われてはいないのだろう…。
その証拠に、ベンチは埃まみれだった。
ここから見える景色は、スマホの待ち受け画面みたいな美しい風景画のようで、海岸線に見える白い砂浜や、初めてこの地を踏んだ美波港、賑わいの消えた商店街跡地が一望できた。
その周辺は、小高い山々が連なっていて、深緑の中に朱色や赤色が混じっている。
この島は、スローモーションみたい…私はそう感じていた。
コツコツと階段を上ってくる足音が聞こえたので、私の身体は条件反射で強張った。
まだ、人間には寛容になれないでいる。
それに、今のところ私は無銭宿泊者なのだ。
「まあ、あはよう」
ジュディーさんはにっこり微笑みながら、埃まみれのベンチに腰掛けた。
私は、目の前に現れたのがジュディーさんで内心ほっとしていた。
あの歌声を聴いてから、この人には心を許せる。
そう感じたからだ。
「おはようございます」
私は、嫌われたくないから笑顔であいさつを返した。
ジュディーさんは、缶ビールを片手に何度も頷いていた。
その大きな身体が揺れる度に、ベンチが軋んだ音を立てた。
遠くからは、花屋さんの歓喜の声が聞こえている。
私は、勇気を出して声をかけた。
「あの」
「なに?」
ジュディーさんが、缶ビールを一気に飲み干すのを確かめてから。
「あの人は、毎日あんなふうに走り回っているんですか?」
「そうよ、走り回りながらね、山菜やお魚を取ってきてくれるの」
「お魚も?」
「そう、しかも手づかみで」
ジュディーさんは豪快に笑った。
私には、正直何がそんなに愉快なのかは判らなかった。
その理由を訊ねる度胸もないから、取りあえず一緒に微笑んだ。
「あなたはいい人かもしれないわね、なんとなくわかるわよ」
ジュディーさんの声は優しかった。
「お花屋さんはね、あたしにはなくてはならない存在よ。おいしいものを見つけてくる達人なのよ。きのこやお魚や根菜とか、もう色々ね」
「あの…」
「なあに?」
「どうしてお花屋さんって呼ばれているんですか?」
ジュディーさんは、しばらく考えてから答えてくれた。
さっきよりも優しい口調で。
「ここではね、あまり誰かの詮索はしないことよ。自然体でいいのよ、言ってみれば普通にしていれば問題なし。だってさ、あなただって誰かに詮索されたら良い気分はしないでしょう?」
私は怖くなった。
だけどちょっぴり嬉しかった。
普通にしているだけで問題はなし。
魔法の言葉を貰えた気がした。
この島に来てから、今までに降りかかっていた災いはなくなって…というか、ただ単に身を潜めているだけかもしれないけれど…苦しみも悲しみも、痛みや恐怖も、薄らいで気分はとても安定している。
人の視線や立場やしがらみから解放されたからなのか、それとも、ここの不思議な住人達との関わりがそうさせているのかはわからない。
だけどみな同じ。
私と似たり寄ったりな人達に思えて安心なのだ。
ほわほわの気候と、緑と青と漆黒の単純な世界。
私は、シャワールームの鏡を見ながら額にそっと手を当てた。
自分の姿を見るのも久しぶりで、勇気はかなり必要だったけど、ジュディーさんの「自然体でいいのよ」という言葉に、気持ちが高揚したのは確かだし、自分の事や、この世界の事を分析し始めている心の変化に僅かながら驚いた。
自分を見る勇気―昔はあんなに鏡ばっかり見ていたのにと思うと笑みがこぼれた。
これも自然体な証拠だ。
額の傷はうっすらと残ってはいるが目立つこともなく、時間が経てばいずれ消えてくれるだろう。
腕の傷も胸の傷も、つま先や太ももの傷だって、前よりかは減ってきているし、背中全体に広がっていた不気味な蛇の痕跡は綺麗さっぱりなくなっていた。
手首の傷だけは時間がかかりそうだけど、この島で暮らしていけたら―元の自分に戻れるだろう。
そう、私はもともと楽観主義者なんだから。
何とか乗り越えられるかもしれない。
そんな呪文をかけていた。
熱いシャワーを浴びて部屋のベッドにダイブする。
有り余る時間をどう過ごそうか悩んでいたのだけど、とにかく好きに動いてみようと、私の心が話しかけてくれている。
宿泊代やパパやママ、火事になったマンション。
そんな大切なことはすぐに解決しなきゃダメじゃない。
他人に迷惑かけるのはよくないよ。
もう大人なんだから。
と、もう一人の私が言っている。
その声は無視することに決めた。
そんなの逃げじゃない!
って、怒られちゃうかもだけど、私は逃げたりしていないし、現実だってちゃんと把握している。
ただ運がないだけなの…。
この島に来たのも、目的があるわけじゃない。
行き当たりばったりで辿り着いたのがこのまほろば島なのだ。
今の私の楽園。
天井のペンギンさんも、私に笑いかけてくれている。
ずっといていいよって。
ひとりじゃないんだよって。
私はジュディーガーランドの「over the rainbow」を、口ずさみながらジャージに着替えて部屋を後にした。
みんなと話がしたくなったから、勇気と一緒に誰かに話しかけてみよう。
自分から。
花屋さんは歓喜の声をあげながら 「ABARAYA」の周辺を走り回っていた。
この島に辿り着いてから3日目、今日のお天気も良い感じ。
時折、冷たい風が吹き抜けるけれど、お日様の温もりは私の全てを包み込んでくれているようで、目を閉じると、瞼の裏に素敵な輪っか―もうひとつのお日さま―が、ぼんやりと見えた。
今日初めて知ったのだけど、私の部屋の隣にはルーフバルコニーがあって、そこにはベンチとテーブルがぽつんと置かれていた。
非常用の階段と繋がっているから、誰でも出入りは出来るのだけど、それ以外にはあまり使われてはいないのだろう…。
その証拠に、ベンチは埃まみれだった。
ここから見える景色は、スマホの待ち受け画面みたいな美しい風景画のようで、海岸線に見える白い砂浜や、初めてこの地を踏んだ美波港、賑わいの消えた商店街跡地が一望できた。
その周辺は、小高い山々が連なっていて、深緑の中に朱色や赤色が混じっている。
この島は、スローモーションみたい…私はそう感じていた。
コツコツと階段を上ってくる足音が聞こえたので、私の身体は条件反射で強張った。
まだ、人間には寛容になれないでいる。
それに、今のところ私は無銭宿泊者なのだ。
「まあ、あはよう」
ジュディーさんはにっこり微笑みながら、埃まみれのベンチに腰掛けた。
私は、目の前に現れたのがジュディーさんで内心ほっとしていた。
あの歌声を聴いてから、この人には心を許せる。
そう感じたからだ。
「おはようございます」
私は、嫌われたくないから笑顔であいさつを返した。
ジュディーさんは、缶ビールを片手に何度も頷いていた。
その大きな身体が揺れる度に、ベンチが軋んだ音を立てた。
遠くからは、花屋さんの歓喜の声が聞こえている。
私は、勇気を出して声をかけた。
「あの」
「なに?」
ジュディーさんが、缶ビールを一気に飲み干すのを確かめてから。
「あの人は、毎日あんなふうに走り回っているんですか?」
「そうよ、走り回りながらね、山菜やお魚を取ってきてくれるの」
「お魚も?」
「そう、しかも手づかみで」
ジュディーさんは豪快に笑った。
私には、正直何がそんなに愉快なのかは判らなかった。
その理由を訊ねる度胸もないから、取りあえず一緒に微笑んだ。
「あなたはいい人かもしれないわね、なんとなくわかるわよ」
ジュディーさんの声は優しかった。
「お花屋さんはね、あたしにはなくてはならない存在よ。おいしいものを見つけてくる達人なのよ。きのこやお魚や根菜とか、もう色々ね」
「あの…」
「なあに?」
「どうしてお花屋さんって呼ばれているんですか?」
ジュディーさんは、しばらく考えてから答えてくれた。
さっきよりも優しい口調で。
「ここではね、あまり誰かの詮索はしないことよ。自然体でいいのよ、言ってみれば普通にしていれば問題なし。だってさ、あなただって誰かに詮索されたら良い気分はしないでしょう?」
私は怖くなった。
だけどちょっぴり嬉しかった。
普通にしているだけで問題はなし。
魔法の言葉を貰えた気がした。
この島に来てから、今までに降りかかっていた災いはなくなって…というか、ただ単に身を潜めているだけかもしれないけれど…苦しみも悲しみも、痛みや恐怖も、薄らいで気分はとても安定している。
人の視線や立場やしがらみから解放されたからなのか、それとも、ここの不思議な住人達との関わりがそうさせているのかはわからない。
だけどみな同じ。
私と似たり寄ったりな人達に思えて安心なのだ。
ほわほわの気候と、緑と青と漆黒の単純な世界。
私は、シャワールームの鏡を見ながら額にそっと手を当てた。
自分の姿を見るのも久しぶりで、勇気はかなり必要だったけど、ジュディーさんの「自然体でいいのよ」という言葉に、気持ちが高揚したのは確かだし、自分の事や、この世界の事を分析し始めている心の変化に僅かながら驚いた。
自分を見る勇気―昔はあんなに鏡ばっかり見ていたのにと思うと笑みがこぼれた。
これも自然体な証拠だ。
額の傷はうっすらと残ってはいるが目立つこともなく、時間が経てばいずれ消えてくれるだろう。
腕の傷も胸の傷も、つま先や太ももの傷だって、前よりかは減ってきているし、背中全体に広がっていた不気味な蛇の痕跡は綺麗さっぱりなくなっていた。
手首の傷だけは時間がかかりそうだけど、この島で暮らしていけたら―元の自分に戻れるだろう。
そう、私はもともと楽観主義者なんだから。
何とか乗り越えられるかもしれない。
そんな呪文をかけていた。
熱いシャワーを浴びて部屋のベッドにダイブする。
有り余る時間をどう過ごそうか悩んでいたのだけど、とにかく好きに動いてみようと、私の心が話しかけてくれている。
宿泊代やパパやママ、火事になったマンション。
そんな大切なことはすぐに解決しなきゃダメじゃない。
他人に迷惑かけるのはよくないよ。
もう大人なんだから。
と、もう一人の私が言っている。
その声は無視することに決めた。
そんなの逃げじゃない!
って、怒られちゃうかもだけど、私は逃げたりしていないし、現実だってちゃんと把握している。
ただ運がないだけなの…。
この島に来たのも、目的があるわけじゃない。
行き当たりばったりで辿り着いたのがこのまほろば島なのだ。
今の私の楽園。
天井のペンギンさんも、私に笑いかけてくれている。
ずっといていいよって。
ひとりじゃないんだよって。
私はジュディーガーランドの「over the rainbow」を、口ずさみながらジャージに着替えて部屋を後にした。
みんなと話がしたくなったから、勇気と一緒に誰かに話しかけてみよう。
自分から。