第20話 あこちゃん

文字数 2,619文字

いきなり始まるドラムソロは、ガラス細工のような世界観を打ち破るには効果覿面だった。
あこちゃんは子グマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、ちょっと驚いた目をして特等席に腰掛けた。紳士もその隣に座った。
大きな熊さんを抱きかかえた姿がかわいく見えて、あたしと絵描きさんは目を合わせて微笑んだ。
ショーの構成は作家さんで、あたしはその変幻自在の発想や構成に感心した。
照明と音響はおしゃべり男と助手の花屋さん。
客席後方の調光室の灯りの中で二人の姿は確認できた。
あたしに気がつくと二人とも手を振ってくれた。

原曲のドラムソロは長めに編曲されてはいるが、その躍動感あるリズムは期待と興奮を与えてくれる。あこちゃんの身体はリズムに合わせて左右に揺れていた。

舞台のスクリーンにはたくさんの種類の音符たちが踊っている。
全音符、二分音符、四分音符や八分休符はおたまじゃくしみたいに元気に飛び跳ねては消え、またリズムに合わせて踊り出す。
アニメーションの出来栄えも見事で、原画はもちろん絵描きさんだ。
絵描きさんはじっとスクリーンを見つめていた。
トロンボーンとトランペットの掛け合いが始まると、客席にも音符たちの光のダンスが現れた。
色はすべてがピンク色。このショーのイメージは「希望の春」なのだ。
ステージ上に農夫に扮した作家さんが現れて、ひと昔前に流行したダンシングフラワーを前方に置いていくと、タンポポたちもいっせいに踊り出した。
サクソフォーンのメロディーと共にステージに現れたのはピエロに扮したジュディーさん。
作家さんを背後から驚かせて二人の追いかけっこが始まる。
軽快な音楽はスィングジャズの「シングシングシング」でドラムの響きはあたし達の鼓動と重なるリズム。
あこちゃんも紳士も笑いながら手拍子をしている。
作家さんがステージ上から姿を消すと、疲れ果てたピエロのジュディーさんは中央であぐらをかいた。わざとだと思うけど、肩で息をしているみたい。
それを見ていたあたし達全員が声を上げて笑った。

クラリネットの短い最初のソロで、騎士に扮したダンサーさんが登場した。
金髪でロングヘアのウイッグが大きく揺れる。
ダンサーさんはチャールストンを踊りながらジュディーさんに近づいた。
驚いたジュディーさんは、大慌てで転がるようにステージから退散したけど、途中で転んで尻もちをついた。
思わぬアクシデントにも関わらず、ダンサーさんは驚いた表情を一瞬見せてチャールストンを踊り続ける。
そして椅子に腰掛けて靴を履き替え、クラリネットソロが流れると同時にタップダンスを踊り始めた。
横目で見ていたジュディーさんと作家さんも、ステージの両端で同じようにタップダンスを踊り出す。
二人が一番練習したのがこの場面だったみたいで、ジュディーさんは「二十キロは痩せたわよ」と、毎日あたしに言っていた。

あこちゃんはまた「わあ」といって紳士に目配せをした。
紳士が耳元で何かをささやくと、あこちゃんは小刻みに震えながら笑った。
絵描きさんが。

「なに? 内緒話?」

と、あこちゃんに尋ねると。

「パパって意地悪だよ。ジュディーさんあんなに動いているのに痩せないねだって」

と、にこにこ笑っていた。
絵描きさんとあたしが「ひど~い」って言葉を繰り返して、紳士は真っ赤な顔をしながら笑う。

過ぎないで!とても楽しい時間・・・。

突然、スポットライトがあこちゃんを照らす。
ステージ上のダンサーさんが手招きをしている。
あこちゃんは大きく頷いてゆっくりと立ち上がり、あたしと絵描きさんと手を繋いでステージ中央へと進んで行った。
本当はあこちゃんを交えてみんなで踊りたかったけど、これは急遽変更した内容だった。
あこちゃんを椅子に座らせると、客席の特等席にもスポットライトがあたる。
紳士がにこやかにステージを見守ってくれている。
あたし達はあこちゃんを取り囲むようにして輪になった。
あこちゃんの表情は照れくさそう。

「シングシングシング」が終わりに差し掛かる。
劇場全体のライトが桜色に輝き始める。
そして、あたし達が輪を解くと同時に曲が終わる。
ステージと客席に大量の桜色の紙吹雪と白い風船が舞った。
紳士は立ち上がって拍手をしてくれていた。
こうして素敵なショータイムの幕は降りた。



ディナータイムはいつもの食堂で、いつものメンバーと過ごした。
ただ今までと違うのは、そこに作家さんがいるということ。
花屋さんは不思議そうに何度も彼に聞いていた。

「ほほほほほ、ほんとに、本当ですか?」

「それは私がここにいるという事への疑問ですか? それとも私が私であるという事への質問かな?」

と、作家さんが言うと、絵描きさんがうまく話をまとめた。

「両方でしょ? 作家さんはね、今間違いなくみんなの前にいるわよ。お化けじゃないよ」

「ほほほほほ、本当ですか?」

次に言葉を発したのは意外にも作家さんだった。

「ほんとうです!」

ちょっと怒ったような口ぶりにみんなが笑った。
ビーフシチューのおいしそうな匂いと、みんなの笑顔がひとつの空間に広がっている。
ジュディーさんがピエロのメイクのまま。

「もうお化粧を落とす体力もないわよ」

と言いながらビールを飲み干すと、また笑い声があがった。
あこちゃんの側には、熊の親子のぬいぐるみがちょこんと座っている。
あこちゃんは、ダンサーさんがステージでつけていたウィッグを被って、鏡を見ては髪を整えてみんなに似合うかどうか聞いていた。
紳士も珍しくビールを飲んでいた。
ダンサーさんもお酒とステージでの激しい動きのせいか、すこし顔が赤らんでいるように見えた。
おしゃべり男は相変わらずの上から目線で、ショーの出来栄えを分析していたけど誰も聞いていないのがとても可笑しかった。
あこちゃんはビーフシチューをぺろりと平らげて、みんなに「ありがとう」と何度も言っていた。
紳士が「全部食べれたね、すごいよ」言うと。

「だって、大好きなんだもん」

と、あこちゃんが恥ずかしそうに笑った。
ジュディーさんがここぞとばかりに。

「あんまり食いしん坊になると、あたしみたいになるわよ!」

と、ビールを飲みながら言うと、あたしと絵描きさん、そしてあこちゃんは手を叩きながら笑った。
あの内緒話を思い出したのだ。
察した紳士だけが苦笑いをしている。
秘密の話は秘密のままで。互いの目配せでそう感じた。
笑い声とおいしい匂いと笑顔の時間。
とても幸せなひとときだった。
その日から七日後。
あこちゃんはこの世を去った。
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