第29話 旧友
文字数 2,505文字
夕刻。
蓮司 は近所の河川敷に来ていた。
突然の電話。
「話があるんだけど、付き合ってくれないか。場所を言ってくれたらそこまで行くから」
そう言ってきたのは大橋だった。
旧友と久しぶりの再会。
だが蓮司 にとって、それは余り歓迎する物ではなかった。
同窓会も欠席した。
その時も電話で話をした。どうして来れないんだ、仕事か? 何なら日程を変えてもいい、そう言われたが断った。
今の自分を見てほしくない。
今の自分には、何一つ誇れるものがない。
そんな自分が、旧友たちとの再会を楽しめる筈もない。
それに花恋 も気を使うだろう。
クラスの誰もが、自分と付き合っていたことを知っている。
別れたとなれば、色々と聞かれるだろう。
放っておいてほしい。今は波風立たない環境で、静かに暮らしたい。蓮司 の願いはそれだけだった。
しかし蓮司 は今、堤防の石段に座り、川を見つめていた。
花恋 の家に泊まった恋 から言われた言葉。
「花恋 さん、大橋くんにまた告白されたみたいです。今日もその……会う約束をしているようです。ひょっとしたら、告白の返事をするのかもしれません」
その予想は当たってるようだよ、恋 ちゃん。
きっと大橋くんは、けじめをつけようとしているのだろう。
どんな答えでも構わない。ただ、これで自分も少しだけ前に進めるような気がする。
花恋 と別れて三年になる。
あんないい子が、三年も一人でいる。おかしな話だ。
世の男どもは、一体どこに目をつけているんだ? そう思っていた。
しかし今、ようやく想いを告げる男が現れた。
大橋くんはいい人だ。彼ならきっと、花恋 のことを幸せに出来るだろう。
自分のせいで無駄にしてしまった10年。彼ならばきっと、埋め合わせて余りある幸せを与えることが出来るだろう。
これでよかったんだ。
僕は何よりも花恋 の幸せを望んでいる。
それが今、ようやく叶うんだ。
笑顔で祝福しよう。おこがましいことだと思うが、花恋 を幸せにしてください、そう頼もう。
「……」
歪んだ視界に気付き、蓮司 が目に手をやる。
涙が溢れていた。
「なんだよ今更……相変わらず格好悪いな、僕は」
そう言って自嘲気味に笑った。
「待たせたな、黒木」
背後から声が聞こえた。
慌てて涙を拭いて振り返ると、西陽を背に立っている大橋の姿があった。
「……久しぶりだね」
「そうだな。お前は同窓会にも来なかった訳だし」
「ははっ、ごめん」
「全くだ。遠方のやつでも来てくれたんだぞ。参加しなかったのは、お前を含めて三人。あとの二人は仕事でどうしても都合がつかなかったんだ。理由もなく欠席したのはお前だけだ」
「ごめん、ごめんって」
「まあ、今更なんだけどな」
そう言って缶コーヒーを差し出し、蓮司 の隣に座る。
「お前には来て欲しかった。と言うか、会いたかった」
「……」
「高校時代、俺は少し浮かれていたんだ」
「君が? そんな風には見えなかったけど」
「見せない様に努力してたんだ。結構大変だったんだぞ? あの頃の俺は、自分で言うのも何だけどいつも注目されていたからな」
「そうだね」
「教師からも信頼されてた。イベントがある度に相談されたりもした」
「僕とは対極の世界にいたよね、君は」
「成績もそれなりによかったし、ある意味これ以上にないくらい充実した高校生活を送ってた。おかげでまあ、志望校にも入れたし、大学でも楽しめたと思う。就職先も、自分が選ぶ立場だった」
「本当、すごいと思うよ。君は」
「ああ、自分でもよくやれたと思う。でもな、そんな俺がこの男にだけは勝てない、そう思ってたやつがいた。それがお前だ」
「……え?」
「お前にだけは逆立ちしても勝てない。どれだけ努力しようとも、無理なことがあるんだって気付かされた」
「いやいや、君は何を」
「まあ、俺が勝手に思ってただけなんだけどな」
「何をどうしたらそんな考えになるのか知らないけど、君に勝ってるところなんて一つもないと思うんだけど」
「そうだよな、それが黒木の魅力だ。そして欠点でもある」
「……」
「そんなお前と出会ったおかげで、俺は自分を見つめ直すことが出来た。俺は本当にこのままでいいのか、もっと上を目指さないといけないんじゃないかって。
だからお前には感謝してる。お前と二年間同じクラスになれたことは、俺にとって最高に幸運なことだったんだ」
「それはその……花恋 のこと、なのかな」
「それもある。何しろお前は、俺が初めて心を奪われた女と付き合ってたんだからな」
「あの時は本当にごめん」
「謝るところじゃないだろ。全くお前は、どうしてそう悪くしか考えられないかな。もっと自信を持てよ。赤澤みたいな女と付き合ってた、そんな自分を誇れよ」
「幼馴染だった訳だし、花恋 もその……ずっと一緒だったから、情が移ってたところもあると思ってる」
「ふざけるなよ、お前」
「ごめん……でも、そうとしか思えないんだ。僕には何の才もなくて、人とコミュニケーションをとるのも苦手だ。一人で生きていくだけでも大変な僕に、何の魅力があるって言うんだい」
「でも俺は、そんなお前に嫉妬していた。お前自身が気付いていない、俺には絶対届かない才だ。
それに気付けた俺は幸運だった。おかげでまあ、あのまま生きていたよりは、少しだけましな人間になれたと思ってる」
「そんなものがあるとは思えないけど、どうして君はそれに」
「夏目漱石は日本を愛していた」
大橋の言葉に、蓮司 は肩をピクリとさせた。
「恥ずかしい話、覚えてるんだね」
「忘れられないさ、あの時のことは」
「僕は後悔してた。なんであの時、思ってることを正直に言ってしまったんだって」
「でも俺は、あの時気付いたんだ。お前には勝てないって」
「……」
「俺な、あれから『こころ』を読み直したんだ。お前の言葉の意味が知りたくて。でも駄目だった。何度読んでも俺には、漱石が死に仄 かな憧れを持っていた、そしてそれが弟子である芥川にも伝わった。そういう風にしか感じられなかったんだ」
「それでいいと思うよ。何も間違ってないし、何よりあの時先生も言ってたじゃないか。感想に答えなんてないって」
「でも、それでも俺は、お前の言葉に心が震えたんだ」
突然の電話。
「話があるんだけど、付き合ってくれないか。場所を言ってくれたらそこまで行くから」
そう言ってきたのは大橋だった。
旧友と久しぶりの再会。
だが
同窓会も欠席した。
その時も電話で話をした。どうして来れないんだ、仕事か? 何なら日程を変えてもいい、そう言われたが断った。
今の自分を見てほしくない。
今の自分には、何一つ誇れるものがない。
そんな自分が、旧友たちとの再会を楽しめる筈もない。
それに
クラスの誰もが、自分と付き合っていたことを知っている。
別れたとなれば、色々と聞かれるだろう。
放っておいてほしい。今は波風立たない環境で、静かに暮らしたい。
しかし
「
その予想は当たってるようだよ、
きっと大橋くんは、けじめをつけようとしているのだろう。
どんな答えでも構わない。ただ、これで自分も少しだけ前に進めるような気がする。
あんないい子が、三年も一人でいる。おかしな話だ。
世の男どもは、一体どこに目をつけているんだ? そう思っていた。
しかし今、ようやく想いを告げる男が現れた。
大橋くんはいい人だ。彼ならきっと、
自分のせいで無駄にしてしまった10年。彼ならばきっと、埋め合わせて余りある幸せを与えることが出来るだろう。
これでよかったんだ。
僕は何よりも
それが今、ようやく叶うんだ。
笑顔で祝福しよう。おこがましいことだと思うが、
「……」
歪んだ視界に気付き、
涙が溢れていた。
「なんだよ今更……相変わらず格好悪いな、僕は」
そう言って自嘲気味に笑った。
「待たせたな、黒木」
背後から声が聞こえた。
慌てて涙を拭いて振り返ると、西陽を背に立っている大橋の姿があった。
「……久しぶりだね」
「そうだな。お前は同窓会にも来なかった訳だし」
「ははっ、ごめん」
「全くだ。遠方のやつでも来てくれたんだぞ。参加しなかったのは、お前を含めて三人。あとの二人は仕事でどうしても都合がつかなかったんだ。理由もなく欠席したのはお前だけだ」
「ごめん、ごめんって」
「まあ、今更なんだけどな」
そう言って缶コーヒーを差し出し、
「お前には来て欲しかった。と言うか、会いたかった」
「……」
「高校時代、俺は少し浮かれていたんだ」
「君が? そんな風には見えなかったけど」
「見せない様に努力してたんだ。結構大変だったんだぞ? あの頃の俺は、自分で言うのも何だけどいつも注目されていたからな」
「そうだね」
「教師からも信頼されてた。イベントがある度に相談されたりもした」
「僕とは対極の世界にいたよね、君は」
「成績もそれなりによかったし、ある意味これ以上にないくらい充実した高校生活を送ってた。おかげでまあ、志望校にも入れたし、大学でも楽しめたと思う。就職先も、自分が選ぶ立場だった」
「本当、すごいと思うよ。君は」
「ああ、自分でもよくやれたと思う。でもな、そんな俺がこの男にだけは勝てない、そう思ってたやつがいた。それがお前だ」
「……え?」
「お前にだけは逆立ちしても勝てない。どれだけ努力しようとも、無理なことがあるんだって気付かされた」
「いやいや、君は何を」
「まあ、俺が勝手に思ってただけなんだけどな」
「何をどうしたらそんな考えになるのか知らないけど、君に勝ってるところなんて一つもないと思うんだけど」
「そうだよな、それが黒木の魅力だ。そして欠点でもある」
「……」
「そんなお前と出会ったおかげで、俺は自分を見つめ直すことが出来た。俺は本当にこのままでいいのか、もっと上を目指さないといけないんじゃないかって。
だからお前には感謝してる。お前と二年間同じクラスになれたことは、俺にとって最高に幸運なことだったんだ」
「それはその……
「それもある。何しろお前は、俺が初めて心を奪われた女と付き合ってたんだからな」
「あの時は本当にごめん」
「謝るところじゃないだろ。全くお前は、どうしてそう悪くしか考えられないかな。もっと自信を持てよ。赤澤みたいな女と付き合ってた、そんな自分を誇れよ」
「幼馴染だった訳だし、
「ふざけるなよ、お前」
「ごめん……でも、そうとしか思えないんだ。僕には何の才もなくて、人とコミュニケーションをとるのも苦手だ。一人で生きていくだけでも大変な僕に、何の魅力があるって言うんだい」
「でも俺は、そんなお前に嫉妬していた。お前自身が気付いていない、俺には絶対届かない才だ。
それに気付けた俺は幸運だった。おかげでまあ、あのまま生きていたよりは、少しだけましな人間になれたと思ってる」
「そんなものがあるとは思えないけど、どうして君はそれに」
「夏目漱石は日本を愛していた」
大橋の言葉に、
「恥ずかしい話、覚えてるんだね」
「忘れられないさ、あの時のことは」
「僕は後悔してた。なんであの時、思ってることを正直に言ってしまったんだって」
「でも俺は、あの時気付いたんだ。お前には勝てないって」
「……」
「俺な、あれから『こころ』を読み直したんだ。お前の言葉の意味が知りたくて。でも駄目だった。何度読んでも俺には、漱石が死に
「それでいいと思うよ。何も間違ってないし、何よりあの時先生も言ってたじゃないか。感想に答えなんてないって」
「でも、それでも俺は、お前の言葉に心が震えたんだ」