6-3 究極の愛の相手
文字数 465文字
以前こちらで友人たちと究極の愛って一体何だろう、という話になったことがあります。そのときの答えでは誰かの為に自分が死ぬことができたら、それが究極の愛だということになりました。極端な例をあげれば、自分の命を差し出せば相手を助けることができる、自分が死ぬことで相手が助かるんだったら、自分の命を差し出せるということですね。
とても興味深いテーマだったので、その後究極の愛について何組かのカップルに質問をしてみました。長く連れ添いうまくいっているカップルは、誰もが皆相手のために命を差し出せるという答えでした。実際にそんな状況になったら、そうできるかどうか確かではありませんが、少なくとも気持ちの上では迷うことのない答えのようでした。
親が子供の犠牲になれるのは、当たり前だと思います。でも夫や妻や恋人に対してもそれができるでしょうか?私は自分の子供と孫に対してはできるけれど、夫や恋人に対して代わりに命を差し出すことなどできないというのが、そのときの正直な気持ちでした。だからそのときの相手との関係は究極の愛ではなかったということですね。
とても興味深いテーマだったので、その後究極の愛について何組かのカップルに質問をしてみました。長く連れ添いうまくいっているカップルは、誰もが皆相手のために命を差し出せるという答えでした。実際にそんな状況になったら、そうできるかどうか確かではありませんが、少なくとも気持ちの上では迷うことのない答えのようでした。
親が子供の犠牲になれるのは、当たり前だと思います。でも夫や妻や恋人に対してもそれができるでしょうか?私は自分の子供と孫に対してはできるけれど、夫や恋人に対して代わりに命を差し出すことなどできないというのが、そのときの正直な気持ちでした。だからそのときの相手との関係は究極の愛ではなかったということですね。