嵐の中に

文字数 1,289文字

 女の子がいなくなってすぐ、商人が戻ってきました。

「すまん、すまん! すっかり遅くなってしまった。おなかがすいただろう? 何か食べにいこう!」

 商人の背中の荷物は、すっかり軽くなっています。

「やはり思ったとおり、ここではあちらの布が高く売れる! 明日、残りの商品を売りさばいたら、香辛料とお茶を手に入れて国に戻るとしよう」

 いよいよ明日、出発です。
 天の子どもは、胸がはちきれんばかりにわくわくしていました。

 翌朝、商人は天の子どもと市場に行き、たくさんの香辛料とお茶を買い込みました。
 思った以上に安く買えたので、商人は満足顔です。
 それらの荷物を船に積み込むと、いよいよ出発の時を迎えました。

「天気は良好! 風は追い風! さあ出発だ! いざ行かん!」

 商人ははりきって船に乗り込みました。
 天の子どもも後に続きます。

 帆船は風を受けて、海の上をすべるように進みます。
 順調な旅に思えました。

 ところが、後にした陸地も見えなくなったころ、どんよりとした雨雲が現れ、空一面に広がってきたのです。

 暗い雲が腹ばいに海にのしかかってくるようです。
 風は強まり、波は荒く、船を激しく揺さぶります。

「荷物が海に投げ出されないようにしっかりおさえていてくれ!」

 マストの帆をたたみながら、商人が叫びます。
 その声をかき消すように雷鳴がとどろきます。
 一斉に放たれた矢のような雨が、容赦なく船に降りかかります。

 次の瞬間、船は高い波にもちあげられたかと思うと、そのまま横倒しに海面にたたきつけられました。

 船はばらばらになりました。

 天の子どもと商人は、海に投げ出されます
 
 それでも二人は、壊れた船の破片を必死につかみ、波に浮き沈みしています。

「もうだめだ! わしは終わりだ! 儲けた金も商品も、船さえなくしてしまったよ……」

 折れたマストにしがみつく商人は、力なくうなだれます。

「しっかり! しっかりつかまって!」

 甲板の破片につかまりながら、天の子どもが叫びます。

「何もなくなった……わしは終わりだ……」

 商人はいよいよあきらめの境地です。

「あきらめちゃだめだ! 今朝手に入れたお茶も香辛料も昨日にはなかったものじゃないか! また手に入れればいいんだ!」

 商人は情けない顔で天の子どもを見ます。
 天の子どもは叫びます。

「ぼくはまだ商売もしていない。お金もない。これから始めるつもりだったんだ! あなただって初めはそうだったでしょう? 何もないところから始めたんでしょう?」

 天の子どもの言葉に、商人は不思議な力を得ました。

「そうだ……何も失ってない。これから始めるところに戻っただけだ。まだこれから……これからだ!」

 商人が力を得たのがうれしくて、天の子どもはさらに力強く励ましました。

「そうだよ! きっとできるよ! 生きていさえすれば必ず!」

 その励ましは、自分の心に響きます。
 生きていこうとする力が、天の子どもの中に湧き出てきます。
 商人は力ある笑顔でうなずきました。

 その笑顔を見せたのを最後に、商人は高波にさらわれ、船はちりぢりになり、二人は離ればなれになってしまいました。

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