第1話 山菜鍋

文字数 2,632文字

 イズリが家の内を覗き込むと、幼馴染のポトが、炉に火をくべているのが見えた。くしゃくしゃの髪、つぶらな瞳、愛嬌のある低い鼻、よく見知ったその少年は、静かに一人、食事の支度をしていた。
「ポト。お母さんから、夕飯もらってきたよ。一緒に食べよ」
 イズリはそうポトに声をかけながら、返事も待たずに、勝手に家に上がり込んだ。家といっても、穴を掘って柱を立てて、骨組みを作り、その上に藁をかぶせただけの簡素な家である。今時こんな貧相な家に住んでいるのは、この里ではポトくらいだった。
「ああ、イズリ。いつも、ありがとう。でも、俺に気なんて遣わなくていいんだよ」ポトは申し訳なさそうに言った。
「何言ってんのよ。きっとポトはもうすぐ私の家族になるんだから。あと少しで、お父さんを説得できると思う。だから、もうちょっと、待っていてね」
イズリの言葉に、ポトは何か言いたげな顔をしたが、途中で言うのを諦めて、炉の鍋にイズリが持ってきた大きな椀の中身を移し替えた。
 しばらくすると、鍋から湯気が立ち上り、きのこと山菜の良い香りが室内に立ち込めた。
 ポトは、自身で食べるつもりで焼いてあった川魚を二つに分け、お頭側をイズリの、尻尾側を自分の葉皿に乗せた。そして、鍋の中身を二つの小さな木の器に取り分けて、手際良く支度を整えた。
 二人はまだ熱い山菜汁に息を吹きかけては冷まし、次々と頬張った。
「さすが、イズリの母さんだね。とっても美味しいや」ポトが顔を綻ばせて言った。
「ううん、それが違うの。今日はイズル姉が作ったんだよ」イズリはにやりと笑って答えた。
「え、イズル姉が。また珍しい」
「いよいよ、嫁入りが決まったんだってさ。お母さんに手料理叩き込まれてるんだ」
「それは、めでたいね」ポトは手を叩いて喜んでくれた。
 イズリもにっこりして、礼を述べた。
「イズル姉は、いくつだっけ」
「十六だよ」イズリは言った。
「もう、そんなにか。まだ俺たちより子どもっぽい気がするけどな、もうそんな歳か」ポトは可笑しそうにくくっと笑った。
「私たちだって、秋にはテルヤだよ。もう子どもじゃない」
 テルヤとは、その年に成人する者たちのための里の祭儀で、男は身体に墨を入れ、女は八日間テイダと呼ばれる小屋に籠ることで、正式に里の一員として迎えられる。
 ふと思い出したように、ポトが言った。
「テルヤが終われば、俺だって、みんなと狩りに行ける。そしたら、一人でだって生きていける。だから、イズリ、俺のことなんか心配しなくていいんだよ」
 イズリは、思わず、ポトから目を逸らした。
 おそらく、ポトは狩にはいけない。
 ついこの前の冬、ポトの一家を乗せた馬車が崖から転落した。ポトだけが救い出されたが、そのポトも、足に怪我を負ってしまった。狩りについて行くことは難しいだろう。
 ポトだって、それがわからないはずはなかった。
「ポト。うちにおいでよ。うちに来たって贅沢な暮らしはできないけど、こんなところで一人で暮らすなんて、寂しすぎるよ」
 ポトは力なく笑った。
「ありがとう。その言葉だけで、俺は充分さ。でも、そうなることはないんだよ」
「大丈夫。私が説得してみせるから。安心して。ね、あと少しだから」
 ポトは首を振った。頑なであった。
 しばし気まずい沈黙が続いた後に、イズリは言った。
「ねえ、何で駄目なの」
「もう、大人だからね」
「まだ十四だよ」
「俺は充分に大人だよ。少なくとも、みんなが思っているよりはね」
「みんながまだポトを子どもだと思っているなら、絶対に迎え入れてくれる家があるはずだよ」
「いや、ないね。俺は大人だから知っているんだ」
「あんたも、たかが十四の子どもでしょ」
 瞬間、ポトは顔を真っ赤にして、けれども、開きかかった口をつぐもうとした。しかし、結局堪えきれなくなって、堰が切れたように、立ち上がって叫び出した。
「なんで、俺が受け入れられないかだって。それは、俺の家族が里を裏切ったからだ。馬車が転落? 違う。みんなで貯めた風車を作るための金を持って、夜逃げしたんだ。俺は、あの日、何が何だかわからないまま馬車に乗せられた。途中で、里を出たことに気がついて、戻りたいって暴れたんだ。暴れた時に、俺は馬車から落ちた。でも、馬車は止まってくれなかった。きっと後ろから、里の追手が近づいてきていたからだ。俺は落ちた時に頭をぶつけて、気づいたら長老の家で寝ていた。長老は、俺が何も覚えていないと思って、ただ、馬車が転落したって俺に言った。なんで、あんな時間に馬車を走らせる必要があるんだ。俺が聞いたら、長老は、森にでも呼ばれたんだろうって。誰が、そんな迷信、信じるっていうんだ。そしたら、次の日、会合が開かれていて、盗み聞きしたら、風車の金について話し合っていたよ。馬鹿だって、わかる。俺の家族が何をしたか。里の者だって、俺に非は無いってわかってる。けれども、俺がここで受け入れられるはずはないんだよ」
 イズリはただ呆然とその話を聞いていた。勝手に涙が溢れてきたが、声は出なかった。
 ポトはしばらく荒い息のまま、座り込み、まだ火の燻る炉を睨んでいたが、やがて、悔しそうに言った。
「イズリ、急に声を荒げたりして、ごめんな」
イズリは何も言えず、かぶりを振った。
 ここ数週間、ポトを家に迎えたいと言った時の父母の様子を思い出していた。イズリがお願いすると、父も母も何とも言えない切ない顔で首を振るのだった。元来、父も母もポトのことは、自分の息子のように可愛がっていた。だから、そんな顔をするのは変だと思っていたのだ。
理由があった。
 父も母もポトに何の非もないことくらいわかっている。しかし、里の者の目を考えると、家に呼ぶことは難しいだろうし、そもそも父や母だって、ポトを見ているだけできっと悔しい気持ちになるだろう。
 風車を建てるという目標は、里の大きな希望だったのだ。ようやく建設費が集まったところだった。それが無になった。
「イズリ、そんな顔するなって。俺はイズリが思っているほど、落ち込んじゃいないさ」ポトは妙に元気になって、イズリの肩を叩いた。
 イズリはポトの顔を見つめた。見慣れた優しい顔を見ると、余計に悲しくなって、ぽろぽろ涙が落ちた。
 ポトは笑顔を作って見せて「こんな話をして、悪かった」と言った。
「ちょっと、風に当たってくる」イズリはポトから顔を背けて言った。
「それなら、一緒に散歩しよう」そう言って、ポトもイズリについてきた。
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