第11話 飾太刀

文字数 4,912文字

 イズリがあまりの寒さに目を覚ましたのは、空が白み始めた、まだ暗い頃だった。大木に背を預けて寝ていた。かなり長く寝ていたのだろう。身体が痛い。誰かに見つからなくて幸いだった。酔い潰れて寝てしまったと思われるのは、恥ずかしい。
 昨日のことは、はっきりとは覚えていない。
マルフに返事をするため、ここにやってきた。少し踊ってから行こうと思い、踊った。魂を飛ばした気がする。そして、ポトを見た気もする。しかし、どこからが夢なのかわからなかった。
 イズリは身震いをして立ち上がった。
 ここに居続けても仕方がない。イズリは、せっかくの夜明けなのだから、日の出を見に行こうと思った。ソヨタの川原を上流に向かって登っていった先に、里を見下ろせる高台がある。イズリはそこから見る日の出が好きだった。
 里の奥に広がる山脈の向こうから、少しずつ太陽が姿を現す。それに従って里も光を浴び、少しずつ色づいてゆく。年に何度か早起きして見に行くほど、イズリの好きな景色だった。
 先程より空が大分明るくなっていたので、イズリは早足で向かった。せっかくならば、山から日が顔を出す前に高台に着きたい。歩くうちに、寒さは気にならなくなった。
 川に沿って山道を登り、ようやく高台が見えた頃、そこに先客がいることに気が付いた。立ち姿から想像するに、少し大柄な男だ。離れたここからでは、まだ誰かわからない。誰かが里を見下ろしている。後ろ姿なので断言はできないが、あの姿に見覚えはなかった。イズリは、徐々に近づいていった。
 ふと、男の腰に提げられた飾太刀が、目に止まる。あの飾太刀は……。
 イズリは、見晴らしの良い高台に上がるのは諦め、坂の途中で立ち止まり、そこで日の出を待とうとした。
 と、不意に男がこちらを振り返り、よく通る大きな声でイズリに呼びかけた。
「里の者、私に構わず、ここで日の出を見なさい」
 イズリは驚いた。気づかれないくらいには、充分に距離をとっていたつもりだった。気まずくは思ったが、声をかけられて無視をするのも失礼だと思い、イズリは男の横まで坂を駆け登った。
「ブルドゥさんですよね……」顔を見ながら、おずおずと尋ねる。
「いかにも」ブルドゥは答えた。
 彼こそが、この地方一帯を治める役人の長、ブルドゥであった。ブルドゥが腰に提げている飾太刀がその印であることは、イズリも知っていた。長と聞いてイズリは年老いた里の長老のような人を想像していたが、実際には四十くらいの、まだまだ精悍な男であった。淡い紫の衣を纏い、静かに里を見下ろす彼の様子を、イズリはなぜか美しいと思った。
「あの、ブルドゥさんはどうしてここに」
「君と同じ理由だ。日の出を見に来たのだよ」落ち着いた低い声は、決して大きくはないけれども、それでも朝の澄んだ空気によく響いた。
「君の名前は」ブルドゥが問いかけてきた。
「イズリです」
「イズリ……。もしかして、先日の大きな宴で、開幕の儀を務めた舞手じゃないかな」
「え、私のことをご存知なのですか。おそらく、それは私のことだと思います」イズリは驚いた。広場にいたら目立つであろうブルドゥの姿はなかった。
「見ていたのだよ。里を見渡せる場所はここだけではないからね。里長と話をした場所はとても見晴らしの良い場所だった。丁度そこから、広場が見えて、良い舞手が見えた。それを里長に話すと、色々と君のことを話してくれたよ」
 里長が自分の何を話したのか……。エノヒの子ということをなのか、ポト一家と仲が良かったということなのか、気にはなったが、それでも、良い舞手として、ブルドゥの記憶に残ったのは、心から嬉しかった。
 それから二人は黙って日が昇るのを眺めた。辺りには、鳥の囀りと穏やかな風の音だけが響いていた。
 初め、線のような光が山の向こうから漏れ出した。やがてそれが太くなり、弧になり、姿を現し始めた。こうなると、太陽の姿は、眩すぎて殆ど見ることはできない。しかし、本当にイズリが見たいのは、太陽そのものではなく、それによって染め上げられる里であった。
 何度見ても溜息が出るほど美しい。朝靄に包まれた里が、朝日に照らし出され、徐々に浮かび上がってくる。茅葺き屋根の里人の住まいも、収穫を終えた田畑も、堅牢な石造りの砦も、全てが淡く輝いて見える。暫く眺めていると、人々が目覚め、朝の活動を始めるのがわかる。朝食を作る煙があちらこちらから上がる。そして、ああ、里にはたくさんの人が暮らしいているのだと気付かされる。
 そんな光景をイズリとブルドゥは、ただ静かに見守った。
 やがて日が昇りきり、それでイズリは充分に満足したのだが、ブルドゥがまだ動こうとしないので、先に立ち去るのも気まずく、イズリはブルドゥに声をかけた。
「あの、ブルドゥさん。どうして、こんなところに一人で日の出を見に来たのですか」
「どうして、か。日の出は美しいからね」ブルドゥはイズリを見て優しく微笑んだ。
「長である方が、警護もつけず一人で、ですか」
イズリがそういう言うと、急に顔を崩して吹き出し、くくくと笑った。なぜ吹き出したのかはわからなかったが、イズリは役人もこんな顔をするのかと驚き、また僅かに親しみも感じた。
「あ、いや、失礼。実は私もかつて、同じ質問をしたことがあってね。君と違って、先王にだが。今思えば、王にこんな質問するなんて、随分不躾なことをしたもんだ。その時のことを思い出して、笑ってしまったんだよ。あ、いや、君のことを無礼だと思っているわけではない。王様と私じゃ全く立場が違うかね」イズリが顔を曇らせたのを見て、慌ててそう付け加えた。
「昔ね、私が通う学校を先王が視察にいらっしゃったことがあったんだ。その時にね、以前噂で耳にした、遠出をすると平民にやつして、その街の朝日を見に行くというのは本当か、本当ならどうしてかと尋ねたんだ。大人たちは驚いていたよ。王が子どもたちに声をかけることがあっても、子どもたちから話しかけることは想定していなかっただろうから」
「それで、怒られたのですか」
「後で怒られたが、誰も本気では怒ってこなかった。それほどまでに王の答えは美しかったからね。みんな聞けてよかったと思っていただろうよ」
「王様はなんて?」
「随分と昔のことだからね、多少違うところがあるかもしれないが、大体はこうだ。『これは、私の父から言われたことだがね。国を見て回るときは、その地の日の出をご覧なさい。そして、朝日はきっと美しい。この国を、この地を美しいと思えなければ、王などという務めは、ただ辛いだけのものだよ、そう父はおっしゃった。だから、私はその言葉を信じているのだよ』これが王の言葉だった。王家に伝わる家訓なのかもしれない。いや、もしかすると王家への畏敬の念を育ませるための作り話だったかもしれない。しかし、かつて少年だった私には、充分過ぎるほど響いた。それで、私は役人として方々へ赴くたび、その地の日の出を見て帰るのだ」ブルドゥは、穏やかに語った。
 イズリはブルドゥのいう美しさがわからず、その話を寧ろどこか冷めた気持ちで聞いていた。何かが引っかかるのだ。そして、やがて何に引っかかったのかに気がついて、気がついてしまうと、無性に腹が立って、嫌味っぽく言ってしまった。
「つまり、あなたはこの土地が好きなんですね。豊かに実る田畑がある土地が。税がたくさん手に入る土地が」
 ブルドゥが何か言いたげに口を動かしたが、イズリは構わず言い続けた。役人の長に、このような物言いをするなど、とんでもない無礼だと分かっていたが、ポトのことを思い出せば思い出すほど、怒りを抑えられなくなって、勝手に言葉が飛び出した。
「あなたが愛すのは、人じゃない。豊かな土地だ。もっと税金が欲しいから、風車の建築を急ぐんだ。今この里に風車を作る余裕はない。ポトの家族が盗んだからね。けれども、あんたたちは、風車の建築を止めることを認めてくれないし、お金もこれ以上は援助しないと言っている。この里の人のことなんて、何一つ考えてくれちゃいないんだ」そこまで言って、流石に言い過ぎたと思ったが、引くに引けずギロリと睨んだ。
 ブルドゥはイズリの剣幕にほんの少し驚いたようであったが、しかし、深く溜息をついて俯いた。
「否定しないのですね」イズリは詰めた。
「否定しないわけではない。しかし、君の言う通りだと認めざるを得ないところもある」
 イズリはブルドゥの目に憂いが浮かぶのをみた。決して傲慢ではない、寧ろ弱々しく悲しげな目。そんな目を役人の長であるブルドゥがするとは思っていなかったので、イズリの怒りはそれで一気に削がれてしまった。
「ああ、そういえば君はあの一家の息子と仲が良かったんだね。そう里長から聞いたよ。無茶な風車建設となれば、里が苦しくなる。そうすれば、あの一家への恨みは、より一層強くなる。側でそれを見ている君は、さぞ辛いだろう。申し訳ないと言う気持ちは、私にもあるよ」
「じゃあ、なんで……」
「君は、私が土地を愛していると言ったが、それは誤りだ。私は確かにこの地と、この地に住む人々を愛している。しかし、また同時に隣の地に住む人々も、その隣も、同じように愛している。私はこの国の民を平等に愛しているのだ。君は知っているかい。北の地では、冷夏ばかりで、不作が続いている。それから、西の地の先にある新興国が怪しい動きをしている。戦争が起こるのではないかと、辺境の地では慌ただしく準備が進んでいる。そんな中で、この地は、食糧確保の要なのだ。この地が潤わないと、どこかで民が死んでゆく。この地はもとから豊かだ。たとえ、風車の建設を強行したとしても、民は苦しい思いはすれども死にはしない。風車が完成し、灌漑設備が整い、更に開墾して、実りが増えれば、この里はもちろん、国も豊かになる。だから、この里に負担を強いるしかないのだ。いや、君は、それなら我々が負担を肩代わりすれば良いと言うだろう。確かに、どこかの豪家から、寄付を募れば、多少資金は集まるだろう。だが、それだけ、豪家が里の運営に口を出すのを聞かねばならない状態になるということだ。それは、国が負担しても同じことだ。自分たちの力で建てない限り、この里は搾取される側になる。私は里にそんな未来をもたらしたくない。たとえ、里の者の恨みを買ったとしても、大きな視点で見た時に、この一手が最善の手だと私は信じている」
 里を見下ろすブルドゥの眼差しに嘘偽りは感じなかった。イズリは、父母がブルドゥを聡明な人間だと評していた理由がわかった気がした。里の物知りな長老たちとはまた違う、内に秘めた熱を持つ強く賢い人間なのだと感じた。
「先程は酷い言い方をしてすみません」イズリはおずおずと謝った。
「いや、あなたたちの私への恨みは当然なのだ。風車を今造るのは、里の都合ではないからね。君たちの犠牲のもとに造るのだ。先ほどは、これが最善の一手だと言ったが、本当はそうではないのではないかと、ふと怖くなる時があるのだよ。さっきも、そうだった。君が登ってくることに気がついた時、里の者が私を闇討ちに来たのではないかと恐ろしくなった。殺意も何もない少女だとわかった時、どれほど安堵したことか。いや、襲われるのが怖い訳ではない。たとえ里の者が三人がかりで鎌を持って襲ってきても、倒せるくらいの武術の鍛錬はしているのだ。けれども、私を襲った者はたとえ私が殺さずとも、ただではすまない。それが怖いのだ。私の一つの判断で、誰かを殺すことになるのが、とてつもなく怖いのだ」ブルドゥはそこまで言って止めて、イズリを見て微笑んだ。
「余計なことまで喋ってしまったね。私から聞いた話は、里人には語らず、心に閉まっておいてもらえるかい。私だってこんな話が広まろうものなら、恥ずかしくて仕方がないからね。さあ、お行きなさい」
 イズリはこくりと頷いた。
「ありがとうございました。こんなにも里のことを考えてくれる人がいたなんて、初めて知りました。どうぞ、里をよろしくお願いします」イズリは、一礼し、坂を駆け降りた。
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