第14話 短刀

文字数 4,811文字

 ポトは家に着き、ナガルに、イズリがポトをつけてきていることを言われ、慌てて迎えに来たらしい。もし、ポトが後少し遅かったら、本当に死んでいただろう。
「家の周りに結界を張っているんだ。そう簡単に俺の家は見つからないよ」まだ少し不機嫌そうなポトが言った。
 暫くポトの後ろをついて行くと、やがて見覚えのある小屋が姿を現した。暗い森の中で、光を放つその小屋はとても良く目立った。
 イズリは、前にナガルがポトを叱った時の激しさを思い出し、自分は何と言われるのかを想像し、体を強張らせた。けれども、ここが正念場だとも自覚していた。ここに来ることができたからには、どんなに断られようと、弟子になりたいとはっきり伝えなければならない。
「ただいま帰りました」小屋に辿り着くと、ポトは扉を開いた。イズリもその後に続く。「おじゃまします」
「いらっしゃい。こんなところまで、よく来たね。ポト、あんたも疲れただろ。いいから、まずは食べなさい」ナガルは、怒鳴るわけでもなく、かと言ってその声に歓迎している様子もなく、淡々とした口調で言った。
 二人とも、服は泥だらけであったが、清めの水で手の汚れを落とすよう言われただけで、その後はそのまま、食卓に案内された。
 食事は、鹿肉らしい肉と山菜の鍋で、温かく美味しかった。食べるまでは、お腹など空いていない気がしていたが、少し腹に収めるとどんどんと食欲が湧いてきて、何度も器によそい直した。
 ただ、ポトは始終寡黙で、とりわけ会話もないまま、静かに気まずい時間が過ぎていった。
 ひとしきり食べて満腹になり、弟子になることをどう願い出ようか考えていた時、ナガルが言った。
「さあ、ポトや。おまえさんは、今日は西の祠に篭って、修行の続きをしておいで。このお嬢さんは、あたしに話があるらしいからね」
 ポトは素直に頷くと、よく洗濯された純白の衣に着替え、すぐに小屋を出ていった。
 小屋にナガルと二人になった。
 ナガルは、面白そうにイズリを眺めると、先ほどの卓に着くように促した。イズリはおずおずと椅子に座り、ナガルが向かいに座るのを待った。
 ナガルは座ると、悪戯っぽい目でイズリを見つめ、「さあ、どうぞ」と言った。
「どうぞ、弟子にしてください」イズリは頭を下げた。
「残念ながら、それはできない相談だね」ナガルはそう言ったが、イズリも初めから、良い返事をしてもらえるなんて、甘い期待はしていなかった。
「弟子にしていただけるまで、私は帰りません。弟子にしていただくためなら、なんだってします。どんな雑用だっていたします。辛い修行でも構いません。里を抜ける覚悟は出来ております」イズリは顔を上げて、目を逸らさず言った。ナガルのことは少し怖かった。けれども、これが一世一代の大勝負だと思っていた。ここまで来て逃げ帰ることなんてできない。
「なんで、呪術師なんてなりたいんだい」ナガルが問うてきた。
「ポトから聞く話で己の見聞の狭さを知ったからです。私に見えていない世界が、確かにそこにあって、私はそれを知りたいのです。当然、呪術師になるための修行だけではない、それ以外の厳しさもあることは知っています。それでも、この覚悟は本物です。どうか、弟子にして下さい」イズリはもう一度頭を下げた。誠心誠意、心を込めた言葉なら伝わるかもしれないと思った。
 しかし、ナガルは静かに言った。
「どれだけお願いされてもね、できないものはできないよ。呪術師というのはね、なりたくてなるものじゃないんだ。自分じゃ、どうにもできない大いなる力に振り回されて、気がつくとなっている、そういうものなんだ。『森が選ぶ』なんて言い方を良くするが、それはそういうことなんだ。選んで呪術師になりたいというおまえさんに、呪術師は務まらない。そういうものだと理解するしかないね」
「でも、私も魂を飛ばしました。何度も修行をすればきっとできるようになります」
「全く力がないというわけではないのだろう。確かに修行すれば、呪術の一つは使えるようになるかもしれない。けれどもね、魂を飛ばしたり、獣に乗せたり、そういったことは、全て手段であって、目的ではないんだ。大いなるものは、おまえに力を与えようとはしていない。そういう者が力を手に入れた時に待つのは不幸だけだ。おまえさんは、呪術師になってはいけないんだよ」
「じゃあ、どうして、ポトは選ばれて、私は選ばれないのですか。ねえ、どうして。もしかして。私が呪術師になったら不幸になるということは……。ポトは私より不幸だから選ばれたの。不幸にならないと、選ばれないの」イズリは叫んだ。
「そうさね。それは、半分当たっているし、半分間違っている」ナガルは穏やかに言った。
「大いなるものが、誰をどうして選ぶかは、あたしにはわからない。けれどもね、ポトにしても、あたしにしても、それしか道がなかったんだ。選べる者は選ばれないのが呪術師さ。それを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは、語る者次第だよ」
「だから私は、呪術師にはなれないということなのですね」
 イズリは何日でも何年でも頼み込む覚悟でここに来ていた。しかし、ナガルの口振りからそれは意味のないことだと悟った。どれほど願っても、真剣であっても、手の届かないものがあることをイズリはようやく受け入れた。イズリは項垂れた。悲しさ、悔しさ、情けなさで胸はいっぱいだった。
 ふと、ナガルがイズリの頭を撫でた。細長く皺くちゃな指であったが、とても温かった。
「イズリや。顔をお上げなさい。今、おまえさんが思う、つまらない人生というのは、入口こそ狭くつまらなく見えるが、奥が深く底の知れない、それこそ本当に面白いものなのだよ。あたしはその人生を味わえなかった。だが、呪術師として人と関わり、その片鱗を知ることはできた。きっとずっと、おまえさんが思うより複雑で良いものだ。いずれそのことに、おまえさんも気づくだろう。けれどもね、今、おまえさんが、それでも別の道を歩みたいと思うなら……。さっき、おまえさんは、自分が選ばれなかった人間だと言ったね。けれどもね、おまえさんは、自分で選び取る力がある人間なんだよ。そういう勇気を持って生まれてきたんだ」
「私に勇気なんてないよ。山犬に襲われた時、怖くなって、何にもできなかった。口だけの勇気だよ」
ナガルは首を振った。
「山犬がいる森に一人で分け入ろうと思うなんて、誰にでもできることじゃない。おまえさんには、自分で自分の運命を選び取り、道を切り開く力がある。おまえさんが本当にしたいことは呪術師になることかい。おまえさんは、さっき、自分の知らない世界を見たいと言った。世界は知らないことだらけだ。呪術師にならずとも、おまえさん自身で、そういう道を選び抜けばいい」ナガルはもう一度イズリを撫でた。
 ナガルの言葉はすっとイズリに染み込んでいって、徐々に心の中に温かいものが広がるのを感じた。そうしてナガルの言葉を何度も反芻するうちに、自分が今なすべきことが、見えてきた。
 そうだ。それがいい。そうすればよかったのだ。
「ナガルさん。私、今すぐここから帰らないといけない」
 ナガルはにっこり笑った。
「そうかい。夜明けを待たずにあんたを帰そう。だが、そう焦らずとも少しだけ、お待ちなさい」そう言って、前にナガルの家を訪れた時のように、薬草を幾つか煎じて湯呑みにいれ、イズリに手渡した。
 良い香りのする飲み物で、イズリはそれに息を吹きかけ冷ましながら、少しずつ飲んだ。はやる心が落ち着きを取り戻し、安らいでいくのを感じた。
 きっとこれで大丈夫。これからする私の選択を信じて良い。たとえ、正しくなくても、それを私の力で良いものに変えていけば良い。
 やがて夜更けに、ポトが修行を終えて帰ってきた。
「ポトや。イズリを里まで送っていきなさい」ポトが扉を開けるや否や、ナガルが言った。ポトは、一度イズリを見て、何かを察したように、一瞬、小さく息飲んだが、ナガルに何も聞かずに頷いた。そして再びイズリの目を見て言った。「行こう」
 二人は直ぐに支度を整え、小屋の外に出た。
 外に出ると、後ろから出てきたナガルがポトに言った。
「ポト。おまえさんが、この修行の中で一番丹精込めて整えた物をイズリにあげなさい」
 ポトは、はっとして頷いた。
 そして、イズリにも言った。
「それはね、ポトが念を込めた物だからね、この場所の記憶を持つんだ。だから、おまえさんが、再びここに来たいと願う時は、それを使っていつでも来ることができる。ここはね、結界を張っているから、磁石も効かない、普通に来ようたって来ることができない場所なんだ。だからね、もし、またここへ来る時は、それを頼りにしなさい。進むべき道を教えてくれる。ただし、そうだね。おまえさんが、ここへ戻ってきたいと思うのは、きっともう少し先のことだろう。それまでは、ただ大事になさい」
「はい。ありがとうございました」
「じゃあ、行くよ」ポトに声をかけられ、イズリは頷き、共に歩み始めた。
 しばらく背にナガルの視線を感じていたが、振り返ることはしなかった。
 まだ星の残る空であったが、ほんの少しずつ白み始めていた。夜明け前に、里に戻りたかった。
「ちょっと危ないけれど、近道しようか」ポトが言った。
 そこからは、楽しい冒険だった。二人で交替で松明を持って道を照らし、岩場に登る時は、先にポトが登って、手を差し出し、イズリを引っ張り上げてくれた。そうだ。昔はこうして良く遊んだのだ。懐かしい思いに駆られながら、幾つものとりとめもない話もした。ポトと二人でいるのは楽しかった。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、夜明け前にはソヨタの川原に辿り着た。川を渡れば、そこはいつもの里だ。
「イズリ。これが、師匠の言っていた、俺からイズリに渡すものだ」
 そう言って、ポトは背にかけた袋から鞘に収まった短刀を取り出し、それをイズリに差し出した。深い色をした木の柄と鞘で、これといった装飾はないのだけれども、よく磨かれて、艶々と光っていた。短刀を鞘から抜いてみると、こちらもまた鈍く光り、美しかった。ただ、刃文がなく、おそらく、実際に切ることはできないだろうということもわかった。
「師匠のところに来てからずっと磨かされていた。本当は、なんでこんなことしなきゃならないのかと思っていた。もっと面白い修行ばかり続けば、って思っていた。でも、きっと、師匠はいつかイズリが来るって、わかっていたんだと思う。俺はイズリについて行けないけれど、きっとこれが俺の代わりにイズリを守ってくれるよ。短刀というのは、切り開くもの。道なき道を切り開いてくれるのが短刀だ。イズリの勇気を形にしたものだよ」
 イズリは、はっとした。
「ありがとう。ナガルさんにもおんなじこと言われたよ。ポトにも私の未来が見えたの?」
 ポトは首を振った。
「師匠はそうかもしれない。でも、俺は違うよ。何年一緒にいたと思ってるんだ。さっき、修行から帰ってきて、イズリの目を見た時にこれからイズリが何をするつもりなのかわかったよ。頑張れよ」
「ありがとう」イズリは繰り返した。ポトが背中を押してくれている。それだけで、前に進める気がした。
 そして、さあ行こうと決心した時、ふと懐にある石を思い出した。イズリはそれを取り出してポトの首にかけた。その時に、ポトの背が、もう自分よりずっと高いことに気がついた。
「この石、返すね。今度は私が帰ってくる番。上手くできるかわからないけど、私の訪れをポトに知らせてくれるかもしれない」
 ポトはにっこり笑って頷いた。
「そうしたら、行くね」
「いってらっしゃい。また会おう」
 イズリは川の浅瀬を歩き、渡りきった。向こう岸にポトが見える。
 一度だけ振り返って手を振り、踵を返し歩み始めた。
 そのまま、イズリは家には帰らなかった。
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