第12話 ソヨタの川原

文字数 3,878文字

 懐にあるポトからもらった石が温かくなっていることに気がついたのは、ブルドゥに会った日の昼頃だった。イズリは、あの後一旦家に帰り、朝食を取り、しばし休んでいた。そして、今日こそはマルフに話に行こうと決意し、今の思いをどう伝えるか、あれこれと想像していた。
 ようやくこの言葉でいこうと決めた頃、石が熱を持っていることに気がついた。今日、ポトがこの里を訪れるのだ。
 ポトに会うのはいつぶりだろう。前に会ったのは、テルヤの前で、しかも店先で、ほんの少ししか話すことができなかった。その前は……、ああ、魂を飛ばした時だ。そんな前からきちんと話せていないのか。イズリは迷うことなく、ポトとの再会を選んだ。マルフには明後日でも会える。
 ポトが来るであろう頃合いになると家を出て、ソヨタの川原に向かった。
 川原に着くと、既にポトがイズリを待っていた。何か落ち着かずに、木の下で地面に足を擦り付けている。
「ポト、久しぶり」イズリが手を振って近づくと、こちらを見て、ポトがふっと肩の力を抜いた。
「久しぶり。元気そうでよかった。急に俺を呼びに来るんだから、何かあったのかと思ってびっくりしたよ」ポトが言った。
「え、私、ポトを呼んだの? ということは、やっぱり、私、昨日魂を飛ばしたんだね」
「まあ、そういうことになるね」ポトが苦々しく頷いた。
「私も呪術師の才能あるんじゃない?」イズリがそうふざけて言うと、ポトはそれをきっぱりと否定した。先日イズリに魂飛ばしをさせた際、ナガルにこっぴどく叱られたのだろう。絶対に同じ過ちは繰り返すまいという強い意志が感じられた。
「誰だって、ふと思いが大きくなった時に、魂を飛ばすことはあるんだ。特にイズリは一回飛ばしたことがあるから、飛びやすい状態になっていたんだと思う。けれども、呪術師の才能とそれは別物だよ」
「はいはい、わかったって」イズリが渋々頷くと、ポトは小さく意地悪く笑った。
「まあ、俺を羨ましく思う気持ちはわからなくもないけどね。呪術師は面白い」
「その言い方、腹が立つ。でもね、ポトと違って、私はテルヤも終えたし、若人の宴の開宴の踊りを一人で務めたし、それをブルドゥさんに褒められたし」
 イズリはそうして、今朝ブルドゥと会ったこと、そして、そのブルドゥが話したことをポトにも話した。ブルドゥは、里人にこの話をしないように言っていたが、里人でないポトなら良いだろう。
 ポトはその話を感心して聞いていた。
「世の中には、すごい人もいるもんだね。俺らよりも、ずっと世界が広いんだろうな」
 その後は、最近釣った魚のこととか、そういう幾つものたわいない話をして、その間に時間が経っていった。
 だが、ポトはイズリが取り留めもない話だけをしに来たとは、思っていないようだった。話の間合いから、イズリもそれを感じ取りつつ、くだらない話を幾つも挟んだ。
 いざ、聞いて欲しかった話をしようとすると、どう話せば良いかわからなくなってしまったのだ。
しかし、いい加減、ポトも痺れを切らしたのだろう。いよいよ単刀直入にイズリに尋ねてきた。
「なあ、おい。イズリ。魂を飛ばしてしまうくらいのことがあったんだろ。それを聞いて欲しくて、俺を呼んだんだろ。言えよ。俺のせいで誰かにいじめられたか」
 ポトの言葉に思わず目を見開いて吹き出した。ポトがそんなことを気にしていたなんて、考えもしなかった。もしかすると、悪口の一つや二つは言われているかもしれないが、それは大多数ではないし、言われたところで気にするような、そんなやわな人間であるつもりはない。
「違うよ、全然」イズリは腹を抱え笑いながら答えた。
「じゃあ、なんだよ」
 さて、一体どう答えようか。
 イズリの専らの問題は、マルフへの返答だった。断るには断るつもりであったが、充分な理由はない。断ることが本当に良いことなのかもわからない。
 そもそも、自分にとってまだ遠いもののように感じていた恋だの結婚だのの話が、急に降ってきて、狼狽えているのだ。イズリはマルフへの返答より、ずっと手前の段階にいた。これから、どう生きれば良いのか、ポトに教えて欲しいのは、そういうことだった。
 けれども、そういうことをポトに相談するなら、マルフから申し出があったことをポトに話さなければならない。
 それを聞いた時のポトの反応が気になった。マルフの申し出を受けるべきだと言われたら、なんだか嫌だ。けれども、受けないで欲しいと言われても困る。どんな答えが返ってきたとしても、気分は良くない気がする。
 結局イズリは「しばらく会えてなかったから、会いたくなっちゃったんだよ」と答えた。
「だからさ、いつもみたいに話をしよう。ね、何か面白い話はない?」イズリがそう言うと、ポトは少し肩をすくめてみせた。
「本当に何もなかったの。大丈夫? 別に無理に聞き出そうって魂胆はないけどさ」
「いいからさ、最近あった面白い話」
「面白い話か……。あ、最近、修行が進んで、森の獣にも魂を乗せられるようになったんだ。面白いよ。鷹に乗せるとね、とても高いところから、景色を見渡せるんだ。それにとっても速いね。風に乗って空を飛ぶのは心地良いよ。山犬に乗せたのも面白かった。山犬に乗ると色んな臭いを感じられるようになるんだ。獣たちは、こんな風に森を感じているんだと知って、驚いたよ。俺たちの見えている世界のなんて狭いことか」
 そういう話を聞きたいわけじゃない。イズリは思った。
 イズリを楽しませる話をしたかったというのは嘘ではないだろう。けれども、ポトはポトで誰かに話を聞いてもらいたかったようで、ポトは生き生きと修行の話を語って聞かせてきた。これは、ただの自慢じゃないか。イズリの心には、ポトに対する苛立ちが生まれていた。
 ポトはとても楽しそうな修行をしている。これからも、不思議で好奇心をくすぐられるような経験を重ねていくのだろう。イズリが見ることのない、多くのものを見てゆくのだろう。
 イズリに起こったこの嫌悪感が、羨望以外の何でもないということに気がつくのに、時間はかからなかった。気がついて、自分のことが自分で嫌になったが、理解していても、羨ましいという思いは止められなかった。
 イズリは精一杯、気持ちを抑えながら、そして、こう言ってもポトは応えてくれないとわかりながら、口を開いた。
「ねえ、私も魂を獣に乗せてみたい」
「絶対にだめだよ」案の定の答えが返ってくる。
「どうして。いいじゃない。ちゃんと練習もするよ」
「誰にだって出来ることじゃない」
「私は既に、何度か魂飛ばしているんだよ」
「イズリ、君が思っているより、魂を扱うことはずっと危険なことなんだ。森の許しなく、むやみに飛ばすものじゃない」
「何、あんた、自分だけは許しを得たっていうの」
「そうだよ。森に呼ばれたあの時、許しを得たんだ。君は許しを得ていない」
「じゃあ、ポトは自分が選ばれた人間だって、私たちを見下しているわけだ」これ以上は言ってはいけないと思っていたのに、言葉が出てきてしまった。羨ましくて、憎らしくって仕方がなかった。
 これから私は、その辺の里人と結婚して、田畑を耕し、たまに狩りに行って、それくらいしかない、もう見えた人生が待っている。息苦しくてたまらない。それなのに、ポトの前には面白そうなことがまだまだ転がっている。八つ当たりだとわかっているのに、言葉が止まらなかった。
「誰がさ……」不意にポトが呟いた。
「誰が好き好んで森に選ばれたっていうんだよ。森に住むってことは、もう俺は里人じゃないんだ。テルヤだって、受けなかったんじゃない。受けられなかったんだ。そもそも何で森が俺を選んだのか、嫌でもわかる。里に居場所がないからさ。家族は逃げていない、家族のせいで憎まれ者、おまけに足の怪我があるから仕事の役にも立たない。情けだけで生かされていたけど、里の厄介者だったってことくらい、自分でわかっていた。きっと森は、ちょうどいい孤児(みなしご)がいるっていうんで、俺を拾い上げたんだ。呪術師になるっていうのは、そういうことさ。逸れ者として、生きる覚悟を決めさせられるということなんだ」ポトの叫びは悲痛で、確かにイズリはポトを憐れに思った。けれども……。
「それでも、やっぱり、羨ましいんだよ」イズリはぽつりと言った。
 ポトはそれ以上何も言わず、踵を返して、川を渡り、足を引き摺りながら、森に帰っていった。
 ポトが去った後、イズリは色々と考えた。まず、気がついたことがある。イズリは、マルフと結婚したくないわけではなかった。結婚することで、人生が決まってしまうような気がして、それが嫌だったのだ。
 イズリはテルヤを終え、大人になると何かが変わるかもしれないと期待していた。もちろん、頭ではそんなことは起こらないと理解していた。けれども、世界には何か大きな秘密があって、それを解き明かしたり、勇気を持って冒険に赴き、大きな困難に立ち向かったり、そういう未来に希望を持っていた、
 ポトが足を踏み入れた世界は、まさにイズリが望むそれだった。見えないものを見て、獣に魂を乗せて冒険する。ああ、羨ましい。
 だから、イズリは腹を括った。
―私は里を捨てることになろうとも、呪術師になる―
 ポトは呪術師になるには森の許しが必要だと言ったが、現にイズリはそんなもの得ずとも魂を飛ばせたわけで、つまりは、実際呪術師になるために必要なものはナガルの許しだろう。そう思ったイズリは、ポトを追ってナガルの家まで行ってやろうと決意した。
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