第6話 冷酷王子と深淵の使者の交渉と怯える町娘

文字数 2,074文字

「まさか鳴海沢とはな……。【三家】でも筆頭格の家柄が、わざわざ俺のような才もなく【郭外】に飛ばされた小物に何の用だ?」

 弓鶴くんの険しい表情がわたしに深い謎を投げかけてきた。わたしはその意味が全くわからず、ただ立ち尽くすしかなかった。

「僕が出向いた理由はね、【上帳(うえのとばり)】からの提案を、君に伝えるためなんだ」

「力の上に胡座をかき、力なき者を有無を言わさず従わせるあの連中が、提案だと? 笑わせる」

 弓鶴くんの冷たい言葉がわたしの体を震わせた。

「端的に言うよ。君にはあるべき場所に帰ってきてもらいたいんだ。つまり、柚羽の家の当主としてね」

「断る。さっきも言ったはずだ。俺は【始まりの回廊】で【声】を聞けなかった人間だ。とうの昔にその資格は失っている。それに、当主なら姉上が……」

 弓鶴くんが言葉を詰まらせた瞬間、わたしの心にひっかかるものがあった。姉上? お姉さん?

「その君のお姉さんが、一年ほど前に突然姿をくらましてしまったんだ。柚羽の家は代々【始まりの回廊】で言霊を伝えるという、大事なお役目を担ってきた家系だからね。彼女の喪失は大きな痛手だ。上に下に大騒ぎさ。八方手を尽くしたけれど、行方は掴めなかった。結論として、一度は外に出した君を呼び戻して家督を継がせ、柚羽の家を存続させる事にしたわけさ」

「姉上の失踪については、叔父上から聞かされて把握している。だが、俺にはもう関係のない話だ」

「実の姉弟だというのに、ずいぶんと冷たいんだね」

「八年前、家を追われた時に別れは済ませた。もう二度と会う事は無いと覚悟していたからな」

「なるほど。でもね、その彼女がいなくなってしまった今、君には柚羽の血を繋いでいくという、新たな価値が生まれたんだ」

 弓鶴くんはその提案を鼻で笑い、完全に拒絶の姿勢を崩さなかった。

「笑わせる。何が価値だ。それはお前らにとってのだろう? 俺はお飾りの当主になるつもりはない。たった一人で、人里離れた山奥に縛り付けられて、【人身御供】にされてしまった姉のようにはな」

 その言葉に、鳴海沢の表情がわずかに変わり、わたしの心に不安が広がっていった。彼らの会話には、深い因縁や隠された真実がありそうだった。

「君の考えは尊重するよ。でもね、君が戻らなければ、これまで脈々と受け継がれてきた柚羽の血が失われてしまうんだ。始まりの回廊で【根源の欠片】と繋がることができる者は直系の人間だけだからね。才の無い君には無理としても、君の子供、あるいはその孫がそれを可能にするかもしれない。君によって、深淵の血に連なるたくさんの人々が救われるんだ」

「くっくっくっ……」

 弓鶴くんの冷たい笑いがわたしを深い不安へと引き込んでいった。

「救われるだと?  ふざけるな。あんな【呪い】に縛られ、それを力などと崇めたて、一切の疑いも抱かず信奉し続ける事の何が幸せだ?  貴様らは、その血塗られた力で築き上げてきた死体の山を想像した事があるのか?  その回廊とやらの選別で、力無き者を搾取の道具にする。そんなふざけた仕組みを作り上げ、どれだけの人々を虐げてきた? 俺はそんな腐れた連中の道具に成り下がるつもりはない。柚羽の血など潰えればいい」

 鳴海沢は一瞬黙り込み、深いため息をついた後、静かに答えた。

「君がどう思おうと、運命には逆らえない。一緒に来るんだ」

「答えは同じだ。断る。」

 鳴海沢の表情はさらに冷たくなり、声には威圧感が増した。

「本当に聞き分けがないね。僕の本意ではないけれど、力づくでも従ってもらうしかない」

 弓鶴くんはその言葉に対して、厳しい表情で鳴海沢を睨みつけていた。二人の間に漂う緊張感が、わたしの心をますます不安にさせた。

「やってみるがいい」

「君がその気なら、もう仕方がないね」

 鳴海沢の言葉には圧倒的な威圧感があり、わたしの心は恐怖と混乱に支配されていた。

 弓鶴くんは冷静な表情を崩さずに鳴海沢を見つめ続けていたが、突然わたしに向かって激しく声を上げた。

「お前は関係ない。今すぐここから立ち去れ!」

「え……?」

 突然の展開に、わたしは混乱し、どうしていいかわからなくなった。何が起こっているのか全く理解できなかった。

「でなければ、死ぬぞ……」

 その言葉が突き刺さり、わたしは衝撃と恐怖で体が固まった。弓鶴くんの顔には切羽詰まった表情が浮かび、わたしの心臓は激しく鼓動していた。

(死? わたしが死ぬ? ええーっ!?)

 顔から血の気が失われるのを感じながら、わたしはただただ困惑していた。

 弓鶴くんがパチンと指を鳴らした瞬間、周囲から数名の男たちが姿を現した。彼らは黒い戦闘服に厚いボディアーマーを身にまとい、目出し帽で顔を隠していた。鋭い視線がわたしを一層恐怖に陥れた。

「こいつを連れて、すぐにここから退避しろ、急げ!」

 弓鶴くんの指示に、彼らは迅速に行動を開始した。一人がわたしの腕を強く掴み、他の四名も周りから護りを固める位置についた。

「えっ? でも……」

 わけもわからないまま腕を引かれ、走り出そうとしたその瞬間、目の前を何かが走り抜けた。
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登場人物紹介

わたし=加茂野 茉凜 かもの まりん

 年齢十六歳で身長は百七十三センチ。高身長女子ならではの悩みを抱えている。表向きは明るい性格でとてもポジティブ。逆境こそ燃えるタイプ。でも、心はありきたりの女子なので、思い悩むことも多々ある。

 自分より少しだけ背が低い弓鶴くんが気になっている。


 一年ほど前に落雷事故に遭って、奇跡的に生還したものの、左腕から先は不自由になっている。特に左手はほとんど動かない。

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