第2話 冷酷王子との出会い

文字数 4,142文字

「へえーっ……」

 駅を出て広がる風景に、わたしはしばし息を呑んだ。目の前には、駅ビルとロータリーから続く町並みが広がっていた。新旧の店が並び、地元の人々や観光客が行き交う光景は、まるで懐かしさと新しさが混在する不思議な夢の中にいるようだった。

「これでよしっと」

 駅のロッカーにキャリーケースを預けると、わたしはディバッグを背負い直し、タブレットを取り出して地図を確認した。現在地から目的地である高台までの道のりを確認し、歩き始める。

 道を進むにつれて、町並みは静かな住宅街へと変わり、古い木造の家々が並び、庭先には色とりどりの花が咲き誇っていた。その風景に見とれながら、わたしは坂道に差し掛かる。

 息を整えながら急な坂を登り続けると、二十分ほどで視界が開け、眼下には街並みとその向こうに広がる海が見えてきた。キラキラと輝く海面が、わたしの心を軽くしてくれる。

 ようやく坂を登り切ると、小さな石の鳥居が目に入る。下調べした通り、ここが今日の目的地、石御台(いしみだい)公園だ。

 期待を胸に、鳥居をくぐり石段を上る。公園の中に進むと、木々の間から広がる景色がさらに美しく感じられた。遊歩道を歩きながら展望台へと向かう。風に揺れる木々の音や鳥のさえずりが心地よく、わたしの心を静かに癒してくれる。

「ここで合ってるはずなんだけどなぁ……」

 小声でつぶやきながら歩を進め、期待と少しの緊張が胸に広がる中、足を速める。やがて木々の間から視界が開け、展望台が見えてきた。白い柵に囲まれた展望台の先には、広大な海が広がっている。

「……」

 その瞬間、わたしは言葉を失った。展望台の縁に立ちながら、目の前に広がる石与瀬の街並みを見つめた。その先には果てしなく広がる海があり、左手の岬の先には、あの夢の中で何度も見た白い灯台が、確かにそびえ立っていた。夕日が空と海を紅と紫に染め上げ、まるで夢の中に入り込んだような感覚に包まれた。

 頬を涙が静かに伝い落ちる。

「本当にあったんだ……。夢で見た、あの景色……」

 その言葉は、胸の奥から絞り出されるように、現実と夢の境界が溶け合っていくのを感じた。これまで夢だと思っていた景色が、目の前に広がっている。全てが現実となった今、夢の意味がゆっくりと心に刻み込まれていく。

 わたしは手のひらで頬の涙をぬぐいながら、ここに来るべきだったのだと感じていた。この場所が自分にとってどれほど大切な意味を持っているのか、改めて実感していた。

 そして、わたしは展望台のベンチに身体を預けて座り込んだ。夕焼けが空を彩り、海面はキラキラと輝いている。風はそよそよと吹き抜け、木々の葉がざわめき、さざ波が岸辺に打ち寄せる音が心に沁みる。

「やっと見つけた……」

 溢れる思いを心の中で噛み締めながら、これから先、何が待ち受けているのかはわからないけれど、自分の中で一つの区切りがついて、何かが変わっていくような予感がしていた。時間が経つにつれて、空の色が次第に濃くなり、夕日がゆっくりと沈んでいく。わたしはその光景を心に刻みつけていた。

「そうだ。写真くらい撮っておかなきゃね」

 ベンチから立ち上がると、ふと右の方に人の気配を感じて視線を向けた。そこには、沈みゆく夕日を見つめる一人の少年が立っていた。その姿に瞬間的に目を奪われた。

 身長は百七十センチほどで、わたしよりちょっぴり低いくらい、華奢な身体つきに、海風で揺れる柔らかな黒髪。透き通るような大きな瞳は、深い泉の底を覗き込むようで、どこか儚げな光を宿していた。長いまつげがその瞳を縁取り、瞬きするたびに繊細な影を落とす。小さな唇は、まるで一枚の花びらがそっと揺れるかのよう。まるで『神がかった美しさ』そのものだった。

 わたしはその現実離れした美しさに見とれ、思わず息を呑んだ。

(うそでしょ……?こんなにきれいな人って、本当にいるんだ……)

 心の中で呟いていた。理由もわからずドキドキし、時が止まったように感じられた。その時、少年が振り向き、目が合った。

「こんにちは」

 そう声をかけると、少年の寂しげだった目が、突然獰猛な獣のように変わった。その冷たい視線にわたしはドキッとした。

(ええっ? なんで? 何かまずかった? もしかして怖い人?)

 不安が胸を締め付ける中、わたしは笑顔を崩さないように努めた。

「そうだが、何か用か?」

 声色はやや高めで、その美しい響きに反して、口調は重く、暗かった。何か警戒されているような感触がした。

 わたしは恐る恐る次の話題を振ってみることにした。

「ねえ、地元の人しか知らないような、他にもおすすめの場所とかあるかな?」

 少年はしばらく考え込んだ後、視線をわずかに動かして答えた。

「あるにはあるが、ここが一番だ」

 その答えには、どこか納得できるものがあった。少しの沈黙の後、少年がさらに続けた。

「ここの良さは、来た人にしかわからない。どんなに有名な観光地でも、ここには敵わない」

 彼の声には、単なる観光地への誇り以上のものが込められているように感じられた。わたしはその言葉を真剣に受け止めて、彼の心情を少しだけ理解しようとした。

「本当にそうだね。ここまで来た甲斐があったよ」

 少年の表情がわずかに和らぎ、どこか柔らかさが見えた。

「そうか……」

 その一言が、少年の内面の一端を垣間見せた気がした。わたしはその反応に安堵しながら、さらに会話を続けることに決めた。

「ちなみに、あなたがこの場所でよくすることって何かあるの?」

 少年は少し考えてから、口を開いた。

「ここに来て、景色を見ながら考えごとをする」

 その言葉には、彼の内面の深い部分が垣間見えたような気がした。わたしもまた、同じような感覚を持っていたので、その共鳴に微笑みながら答えた。

「それ、わかる気がする。わたしもここに来て、いろいろ考えちゃった。これまでのこととか、これから先のこととか。実はね、ちょっと前に大変なことがあって、それでこの風景を探していたんだ」

「この風景?」

 少年の問いかけに、わたしは驚きと喜びを感じながら答えた。

「うん、そうだよ。何度も何度も夢に出てきた景色があって、その場所を探して旅をしていたの。ここがそれととても似ていたから、見つけられてすごく嬉しかったの」

 わたしの興奮した説明に対して、少年は冷ややかに笑い、言い放った。

「夢の景色だと? ふん、くだらない……」

(えっ……?)

 その言葉にわたしは驚き、さらにおずおずと訊ねた。

「どうしてそんなことを言うの?」

「馬鹿げているからだ。実にくだらない」

 彼の反応とその冷酷な言葉に、心の中で何かが破裂するような感覚を覚えた。次第に心の奥底から怒りが湧き上がってきた。

「初対面の相手に、そんな言い方ってひどくない?」

「夢というものは記憶が整理される過程で生じるものだ。お前が夢で見た景色は、過去の記憶の断片が再構成されたものに過ぎない。そんなことも知らないのか?」

「知るわけないでしょ」

 少年は呆れた顔で言った。

「無知にも程がある。お前が見た夢の景色は、過去に体験した記憶に基づいているはずだ。それを表面上忘れているだけなんじゃないのか?」

「そんなことないって。昔の写真を見ても両親にたずねても、手がかりなんて見つからなかったんだから」

「いいや、きっと思い違いをしているだけだ。だいたい、夢などというくだらない理由で旅をするなんて、俺には理解できん。お前は夢と現実の区別がついていないんじゃないか?」

 その言葉に、わたしは心の奥で何かが崩れるような感覚を覚えた。彼の冷たい態度に、心が痛むのを感じた。

(ひどい……そこまで言う? ちょっと顔がいいからって、性格最悪じゃないの!)

 心の中は憤りでいっぱいだった。どうしてこの少年は、相手の考えを頭ごなしに否定し、こんなにも冷たい言葉を投げつけるのだろうか。

「ああ、そう。理解できないんだったら、せめて否定しないでくれないかな? わたしはずっと真剣に考えて、考えて、探していたんだから」

 感情が溢れ出し、わたしは声を震わせながら訴えた。しかし、少年は海の方に視線を移しながら答えた。

「五月蝿い奴だ。お前にとっては大切なことかもしれないが、俺には何の関係もない。理解する理由も共感する理由も見当たらない」

 その言葉を聞いた瞬間、わたしは目の前が暗くなるような感覚に襲われた。でも、彼の指摘も無視できない。価値観が違うだけで、こんなにも感情がすれ違ってしまうのだと気づかされた。

(わたし、何を期待してたんだろう……)

 心に浮かぶ悔しさと虚しさが、わたしをさらに打ちひしがせた。どうして自分はこんなにも浮かれていたのだろうと、急に恥ずかしくなった。

「ごめん……ちょっと言い過ぎたみたい。それじゃ、帰るね」

 言葉を絞り出し、肩を落として背を向けた。歩き始めると、重いため息が自然と漏れてしまった。

「はぁ……」

 早くこの場所を離れたくて仕方がなかったけれど、どこか納得できない気持ちが心に残り、何度も振り返ってしまう自分がいた。

 もうすぐ日没の時間。少年は変わらず海の側に立ち、沈みゆく夕日を見つめていた。その表情はどこか寂しげだった。

(もう忘れよう……)

 心の中でそう呟き、彼のことを考えないようにしようと決めた。けれど、胸の奥にモヤモヤとした感情が残り、簡単には収まらなかった。

(ああ、やめだ、やめ!)

 そう心の中で自分に言い聞かせ、振り払うように再び歩き出した。背中に残る微かな痛みを感じながら、わたしは夕日が沈む空を見上げ、どこか空虚な気持ちを抱えて歩き続けた。

※石与瀬市
 かつては漁業で栄えた土地。豊かな海の恵みを求めて多くの漁船が集まり、活気があふれる市場や港がにぎわいを見せていた。しかし、時代の流れとともに漁業は衰退し、今の港は材木の集積場や製紙工場、港湾関係の倉庫で埋め尽くされている。
 最近では山あいを切り開いた土地に、先進工業団地が整備されるなどして人口も増加していて、地方都市の割には駅前や幹線道路沿いは意外と盛っている様子。
 また、街の北側に位置する海岸線一帯は、風光明媚な景勝地としても知られていて、ここを訪れる観光客も少なくない。
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登場人物紹介

わたし=加茂野 茉凜 かもの まりん

 年齢十六歳で身長は百七十三センチ。高身長女子ならではの悩みを抱えている。表向きは明るい性格でとてもポジティブ。逆境こそ燃えるタイプ。でも、心はありきたりの女子なので、思い悩むことも多々ある。

 自分より少しだけ背が低い弓鶴くんが気になっている。


 一年ほど前に落雷事故に遭って、奇跡的に生還したものの、左腕から先は不自由になっている。特に左手はほとんど動かない。

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