第4話

文字数 1,764文字

 その翌日、僕は新聞販売店を訪ねた。先日新聞配達募集の貼り紙を見たことを思い出したのだ。販売店の人は、なぜ新聞配達をしたいのか訊いた。僕は野球のグローブを買いたいからだ、と応えた。それは嘘だった。母に毎月お金をあげるつもりだった。夕刊の配達をすることで雇ってもらった。
 母に話すと、出来るの? と、いぶかったが反対はしなかった。
 翌月の給料日、袋ごと母に渡した。「これからも給料は全部お母さんにあげる」と言った。母は、おまえは要らないの? と聞いてきた。「毎日お小遣いを貰っているからいいんだ」と応え、母の反応を見ずに背を向けて外へ飛び出した。照れくさかった。本当は、母の喜ぶ顔が見たかった。

[昭和三十三年~]

 四年生になった四月に、母から、来週お父さんが来るよ、と聞かされた。僕は父には悪い印象は持っていなかった。この数ヵ月は本やお菓子などを送ってくれていた。小学入学前から会っていないが、わくわくして待った。妹は覚えていないらしく、どんな人かな? と興味深そうに言う。そんなとき、母がどんな表情だったのか見ていなかった。
 次の週、父が来た。母も仕事を休んでいた。初め二人で何事か話をしたあと、母は大家さんの所へ出かけた。父と僕と妹の三人が残された。
 僕と妹は緊張したが、すぐに慣れた。父はお菓子をいっぱい持ってきた。額は忘れてしまったがかなりのお金も貰った。父は隣の県の県都、A市に住んでいた。「今度遊びに来ないか?」と誘われた。妹はすぐ、うん行く、と答えた。僕は新聞配達の仕事があるので、店にお願いしてみると言った。
 五月の連休に僕と妹は母に連れられて、A市へ出かけた。僕たち兄妹は汽車に乗るのも嬉しくて、はしゃいでいた。A市駅に着くと、父が迎えに来ていた。母は二言三言話すと、また駅の構内へ戻っていった。そのことはあらかじめ聞いていたので、僕らはそのまま見送った。正直僕は不安もあった。それを出して妹が、帰ると言い出せば困ると思い、父に付いて行った。
 父は一軒家に住んでいた。とても立派な家に思えた。玄関に入ると着物を着た女の人が出てきた。父は「僕の奥さんだよ」と紹介した。細い、というよりかなり痩せた人だった。父より年上に見えた。父が新しい奥さんをもらったことは聞いていた。父はいろいろ話しかけてくるので、僕の不安は消えていった。妹はむしろ楽しそうな様子だった。
 その夜のご飯はすき焼きだった。父は上機嫌でお酒を飲んで、明日デパートに連れて行く、と約束してくれた。奥さんはあまり口を開かず、静かに僕と妹を見ていた。
 翌日四人で出かけた。僕と妹はバスに乗る前から興奮していた。デパートではエレベーターに乗ることさえ楽しかった。ドアが開くたび光景が変わっているのが面白かった。そのエレベーターが屋上に着き、ドアが開いた――。
 目の前に夢の世界が出現した。屋上遊園地だ。回転木馬やミニ電車などで次々と遊んだ。
 食堂では、鉄の皿の上でじゅうじゅう音をたてている肉を食べた。父はビールを飲んだ。
 最後はおもちゃ売り場へ行った。
 父は「何でも買ってあげるから、どれでも欲しいものを一つ選んできなさい」と言った。僕は迷わず、野球盤にした。友達も持っていて欲しかったものだ。
 妹は、わなわなと震えた。その場できょろきょろするだけでしばらく動けなかった。そして売り場の中をあっちへ行きこっちへ来、うろうろする。見たこともないおもちゃが沢山ある中から、一つを選ぶことができないでいたのだ。せかされて選んだものは、僕からすればつまらない、小さな人形だった。
 その夜もう一晩泊って帰る。晩ご飯を済ませてから隣の部屋に移って、妹と野球盤で遊んだ。まだお酒を飲んでいる父と奥さんの話し声がとぎれとぎれに聞こえてきた。奥さんは、女の子の方がいい……、と話したように聞こえた。僕は大して気にとめなかった。
 翌日、父が僕たちの町まで送ってくれた。母は家で待っていた。母は僕たちに、「お父さんと話があるからおまえたちは外で遊んできなさい」と言った。僕は野球盤を持って友達のところへ出かけた。
 帰るともう父はいなかった。少しがっかりした。母は黙って後片付けをしていた。
 その夜、母は、今から言うことは大事な話だからちゃんと聞きなさい、と僕と妹に話し始めた。
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