第2話

文字数 1,400文字

[昭和三十年~]

 それは、僕が直接見たことではないと思う。おそらく誰かが話しているのを、後で聞いたのだろう。父のことだ。酒に酔って夜中に帰ってきたが、家の中に入れてもらえず、外で寝ていた話だ。南国四国なので寒くはなかったと思うが、呆れられたであろう。
 当時、僕ら家族は間借りをしていた。今のような戸口別のアパートではなく、民家の部屋を借りて住んでいた。そこは大きな家だったのだろう、他にも間借りをしていた人がいたのを覚えている。戦後まだ十年しか経っていないその頃には結構あったらしい。
 父はたびたび酔って帰っては大声を出し、大家さんや間借り人に迷惑をかけていた。母はいつも謝っていた。大家さんは何度注意しても繰り返すので、とうとう家の中に入れないことにした。その後、父は家を出て行った。小学校入学の時には父はいなかった。
 僕の記憶に残っているのは、その後のことだ。
 小学一年の夏休み前、母はアイスキャンデー売りを始めた。リヤカーに大きな木製のアイスボックスを積み、鐘を鳴らしながら歩いていて売るのだ。僕たちの住まいの近くに、店だか工場だかがあって、そこから出発していた。冬は蒸饅頭に替わる。
 僕が学校から帰ると母はいなかった。二歳年下の妹もいなかった。妹は母が引くリヤカーに乗って、一緒に出かけていた。僕は一人で遊んだ。僕は、母と一緒に行ける妹を羨ましく思っていた。学校が休みの日は、僕も一緒について行った。夏休みには毎日行った。
 照りつける太陽の下、僕はリヤカーを押す。ランニングシャツに半ズボンだ。リヤカーの縁に座っている妹は袖なしの薄いワンピース。そして、リヤカーを引いている母は麦藁帽子をかぶっていた。
 白く飛んだモノクローム写真のようにその情景が浮かぶ。

 そうして二年暮らした。アイスキャンデーを売って日銭を稼ぐだけでは、生活ができなかった。妹が小学校にあがると、母は夜も働くようになった。食堂での給仕と調理場の仕事だ。
 母はアイスキャンデー売りの仕事から戻ってくると、休むまもなく晩ご飯の支度をする。僕と妹は、よく母にまとわりついた。邪魔だったろうと思うが、母は笑いながら動いていた。
 母が出かけた後に妹と二人で晩ご飯を食べた。
 アイスキャンデー売りの仕事が遅くなった日は、食堂の仕事に遅れるといけないので晩ご飯の支度は出来なかった。
「これでパンと牛乳を買って食べなさい」とお金を渡された。それは何度かあった。
 ある日、僕と妹は渡されたお金を持って母の働いている食堂へ行った。そのお金で何か食べようと思ったのだ。食堂の主人は、カツレツを作ってくれた。当時はまだ高価な食べ物だった。パンと牛乳のお金では足りないとは思ったが、母が何とかしてくれるだろうと考えた。母がその代金を払ったのかどうか判らない。おそらく主人は貰わなかったに違いない。母がしきりに恐縮しているのを覚えている。
 その夜、僕は母に叱られた。
「あのくらいのお金で食堂のものを食べられるはずがないでしょ。お金が足りないのに、ご馳走になるつもりで店に来たのか」
 そして平手が僕の頬をぶった。
「卑しいことを考えるんじゃないっ」
 僕をぶったあと、母の唇は震えていた。
 僕の目には涙が滲んできた。痛さからではなかった。母を悲しませたことへの後悔からだった。
 今でもあのときの頬の感触と、母の震える唇を思い出すと、胸が絞られる思いがする。
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