第12話:日本の景気と青酸カリ混入事件

文字数 1,747文字

 家電、自動車、精密機械などの輸出が内需の落ち込みをカバーして、日本経済の救世主になった。やがて、1976年も12月を迎え12月18日土曜、横浜中華街の雨宮、山里と栗山さん、木村さんの4人でS飯店へ行き忘年会をした。

 その時、夏の旅行でわかった雨宮家の秘密について話が出た。21時、雨宮と栗山さんは、横浜から上野へ帰り、山里と木村さんは、2次会としてウインドジャマーという音楽を聴ける素敵なジャズバーを中華街の近くに探し、音楽を聴きながら将来の話をしていた。

 やがて1976年が終わり1977年を迎えた。この年、日本では、推理小説を地で行くような、不可解な事件が、連続して起こった。その最初の事件は、1月3日、東京の品川で、起こった。

 第一の事件、1月3日、11時半頃、東海道新幹線の列車食堂で、アルバイトをしていた男子高校生「当時16歳」が、宿舎へ戻る途中、品川駅近くの品川スポーツランド正面にある公衆電話を通った時、置かれていた未開封のコカ・コーラを拾った。

 翌4日の13時すぎに、それを飲むと、男子高校生は異様な味を感じ、すぐに吐き出し水道水で口をすすいだが、突然倒れた。男子高校生は意識不明の重体となり、直ちに病院に運ばれ、胃洗浄などの救命処置が行われたが、まもなく死亡した。死因は青酸中毒。

 第二の事件、1月4日の午前8時過ぎ、前述の男子高校生がコーラを拾った電話ボックスから第一京浜を約600メートル北に行った歩道上で、作業員が、倒れているのが、発見され、こちらも病院に運ばれ、死亡。

 死因は第一の事件と同様に青酸中毒であった。また、男性が倒れていた場所の近くには、男性が開栓したとみられるコーラのびんが発見され、残っていたコーラから青酸反応が検出された。

 警察が周辺を捜索したところ、同日0時過ぎ、作業員がコーラを拾った電話ボックスから約600メートル離れた品川区にある商店の赤電話に、青酸入りのコーラが置かれているのを発見した。

 それ以前に、その商店の息子が、用事で出かける際、このコーラを発見していたが、用事の後に、飲もうと思いそのまま出かけたため、間一髪でm難を逃れることができた。

 彼がコーラに毒物が入っていたことを知ったのは、用事から帰宅した時に警察官が来訪していたためであった。警察は一連の事件を受け、同一犯の可能性が高いとみて、コーラが人気である若者世代。

 さらに、青酸化合物を入手しやすい塗装業・加工業者をあたったが、物証に乏しく、犯人・犯行を特定できず、事件は謎を多く残したまま1992年1月4日0時、公訴時効が成立し、未解決事件となった。

 第三の事件、東京の事件から約1ヶ月後の2月13日午前6時過ぎ、大阪府藤井寺市に住む会社員の男性が、出勤途中にタバコを買うため立ち寄った酒屋の公衆電話に、中身の入ったコーラのびんが置かれているのを発見。

それを、飲んだところ突然意識不明に陥り病院に運ばれた。男性が飲んだコーラのびんからは青酸反応が検出された。男性は一命を取り留めたが、退院した翌日、自宅でガス自殺した。

 遺書はなかったが、死の直前には家族に
「東京の事件を知っていたのに、この様な事態になり世間に顔向けできない」と漏らた様だ。
「誰もコーラを飲んだ場面を見ていない」
「男性の出た症状には青酸中毒特有の症状がなかった」との報道もあった。

 第四の事件かも? 翌日の2月14日、東京駅の八重洲地下街で、会社社長の男性が、階段の踊り場のところにチョコレート40箱入りの紙袋が置かれているのを発見。男性は、一連の青酸コーラ事件から「もしかして、このチョコレートに青酸カリが入っているのかも」と疑い警察に届けた。

 当初、警察では遺失物扱いされたが落とし主が出てこなかっため製造者に返却した。製造会社が、これを調べると製造番号が破りとられていたことから不審に思い、研究所で調べると青酸化合物が検出された。

 製造者が、再び警察に届け、無差別殺人事件として捜査したが、この件でも犯人逮捕はできなかった。またこのチョコレート箱には「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス」「驕れる醜い日本人に天誅を下す」などと片仮名のゴム印による脅迫文らしきものが添付されていた。
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