(14) 坂の上の公園5

文字数 1,286文字

 この滑り台の上でも、たとえば(ひたい)にみかんを載せて辛抱強く寝転がっていれば、きっと鳥はやって来る。
 あの経験から確信があった。
 カラスなんかが来ちゃったら怖いから、絶対にやらないけれど。

 ふと頬に何かが当たった気がして、いつのまにか閉じていた目を開いた。

——雨。

 とうとう降り始めた。
 急いで滑り台を降りて、その下に逃げ込んだ。

 やっぱり予報は雨だったのかな。
 恨めしや……。

 ここへ来るのは、天気予報になんか気が回らないときばかりだ。
 悲しかったり。
 悔しかったり。
 落ち込んだり。
 そして、寂しかったり。

 そんな負の感情を抱え込んだときばかり。
 そんなとき、いつも包み込んでくれた思い出がそうさせる。

 時には、一歩前に踏み出す勇気をもらい。
 時には、退かずに踏み留まる強さをもらい。
 あるいは、笑い飛ばす元気をもらい。
 あるいは、涙が枯れるまで泣かせてもらい。

 時には、
 いや——、
 いつも——。

 一人じゃないことの喜びをもらった。

 今はここへ来ても一人だ。
 それも当然の(むく)いだと思う。

 それでも。

 優しく包み込んでくれる彼の大きな手。初めて肌を合わせたときの安心感を忘れない。

 部長が気味悪がって見ようともしなかった背中の傷。それを彼は優しく撫でてくれた。そこにそっとキスをしてくれた。

 あの火事のことを、あんなに自然と、気負うことなく話せた相手は、彼だけだ。

 それでも話しているうちに涙が零れていた。
 そっと、なのに力強く、泣き止むまで抱きしめてくれていた。

 そんな、あたたかいはずの彼との思い出を、辛いものにしてしまった。
 思い出しても寂しさが募るばかりだ。

 いつか、冷静に、懐かしむことができる日が来るだろうか。
 
 そのためにも、今はきっぱりと断ち切るしかない。
 今日を最後に。

 会社の引継ぎも終わらせて、退職の挨拶も済ませた。
 必要な荷物は全て引っ越し業者が運び出し、退去の手続きも終わっている。今晩だけこっちのホテルに泊まって、明日の朝一番で東京に向かう。

 今日ここに来たのは、セレモニーだ。
 二度と来ることはない。
 思えば、このぐずついた天気だって、今のわたしには相応(ふさわ)しいのかもしれない。

 さあ、儀式も終わりにしよう。
 まだ小降りだから、今のうちに駅まで走ろう。
 そう思った矢先、雨粒が大きくなった気がした。

 一瞬の躊躇(ちゅうちょ)
 そのせいで、きっかけを失った。

 別に濡れたっていいけれど、なるべくなら濡れない方がいい。
 そんなちょっとした欲張りが、躊躇(ためら)いを生む。

 雨ははっきりと激しくなった。
 また小さな後悔が増えた。
 少し様子を見るしかない。

 滑り台の下での雨宿り。
 雨宿りは嫌いじゃない。
 彼と引き合わせてくれたのも、雨宿りだ。

 周囲にはいくつもの水溜まりができて、少しずつ大きくなっていく。そこに絶え間なく、波紋が広がっては消えていく。

 また少し雨脚が強くなった。そんな気がしたとき、傘を差して坂を上って来る人影が見えた。
 雨のカーテン越しに見る、霞んだシルエット。けれど、歩き方からすぐに分かった。

 間違いない——。

 彼だ。




( 坂の上の公園 —— 終 )
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