(5) 部長のおつかい1

文字数 1,026文字

 部長からお呼びがかかった。
 もう慣れているはずなのに、それでも心拍数が上がってしまう。

「立花さん、この書類届けてきてくれるかな」

「はい……」

 差し出されたA4サイズの茶封筒を受け取る。

「じゃ、よろしく」

 部長は席を立つと、ちょっと出かけてくると次長に声をかけて、一人で出て行った。
 そのうしろ姿を見送り、封筒を手に自分の席に戻ろうとして次長席の隣に差し掛かったところで呼び止められた。

「立花さんには別にお願いしたいことがあるから、その書類は佐藤さんに届けてもらおう」

 各務(かがみ)次長がにこやかな表情で右手を差し出している。

「えっ、でも」

 佐藤千佳の方に目をやると、自分の席からこちらを見ている。
 彼女は最近勤めるようになった派遣社員だ。これまで正社員だけでやってきた部署なので、彼女のような立場の人は珍しい。特に繁忙期というわけでもないのにどうしてなのか、次長に訊ねてみたけれど、ダイバーシティの一環でいろんなことを試すらしいと、よく分からない答えが返ってきただけだった。

「これはわたしが届けてきますから」

 封筒を胸に抱くようにして抵抗してみせた。

「いいよ。佐藤さんも今は手が空いてるみたいだし」

 次長はなおもにこやかに、だめを押すように右手を伸ばしてくる。

「わたしに頼みたいことって何ですか? それもわたしがやりますし、これもわたしが届けますから」

 次長はやっと手を引っ込めて少し困ったような顔を見せはしたものの、こちらの言い分を呑んでくれたようだった。

「そこまで言うなら、じゃあ、ちょっと会議室まで来てくれるかな」

 ほっとして、次長について会議室へと向かった。
 頼まれた仕事というのは、急遽決まったという予定外の会議の準備だった。プロジェクターのセッティングと資料のホチキス留めなどだ。
 会議資料はタブレットに統一されたはずなのに、どうして紙なのか。

「今回は急遽決まった会議で、なんでか知らないけどペーパーを配るらしい」

 質問をしたわけでもなかったのに、次長がそう教えてくれた。
 大して時間がかかることもでないし、他の誰にでもできるようなことだ。これを千佳に頼めばいいのにと思ったけれど、話を蒸し返したくはなかったので口には出さない。

「ところで」

 会議室を出ようとした次長が、扉のところで立ち止まって振り向いた。

「退職の意思は変わらない?」
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