(7) 部長のおつかい3

文字数 1,223文字

 会議室の椅子はどれも新しくていい椅子だ。背もたれが高くて、ひじ掛けもあって、キャスターも滑らかだ。

 手近な一脚を引き出して、腰掛けた。
 お尻のクッションは今一つか。長時間座るなら、座布団が合った方がいい。
 でも、会議室の椅子など、座り心地が悪い方が会議が無駄に長引かなくていいのかもしれない。

 どうして部長はおつかいをキャンセルなどしたのだろうか。
 今までにこんなことはなかったのに。
 よほどの急用でも入ったということか。

 取引先に書類を届けるなどというのは、口実に過ぎない。
 外出先で落ち合って、ホテルで二人で過ごす。
 そんなことが常態化していた。

 石本部長との関係が始まって、もう二年になろうとしている。
 もともと父親のような歳上の男性に惹かれる傾向は、自覚していた。
 幼い頃に父を病気で亡くし、中学のとき自宅の火災で母を亡くした。
 火災は隣家からの延焼で、自分も背中に大きな火傷を負ったものの九死に一生を得た。母は救急搬送されたものの、助からなかった。

 そうやって両親を早くに亡くした、その後遺症なのではないかと自分では分析している。
 自分よりもっと大人の人からの愛に飢えている。
 家族に飢えている。特に父親の愛に——。
 要するにファザコンなのだろう。
 単なる性癖だと認めるのが嫌で、あれこれ自分に都合よく分析しているだけなのかもしれないけれど。

 自分が好きになる年齢層の多くはすでに結婚をしている。魅力を感じる男性ならば尚更だ。
 普通の恋をしよう——。普通とは何かも分からないままそう決めて、同年代の男性とつき合ったこともあるけれど、どれも長続きはしなかった。

 就職して出会ったのが石本部長だ。
 好きになってはいけない。そう思うのは簡単だけれど、実際に好きにならずにいるのは簡単ではない。きっと、無理だ。出来るのはせいぜいそれを表に出さないこと。自分の中だけで完結させるように努力することくらいだ。
 しかし、本当に好きになってしまったら、それすらも出来なくなる。しかも無自覚のうちに。

 各務次長は他の部署から異動してきたので、石本部長よりも後から直属の上司になった。次長にもっと早く出会っていたら、次長の方を好きになっていただろうか。その方がここまで泥沼化することはなかっただろうと思う。
 恋愛において——それが不倫であったとしても、出会う順番というものは思いのほか重要なファクターだ。

 部長も次長も仕事は出来るが、タイプはまるで違う。どこかおっとりとした雰囲気も持つ柔和な次長に対して、部長はバリバリと仕事をこなし、道無きところにも道を造ってしまうブルドーザのような人間だ。強引なところも目立つのだが、根回しが上手いのだろう。要所要所で軋轢(あつれき)を残さない。
 思えば根が狡猾(こうかつ)なのだろう。そういう(ずる)くて汚い部分に気づくのが遅かった。
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