第7話 心の脱皮
文字数 1,458文字
その日から彼は手術前の顔を忘れたかった。
もう思い出したくもないその名前を「慎介」から「慎吾」に変えたが、それは未練があり一字だけは残した。
これで、昔の自分の全てを忘れることが出来る。人とは不思議なもので、屈折した悩みなどがなくなると、妙な自信が付き、それが遺憾なく発揮されたときには人格さえも変わるのかも知れない。慎吾がいるその部屋は、ほどよくクーラーが効いていた。
「ねえ、慎吾…」
「なに、江梨子さん」
ソファに深々と腰を掛け、さり気なく長い足を組んだ慎吾は様になっていた。どんな時でも、隙を見せない慎吾はそれが身に付いている。それは、慎吾が下積みだった頃に学んだ成果だった。どんな仕草が美しいか、どんなポーズが決まっているか、鏡やビデオ等で確認して、彼は徹底的に研究していた。
そんな彼はナルシストの典型であり、他人が見ると呆れるほど、それは徹底していた。その自信は(彼の作られた美貌の顔)そのものだった。
(今に見ていろ俺は絶対にのし上がってみせる、この新しい顔でこの身体でこの頭脳で)
そんな彼には、あまり男の友達はいなかった、彼等は、多くを語らない慎吾とはどうも馴染めないのだ。彼が何を考えているのか、想像さえ出来ない。
彼はどう生きようとしているのか、何を考えどうしようとしているのか見当が付かない。もし、思い当たる所があるとすれば、何か得体の知れない彼の貪欲な意欲であり、常に思い詰め、その目標に向かって行動しているという感覚である。
しかし、誰もその本質は分からない。
彼等は慎吾に直接そういう言葉を言ったわけではない。言うなれば、そういう雰囲気を持った慎吾に彼等が付いていけないという、それだけのことである。
その部屋で慎吾に寄り添い、ワイングラスを手で傾け深紅のワインを口に含んでいるのは、慎吾が所属する中堅のタレント事務所の社長である江梨子だった。
「ねえ、最近の慎吾の人気は凄いわね、この間の旬報タレント・ランキングでは、 あの愛川祐太朗に近づく二位じゃない、あともう少しね」
「はい、ありがとう、江梨子さん」
「ねえ、慎吾……キスしていい?」
「え、あぁ、どうぞ」
江梨子は慎吾の座っているソファの前にきて、子供のように唇を差し出した。しかし、慎吾は抱きもせず、ただ軽く唇を重ねただけだった。
「ねえ、これだけ?」
「それで、いいでしょう、江梨子さん」
彼は前は彼女のことを(社長)と言っていた。今は(さん)付けである。
彼がまだ無名だった頃は、江梨子にモルモットのように従った。江梨子が風呂に入っているとき背中を洗わさせられたり、彼女の夜のお付き合いもしたこともあった。
そのときの江梨子の燃え方は激しかった。まだ四十代半ばの女ともなれば、一番活力がある年齢かも知れない。さすがの慎吾もそれにはうんざりしていた。
ただ、その時は彼女に拾われた身ゆえに、その身体を任せただけのことである。
だが今の彼はあの当時の彼ではない。江梨子は美しく変身した彼に抱いて欲しかった、しかし彼は今は抱かない。二人の立場は前とは変わっていたのである。誰もその慎介の時代の彼を知るものはいなかった。
今や慎吾がいるだけで会社は潤い、彼を採用したいと言うCM等の誘いが何本も来ればそれだけで十分にやっていけた。
勿論、所属するタレントは彼だけではない、売り出し中の女性のグループや、若いタレントも十数人抱えていた。しかし、それは慎吾に比べれば、その人気、売り上げは比ではなかった。それだけに江梨子は、慎吾が頼りなのだ。
もう思い出したくもないその名前を「慎介」から「慎吾」に変えたが、それは未練があり一字だけは残した。
これで、昔の自分の全てを忘れることが出来る。人とは不思議なもので、屈折した悩みなどがなくなると、妙な自信が付き、それが遺憾なく発揮されたときには人格さえも変わるのかも知れない。慎吾がいるその部屋は、ほどよくクーラーが効いていた。
「ねえ、慎吾…」
「なに、江梨子さん」
ソファに深々と腰を掛け、さり気なく長い足を組んだ慎吾は様になっていた。どんな時でも、隙を見せない慎吾はそれが身に付いている。それは、慎吾が下積みだった頃に学んだ成果だった。どんな仕草が美しいか、どんなポーズが決まっているか、鏡やビデオ等で確認して、彼は徹底的に研究していた。
そんな彼はナルシストの典型であり、他人が見ると呆れるほど、それは徹底していた。その自信は(彼の作られた美貌の顔)そのものだった。
(今に見ていろ俺は絶対にのし上がってみせる、この新しい顔でこの身体でこの頭脳で)
そんな彼には、あまり男の友達はいなかった、彼等は、多くを語らない慎吾とはどうも馴染めないのだ。彼が何を考えているのか、想像さえ出来ない。
彼はどう生きようとしているのか、何を考えどうしようとしているのか見当が付かない。もし、思い当たる所があるとすれば、何か得体の知れない彼の貪欲な意欲であり、常に思い詰め、その目標に向かって行動しているという感覚である。
しかし、誰もその本質は分からない。
彼等は慎吾に直接そういう言葉を言ったわけではない。言うなれば、そういう雰囲気を持った慎吾に彼等が付いていけないという、それだけのことである。
その部屋で慎吾に寄り添い、ワイングラスを手で傾け深紅のワインを口に含んでいるのは、慎吾が所属する中堅のタレント事務所の社長である江梨子だった。
「ねえ、最近の慎吾の人気は凄いわね、この間の旬報タレント・ランキングでは、 あの愛川祐太朗に近づく二位じゃない、あともう少しね」
「はい、ありがとう、江梨子さん」
「ねえ、慎吾……キスしていい?」
「え、あぁ、どうぞ」
江梨子は慎吾の座っているソファの前にきて、子供のように唇を差し出した。しかし、慎吾は抱きもせず、ただ軽く唇を重ねただけだった。
「ねえ、これだけ?」
「それで、いいでしょう、江梨子さん」
彼は前は彼女のことを(社長)と言っていた。今は(さん)付けである。
彼がまだ無名だった頃は、江梨子にモルモットのように従った。江梨子が風呂に入っているとき背中を洗わさせられたり、彼女の夜のお付き合いもしたこともあった。
そのときの江梨子の燃え方は激しかった。まだ四十代半ばの女ともなれば、一番活力がある年齢かも知れない。さすがの慎吾もそれにはうんざりしていた。
ただ、その時は彼女に拾われた身ゆえに、その身体を任せただけのことである。
だが今の彼はあの当時の彼ではない。江梨子は美しく変身した彼に抱いて欲しかった、しかし彼は今は抱かない。二人の立場は前とは変わっていたのである。誰もその慎介の時代の彼を知るものはいなかった。
今や慎吾がいるだけで会社は潤い、彼を採用したいと言うCM等の誘いが何本も来ればそれだけで十分にやっていけた。
勿論、所属するタレントは彼だけではない、売り出し中の女性のグループや、若いタレントも十数人抱えていた。しかし、それは慎吾に比べれば、その人気、売り上げは比ではなかった。それだけに江梨子は、慎吾が頼りなのだ。