第11話 舞台稽古
文字数 1,722文字
その舞台稽古場には既にキャスティングされた主演者が集まって稽古をしていた。
クーラーが効いているとは言え皆、汗だくである。切れ者で演出家の老川由紀夫が舞台に向かって大きな声を張り上げていた。二ヶ月後に控えた本番に向かって彼らは猛稽古中だった。
皆、ピリピリとしている、誰もが緊張しているのだ。それ以外では、強いて言えば彼をサポートする助手くらいなものである。
「ほら、そこに突っ立っている青木、もっとキビキビとした動きをしろ!」
「おい、笹山、もっと感情を出せ! それじゃあ案山子と同じだろ」
「慎吾、お前が主役だろう、もっと生き生きとした表情をしろ、声がはっきり出ていない、もっと腹の底から出すように、いいな!」
「おい、こらっ! 杉山、もっとその表情に悲壮感を持て、お前の親が死んだと思って心から本気の演技をするんだ!」
「ええと、美子だったな、もう少し表情を柔らかく、包み込むように」
「はい! わかりましたっ!」
矢継早に老川の言葉が嵐のように稽古場で飛ぶ、指摘された演技者は額から汗を流しながら、老川に指摘されたことを頭の中で反芻しながら懸命に演じていた。
この舞台の演目は「生きる」だった。主役の青年・「憲二」は慎吾が演じるのだが、憲二がどん底から這い上がり、スターに成長していくと言うサクセスストーリーである。これだけ見ると、テレビドラマの「栄光の道のり」と似ているが、内容は全くの別ものだった。
彼を影で支える女の役は一般から公募した、その女の役は憲二よりも年上で役名は「雪子」である、彼を助けながらも裏切られると言う悲劇の女性だった。
しかし、最後には雪子が憲二に尽くす女の生き様がハイライトのシーンとなり、感動の結末を迎える予定である。予定……と言うのは、老川が途中でストーリーを変更する可能性を否定できないからだ。
彼は、途中から考え方が変わると、勝手に筋書きや台詞を変更することが良くある。馴れない俳優は始めは戸惑ってしまうが、馴れてくればそれなりに対応すればいい。
これが老川のやり方だと理解すれば、何とかなる。しかし、新人はその為に心底疲れるのだ。その試練に打ち勝ってこそ、真の老川の弟子と認められる。
雪子の役に応募し見事にその役を勝ち取ったのは新川美子だった。その他にも二人に絡み恋敵の「達也」役は、今新進気鋭の若手である逢崎健太が起用された。
演出家の老川由紀夫は、舞台を見ながら体中を汗にして演技をしている美子を採用した時のことを思い出していた。この役には三十人ほどの女が応募した。
「君の舞台経験はどのくらいかな?」
「はい、地方で三年ほどと、こちらの東京の劇団で二年ほどで、約五年程になります」
「なるほど、それでこの役に応募した理由は?」
「雪子は主役の憲二に心から尽くしながら、彼に裏切られるのですが、それでも憲二を慕い続ける女の業とでもいうのでしょうか、その気持ちに感動しました、ですのでその役をぜひ私にと思いまして……」
そう言いながら美子の目には、強い決意の裏で見せる涙が目にあふれていた。
老川はそれを見逃さなかった。その眼の奥に何か強烈な決意を感じたのだ。今までにそんな気迫を持った女を見たことがない。老川はその涙を見て、この大事な役を彼女に賭けてみようかと思った。彼は普段ならこんなことで役を決めたりはしない。
美子以外にも応募者の中には、名前が知られている女優や、彼女よりも適任だと思うものもいたが、老川は迷わず彼女を採用した。演技とはただ間違いなく台詞をしゃべればいいのではなく、完全にその役の意味を理解し、その役に没頭しなければならない。
彼女の顔はとても美しかったが、それとは不釣り合いな何か燃えあがるような情熱を感じるのだ。
「よし、決まった、雪子の役は君に任せよう。しかし私の舞台は聞いてると思うが、厳しいぞ、覚悟してくれたまえ。まあ、しかし君にはそれはできると思う、期待してるからね」
と、老川は優しく言った。
「はい! 有難うございます。頑張ります」
その時の生き生きとした彼女の顔が老川は忘れられない。
しかし舞台での稽古となるとそんな優しい老川はどこにもいなかった。
クーラーが効いているとは言え皆、汗だくである。切れ者で演出家の老川由紀夫が舞台に向かって大きな声を張り上げていた。二ヶ月後に控えた本番に向かって彼らは猛稽古中だった。
皆、ピリピリとしている、誰もが緊張しているのだ。それ以外では、強いて言えば彼をサポートする助手くらいなものである。
「ほら、そこに突っ立っている青木、もっとキビキビとした動きをしろ!」
「おい、笹山、もっと感情を出せ! それじゃあ案山子と同じだろ」
「慎吾、お前が主役だろう、もっと生き生きとした表情をしろ、声がはっきり出ていない、もっと腹の底から出すように、いいな!」
「おい、こらっ! 杉山、もっとその表情に悲壮感を持て、お前の親が死んだと思って心から本気の演技をするんだ!」
「ええと、美子だったな、もう少し表情を柔らかく、包み込むように」
「はい! わかりましたっ!」
矢継早に老川の言葉が嵐のように稽古場で飛ぶ、指摘された演技者は額から汗を流しながら、老川に指摘されたことを頭の中で反芻しながら懸命に演じていた。
この舞台の演目は「生きる」だった。主役の青年・「憲二」は慎吾が演じるのだが、憲二がどん底から這い上がり、スターに成長していくと言うサクセスストーリーである。これだけ見ると、テレビドラマの「栄光の道のり」と似ているが、内容は全くの別ものだった。
彼を影で支える女の役は一般から公募した、その女の役は憲二よりも年上で役名は「雪子」である、彼を助けながらも裏切られると言う悲劇の女性だった。
しかし、最後には雪子が憲二に尽くす女の生き様がハイライトのシーンとなり、感動の結末を迎える予定である。予定……と言うのは、老川が途中でストーリーを変更する可能性を否定できないからだ。
彼は、途中から考え方が変わると、勝手に筋書きや台詞を変更することが良くある。馴れない俳優は始めは戸惑ってしまうが、馴れてくればそれなりに対応すればいい。
これが老川のやり方だと理解すれば、何とかなる。しかし、新人はその為に心底疲れるのだ。その試練に打ち勝ってこそ、真の老川の弟子と認められる。
雪子の役に応募し見事にその役を勝ち取ったのは新川美子だった。その他にも二人に絡み恋敵の「達也」役は、今新進気鋭の若手である逢崎健太が起用された。
演出家の老川由紀夫は、舞台を見ながら体中を汗にして演技をしている美子を採用した時のことを思い出していた。この役には三十人ほどの女が応募した。
「君の舞台経験はどのくらいかな?」
「はい、地方で三年ほどと、こちらの東京の劇団で二年ほどで、約五年程になります」
「なるほど、それでこの役に応募した理由は?」
「雪子は主役の憲二に心から尽くしながら、彼に裏切られるのですが、それでも憲二を慕い続ける女の業とでもいうのでしょうか、その気持ちに感動しました、ですのでその役をぜひ私にと思いまして……」
そう言いながら美子の目には、強い決意の裏で見せる涙が目にあふれていた。
老川はそれを見逃さなかった。その眼の奥に何か強烈な決意を感じたのだ。今までにそんな気迫を持った女を見たことがない。老川はその涙を見て、この大事な役を彼女に賭けてみようかと思った。彼は普段ならこんなことで役を決めたりはしない。
美子以外にも応募者の中には、名前が知られている女優や、彼女よりも適任だと思うものもいたが、老川は迷わず彼女を採用した。演技とはただ間違いなく台詞をしゃべればいいのではなく、完全にその役の意味を理解し、その役に没頭しなければならない。
彼女の顔はとても美しかったが、それとは不釣り合いな何か燃えあがるような情熱を感じるのだ。
「よし、決まった、雪子の役は君に任せよう。しかし私の舞台は聞いてると思うが、厳しいぞ、覚悟してくれたまえ。まあ、しかし君にはそれはできると思う、期待してるからね」
と、老川は優しく言った。
「はい! 有難うございます。頑張ります」
その時の生き生きとした彼女の顔が老川は忘れられない。
しかし舞台での稽古となるとそんな優しい老川はどこにもいなかった。