第15話 それぞれの事情②

文字数 3,381文字

 そのころ他の代表選手たちは、もうじき開幕するJリーグに備え、所属チームで戦術の消化に余念がなかった。
 そんななか、錠はシェフ市川の練習を見学に出かけた。シェフには友近と中羽、そして一文字が所属している。
 練習場に着くと、錠はフェンスの外側でマスコミに取り囲まれた。有名人気取りでサングラスをかけ、薄笑いを浮かべながら困りますよを連発した。
 マスコミの問いかけをいなしつつグラウンドを見渡すと、友近や中羽らが見えた。が、一文字は見当たらない。錠はもっとフェンスに近づこうと移動を始めた。それに合わせ、報道陣も一緒に動く。もみくちゃになるなか、上からかざされたマイクの一本が錠の頭に当たった。
「ちっ、いてえな」
 錠は思わず振り返って誰彼ともなくにらみつけたが、迫りくる人波に押し流された。
 やがて練習中の選手たちも、あたりの異様な空気を感じはじめた。
「なんだか騒がしいな」
「あ、あれ錠さんですよ」
 友近が気付き、声を弾ませる。
「何しに来たんだ、いっちょまえに」
 かたや中羽は、そっけなく言い捨てた。
 練習中、マスコミの動きが落ち着いたころを見計らい、友近のほうからフェンス際の錠にアプローチがあった。
「錠さん、今日はどうしたんです」
「ああ、みんなどんな練習してるのかと思ってな」
「このあと、どうするんです」
「いや別に」
「よかったら食事しましょうよ」
「おう」
 練習後、二人は友近のクルマで都内のレストランに向かった。
 友近の愛車を初めて見て、錠は面食らった。気にしない素振りで乗り込んだが、その軽快な走りと絵になる友近を見て言葉を漏らした。
「しかしお前、十九ですげえの乗ってんな」
「いいでしょう」
 ハンドルを軽く叩いて、友近はうれしそうに笑った。
「でも皆さんから比べたら大したことないですよ。南澤さんとか枡田さんなんて、もっとすごいですよ」
 錠はあれこれ友近の話を聞き、改めて一流のプロは違うと思わされた。
「中羽もか」
「ヒロさんはポルシェですよ。一番すごいのはやっぱりユキヤさんかな」
 思わず錠は友近の顔を見た。
「え、なんです?」
「あ、ユキヤって、いやユキヤさんってどんな人」
「ああ、おしゃれですね」
「性格とかは」
「そうですね、キザに見えるけど明るくて、風格あるけど気さくな人ですよ。あと練習熱心だと思います。サッカー大好きなんですよ、ユキヤさんも」
「ふうん」
 錠は流れていく景色を見ながら、ぼそりと返した。
「ちなみに中羽は」
「ぷっ」
 友近は吹き出した。
「なんだよ」
「いえ、ヒロさんはサッカーのセンスは抜群ですね。性格は、そうだなあ。本人いわく、お金と女性と名誉のためにサッカーやってるって言ってますけど、どうだか」
 友近はニコニコしながら答えた。
「へっ、あいつらしいや」
「でも、錠さんもやっぱりすごいですね。レインボー、あれ今度教えてくださいよ」
「え?」
「自分でやってみたんですけど、なんか違うんだよなあ」
「わはは、そりゃあそうさ」
 簡単に蹴られちゃ困る、錠はいろんな意味でそう思った。
 やがて友近はクルマを繁華街の駐車場に入れた。
「このすぐ近くに美味しいお店があるんですよ」
 友近は、錠を歩いてすぐのところにある高級感漂う店に案内した。錠は戸惑いながらも、すました顔で友近のあとに続いた。
 店に入ると、聞き覚えのある声がした。
「よう、こっちだ」
 太く低い声、一文字だ。いつものいかつい顔で円卓についている。
「あ、もう来てたんですか」
「ああ」
 一文字が友近のそばに目をとめた。
「おう、錠じゃねえか」
 なんだか友近にだまされた気がした錠は、いったん目をそらしたが、小さく会釈をした。
「錠さん、練習見に来てくれたんで誘ったんですけど、実は言ってなかったんですよ、おじさんと約束してるって」
「おい、おじさんはやめろって」
 一文字は苦笑しながら返した。
 錠は、友近も結構言うもんだと軽く驚きつつ、目を泳がせた。
「俺がいて迷惑だったか」
「や、別にそんな」
「はっはっは、まあ座れよ」
 錠は言われるままに席に着いた。
 代表では気にも留めなかったが、一文字と友近は年の差にもかかわらず旧知のように言葉を交わす。錠にはそれが意外に思えた。
 一文字は移籍、友近は高卒の新人として、昨シーズンからシェフ市川のチームメイトになったばかりだ。思えばオマーンでも、先ほどのグラウンドでも、友近は何の抵抗もなく近づいてきた。これも友近のキャラクターのなせる業なのだろうと錠は思った。
 メニューを見てもよくわからない錠は、二人に合わせて適当に注文をし、勘定の心配をしながら料理を待った。その間、他の二人に会話はない。この沈黙は彼らには普通でも、錠には重く感じられた。
 しばしのあと、ようやく一文字が口を開いた。
「錠は、あれからどうしてたんだ」
「え?」
「今、春休みか」
「いえ、もう」 
「学生は就職活動の時期だっけな」
 今最も嫌な話題に触れられ、錠は表情を少しこわばらせた。
「あ、そうなんですね。錠さんはどんな感じなんですか」
「ん、まだ何も」
 友近に尋ねられ、錠はやむをえず言葉を返した。が、
「お前、もう四年だろう」
 一文字のこの何気ない一言に、またたく間に顔を紅潮させた。
「だ、だったらなんすか? あんたにゃ関係ないでしょ」
 立て続けに不愉快な言葉を浴びせられ、つい口を尖らせた。
 一文字も表情を険しくさせたが、さすがに大人だ。
「まあ、そう怒るなよ。練習見たってことは、Jリーグに入りたいのか」
 一文字のその対応に、錠も心を軟化させた。
「いいや、ちがう。暇だったから」
「ふうん。で、どうだった。こいつらちゃんと練習してたか」
「あ、何言ってるんですか。当たり前ですよ。もうすぐ開幕なんだから。ね、錠さん」
「ああ」
 錠は半ば投げやりに返した。
「錠、酒飲めるか」
「は?」
「トモ、ビール三つ頼め」
「え、僕はまだ未成年だし、クルマですよ」
「いいよ、運転は代行業者に頼んでやるから。俺のと一緒に」
「そんな、愛車を他人に任せられませんよ」
「つべこべ言うな。そんなこと言ってたら、こないだキャンプで酒飲んだことマスコミにばらすぞ」
「そんな、あれも先輩たちが無理やり――」
 二人のやり取りに、錠は思わず吹き出した。
 食事のあと、三人は他の店に移って本格的に飲んだ。
「しかし、あんたらプロがこの時期にこんなんでいいの」
「いいんだよ、たまにゃ」
「僕はもう結構ですよ、未成年なんですから」
「トモ、そんな大きい声で自分から罪を暴露してるとおまわり来るぞ」
「そうだ、未成年のくせに外車なんて乗りやがって。飲め」
「かんべんしてくださいよ、もう」
 成人二人は、カウンターの両サイドから友近を酒のさかなにして、おおいに盛り上がった。飲むにつれ、目つきはすわり、次第にろれつも回らなくなっていった。
「ところで、錠さんはどこか好きなクラブチームはあるんですか?」
「俺か、俺はボンバ」
 その言葉に、一文字のグラスを持つ手が止まった。
「こいつが裏切ったから今年も弱い」
 錠は赤ら顔で一文字を指差した。
「なんだと、てめえ」
「ほんとだろ、チームもサポーターも捨てた裏切り者め。自分だけいい目――」
 そこまで聞いて、一文字は友近を挟んで錠につかみかかった。
「このやろう」
「うわ、なんだよ」
「ちょっとやめてくださいよ」
 一文字は片手で錠の胸ぐらをつかんだ。
「世間知らずの学生めが何言ってやがる」
「な、なにをっ。そんなのっ、そんなの関係ないっつうの」
 力の差は歴然ながら、錠は一文字の腕を両手で握りしめ、悲壮感丸出しの顔で抵抗した。
 一文字は昨シーズン、ボンバ大船からシェフ市川に移籍をした。三十五歳のベテランはフル出場は難しく、全盛期ほどの活躍はできないが、いまだ代表に呼ばれる実力の持ち主だ。一文字獲得でシェフは攻撃に幅が広がり、逆にボンバは得点力不足に泣いた。錠にとっては当然面白いはずがない。
 その後、二人の小競りあいは友近が制止してなんとか収まった。彼らは元どおり席に着き、静かに飲み続けた。
「二人とも飲みすぎですよ」
「俺だってなあ、俺だって……」
 一文字は何かを言いかけてやめた。錠もつられてこぼす。
「ふん、俺だって……」
 一文字は錠のほうを見たあと、一気にグラスを空けた。
「帰るぞ」
 友近は自分で代行業者に電話をし、二台分の依頼をした。
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