第11話 フィーバー

文字数 2,621文字

 帰国の際、代表は異様なまでの熱気で出迎えられた。空港にはマスコミやファンなどかなりの人数が駆けつけていたが、そのほとんどのお目当ては錠だった。
 解散後、協会スタッフの車で報道の追っ手を巻きながら、錠は自分の部屋にたどり着いた。
 部屋に入るとすぐに腰を下ろし、まずはエアコン、次いでテレビのスイッチを入れた。映るやいなや、目に飛び込んできたのは、つい今しがたの空港の模様だった。
 キャリーバッグを押しながら歩く錠に、ゾーンの向こうから飛びつかんばかりの人の手、声、そしてフラッシュ。皆の視線や声援、すべてが画面の中の自分に向けられている。
 不思議な感覚を覚えながら見ていると、オマーン戦のゴールの場面が映し出され、歓喜するイレブンの映像が続いた。さらに日本の飲食店や街頭のモニターの前で乱舞する若者たち、メディアに感想を求められて興奮するサラリーマン。
「ジョー、サイコー!」
「レインボーキャノン、チョベリグッ!」
 その後も何度も続けて映る自分の姿。
 これ、ほんとに俺?
 錠は夢か真かわからぬ世界をしばし漂っていたが、留守電がたまっているのに気付き、テレビの画面を気にしながら再生ボタンを押した。
「錠、やったじゃん、すげーじゃん。祝杯だ、飲もう、飲もう!」
 まず、いの一番は前田だった。次は竹内だ。
「錠、各紙の一面だぞ。日経にもすごい扱いだ」
 錠は一躍スターになっていた。オマーン戦から一週間以上たっているにもかかわらず、連日新聞やテレビで大きく取り上げられていた。
〝レインボーキャノン――虹をみたかい〟
〝フランスへ虹をかける男〟
〝実在したリーサルウェポン〟
〝ジョーカー(切り札)のジョー〟
 街中でそんな見出しが舞い踊っていた。依然として細かい部分が謎に包まれているという点が、さらにフィーバーをあおった。帰国前、周りの連中のリアクションは想像できたが、世間がこれほど盛り上がっているとは思いもしなかった。
 今後の代表の日程はテストマッチを何試合か挟み、六月に一次予選の日本ラウンドを迎える予定になっている。次の召集までは、錠も身分的にはいち学生だ。
 大学は春期休業中で、錠はほとんど出かけることもなく、外を歩くのはコンビニに行くときぐらいだった。それもたいていは夜間だ。
 彼の日常は、典型的な夜型の生活だった。昼間は寝るかゲーム、夜はテレビ三昧だ。そして深夜に入ってから再びゲームに手をつけ、朝方まで浸った。
 たまに日中に出歩くと、それだけで人の目が集まった。行動に困るほどではないが、明らかに錠を見て色めき立っている。さすがの錠も初めは戸惑ったが、やがて人の視線が快感になっていった。
 そのうちサインも頼まれるようになった。照れくささから口は尖り、愛想もないが、心中はにやけっぱなしだった。
 そのうち、どこで聞きつけたか、近所にマスコミが現れるようになった。ときには付きまとわれ、マンションの前まで来ることもあった。注目されること自体はまんざらでもないのだが、追われるとつい逃げてしまう。そしていつもの無愛想で押し黙り、相手にしない。
 いくつかの週刊誌では、記事だけでなく、図らずも表紙まで飾っていた。使われていたのは、オマーンで撮られたのだろう、錠のユニフォーム姿だ。
 錠はしばしばコンビニでそれらを目にしたが、
「勝手に撮ってんじゃねえよ」
 そう言いながらも悪い気はしなかった。
 ビデオは何回も見た。
「ああ、入ってます。ゴォール! 奇跡だ! 流本錠、日本に奇跡のゴールをもたらしました!」
 何度聞いても気持ちがよかった。しかし、試合後のインタビューはあまり見たくなかった。自分のぎこちない応対にブラウン管の前で眉をひそめた。続く加瀬のインタビューも気に食わなかった。
「まぐれやないでしょ、多分。あんな恥ずかしい蹴り方、自信がないとできんのと違います?」
 確かに、初めて見たレインボーを撃つ自分の姿は、ちょっと奇妙だった。ボールのかなり前に踏み込み、後方でボールをとらえるそのぶん、前後に大きく股を開いた格好になる。弾道は虹というよりもまっすぐ飛んでいきなり落ちる、そんな感じだった。
 テレビ出演の声もかかったが、加瀬から出るなと言われているし、あのインタビューを思い返すとそれだけで耐えられなかった。
 やがて、Jリーグクラブのスカウトがやってきた。マンションの前で名刺を出され、錠の心はたかぶった。が、まずは就活状況について尋ねられ、思わず逃げ出してしまった。部屋のドアを閉め
たとたん、痛烈な後悔に襲われたが、どうせまた来るのだろうと思った。しかし、その後はどこのクラブからも声がかかることはなかった。
 たまたま手にした雑誌で見かけた記事によると、現在、Jリーグクラブはどこも錠に対してスカウトを派遣しておらず、その理由には諸説ありとされていた。まず一つめは、協会から各クラブに対し、争奪戦による混乱を避け、学業と予選に専念させるため接触を控えるよう通達が出されたという説。二つめは流本錠素人説はいまだあり、それによって各クラブが敬遠しているというものだ。さらには錠から全クラブに断りの連絡を入れたというありえない話まで記されていた。
 Jリーグ入りは魅力的だが、錠にとっては複雑な話だ。プロで通用するのはフリーキックだけだ。今の技術のまま年中ピッチで衆目にさらされるなど、考えただけで身震いがした。
 いや、まてよ。カルロスに鍛えられてるから、そのうちできるようになるんじゃないか。そのうちな。まあ、いずれにせよ時期がくればスカウトもまた現れるだろう。
 今は別にいいや、と錠はのんきにつぶやいた。

 春休みも終わりに近づくころ、竹内たちは毎日のように企業セミナーやOB訪問に奔走していたが、錠は相変わらずだった。部屋にこもり、悠々自適に暮らしていた。
 そんな錠も、飲みの誘いには必ずのった。竹内ら三人から誘いがあると、そのたびに出かけていった。
 就活についての話には耳も貸さないが、代表でのことを聞かれると、初めは迷惑そうな顔をしつつも、いつしか得意になって話していた。
「オマーンはたいしたことないんだよ。日本の攻撃陣がだめなんだ」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「中羽、あいつ嫌なやつでさ。それによくいびきかくんだよ」
「へえ、意外だな」
 竹内らはそれを別世界のことのように聞き入った。聞きながら、錠が以前の明るさを取り戻しているのを感じていた。
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