第1話 (4)

文字数 2,648文字


 ミーサッハは、静かに目を閉じた。
「わたしは、シリューズの妻だ。フォルッツェリオに思い入れは強いが、我らは三人で新たに生きていくつもりだった。もともとシリューズもわたしも傭兵として生きてきた身、家族も故郷もない。エルは−−−」
 ミーサッハは閉じていた目を開けると、真っ直ぐにデットを見た。
「エルは、昔シリューズが助けた孤児だ。血の繋がりはないが、二人が出逢ってからは家族として過ごしてきた。エルもシリューズを実の兄のように慕っていた。それが、現状は、予想も望みもしないものとなった……シリューズが殺されたのは、この町に来る途中のことだ。ある街の外れで、たまたまシリューズが一人でいたときに、突如複数の人間に襲撃されたのだ。シリューズは並の戦士よりも遥かに腕の立つ男だ。ただの喧嘩や暴動に巻き込まれて命を落とすようなことは、ありえない。どう考えても、あれはシリューズと知った上での計画的な襲撃だった。あのとき、わたしとエルは人混みに紛れ、身を隠していたが、遠く、あのときの一部始終を見ていた」
 デットは眉をひそめた。
「エルはあのときから、兄の代わりにわたしを守ろうと必死だ。しかし、いまのわたしは、エルになにもしてやることができない」
「身篭っているようだな」
 彼女の衣服の上からも、腹部の膨らみが感じられた。
「シリューズの子だ。もう産み月に入っている」
「ここで産むのか?」
「もうここから動くことはできない。追手のことは仕方がないと思っていた。それよりも、気がかりはエルのことだ……エルがいま幾つか、知っているか?」
「いや」
「十一歳だ」
 デットは目を見開いた。
 とてもそうは見えない。
 十五・六歳くらいの成長期の少年だと思っていた。まだ筋肉の伴っていない細っこさは目立つが、身長は随分と伸びてきているし、それよりも情緒面で落ち着きすぎていた。
「エルは、あれから、泣いたことも、笑ったこともない」
 十一歳の少年に、感情がないわけがない。
 ミーサッハの硬い言葉に、デットはただ彼女の深く蒼い瞳を見つめるしかなかった。
 兄が殺されるのを目撃し、それ以来、感情を表すことのない少年。
 意識的にそんなことができるはずがない。明らかに正常な状態ではない。
「あの子はなぜ“炎獄”を探している?」
「シリューズは、レイグラントに対抗しうる人望と実力を持っていた。シリューズがかの国で台頭していれば、レイグラントの支配力は脅かされたことだろう。レイグラントはそれを黙って見過ごすような男ではない。これはわたしの私見ではなく、かの国にとっては明らかなことであり、エルも同様に考えている。シリューズが殺されたのはレイグラントの命だと思っているのだ。いずれ兄の仇を討つと言っている。だが、レイグラントは強い。傭兵の中でも歴代最強と謳われるほどの者だ、並の者では倒すことはできない。それに、いまや彼は一国の王だ。簡単には近づけん。そこでエルは自ら優れたカドルになることが必要と考えた。そのためにかつて最強といわれた“炎獄”に教えを乞うつもりなのだ。いまのあの子は“炎獄”が現れるまで諦めはしないだろう。だが、あのままでは……」
 少年の中のなにかが壊れていってしまうのは目に見えている。
「あんたたちは、二人とも追われているのか?」
「わたしだけだろう。じつはレイグラントはわたしに惚れていてな」
 ミーサッハは自嘲するようにわずかに口元を上げた。
「シリューズを手にかけた者たちは、彼が動かなくなったあともまだ辺りを探っていた。わたしが共にいたことはフォルッツェリオの手の者であれば知っていただろう」
 この目の前の美女は、確かに魅力的だ。手に入れられぬものを追いかける者の気持ちもわからぬではない。
「エルとレイグラントは面識がない。シリューズはエルのことはあえて他人に話してはいなかったから存在すら知らぬだろう。戦さの間はエルを安全なところに預けていたし、わたしたちの仲間と顔を合わせるようなこともなかった」
 デットは納得した。エルの顔が知られていないからこそ、多くの業界人が顔を出す“穴熊”に出入りすることに躊躇はしていなかったのだ。あそこでは情報も重要なものだ。フォルッツェリオの関係者が来ないとも限らない。
 それにしても、こんな重要なことを初対面の自分によく話したものだとデットは思った。会ったばかりの者にここまで話す必要はないはずであるのに。
「なぜ、俺に話した」
 ミーサッハはデットを真っ直ぐに見つめ、その蒼い瞳は強い意思を伝えてくる。
「あなたに頼みがある。他でもない、エルのことだ。このままわたしと共にいることは、いまのあの子にとってよいことではない。だから、エルをあなたに預けたい」
 デットは危うく呆れたような声を出すところだった。なにを考えているのかと思った。
 口に出さずともミーサッハには伝わったらしい。彼女の目元が緩やかに和んだ。
「これでも人を見る目はあるのでな。わたしが他言無用と頼まなくとも、この話を無闇に人に話しはしないだろう?」
 デットは苦笑した。
「引き受けてもらえないだろうか」
 確かに少年のことは気にかかっている。
 デットは思案しながらミーサッハに訊ねた。
「あんたはどうする。一人で子供を育てる気か?」
「ここで知り合いもできたし、身の回りのことをしてくれる者も雇った。わたしもシリューズもよく稼いだのでな、わたしのことはなにも問題ない」
「そうか。まあ、俺も暇を持て余してるようなもんだから構わないんだが……一つ、問題があるな」
「なんだ」
「当の本人がなんと言うかだ。あっさり俺についてくると思うか? 自分で言うのもなんだが、こんな得体の知れない人間についてくる性格ではないようだが。それに、身重のあんたを置いていくとは思えないな」
「“炎獄”が見つかったと言えばいい。あなたは偶然にも他国で彼の消息について聞いたことがある、そういうことにしてくれないか。わたしのことは心配するだろうが、エルは兄の敵討ちを優先するだろうと思う。それが、いまあの子の、生きている理由なのだ」
 デットの胸に複雑な気持ちがあった。
「それはあんたから話してくれ。あの子を預かってもいいが、本人にその気がなければどうしようもないからな。とりあえず、三日後にまたここに来よう」
 そう話を締めくくると、笑顔を一つ置いてデットは自分の宿に帰った。
 エルがなにを思い、どのように決断するか。
 出逢って間もないデットには読み取ることはできなかった。



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登場人物紹介

エル


(ネタバレ注意、第2話あたり。)


砂漠地の憩いの町ナカタカに暮らす少年。主人公の一人。

身重の姉(兄の嫁さん)と暮らしていたが、兄の敵討ちと兄の子の成長を見守ることの選択に思い悩む。

幼き頃より働いていたため礼儀作法が身についていて、誰に対しても丁寧に接するが、無礼な者に対しては冷ややかに対応できる。外見は縦に伸びていて大人びて見えるが、まだ十一歳。陰を負った美少年。構いたい周囲の大人たちだが、少年の心情を気遣い、そっと見守っている。自分が人目を引いているとは思ってもいない天然素直で馬鹿正直な子。

明るい金に近い薄茶の髪、薄く透き通った翠の瞳。

(アイコン画像はイメージ通りではないけど、これが近いかな。もうちょい美少年にしたい。)

デット


(ネタバレ注意)


エルを助けた青年。自称魔法士としているが、剣の腕も持っている。主人公の一人。

砂漠地の憩いの町ナカタカで観光がてら休暇をとっていたときにエルと出逢う。いろいろな表情を見せるし誰とでも親しくなれるが、人の心情を読むことにも長けているため無難な人付き合いにあえてしている。


(デットからの目線で書いていることが多いので、外見はまだ話の中で表記していないが)

無造作に伸びた赤銅色の髪に、薄い琥珀の瞳。体格のよい他の戦士たちよりもさらに長身で、ほどほどの筋力を持ち、しなやかな動きをする。そんな外見でも人に溶け込んで目立たぬようにすることもできる。外見は二十代後半ほど。(どのあたりの話で彼の外見について組み込もうか…)


(アイコン画像は、本当にイメージに合うものがなくて、強いてあげるならって程度です。髪色と瞳色は脳内補正してください。服装は地味です。本人は目立ちたくないので)

ミーサッハ


(ネタバレ注意。第2話から)


エルの兄シリューズの妻。傭兵にして風精を持つ弓使いのカドル。シリューズの子を身篭っており、いまは身を潜めて出産を待っている。年齢不詳な雰囲気の美女。実年齢は三十を超えている。

濃茶の長髪、深い蒼の瞳。女の身で傭兵であるのは並大抵のことではなく、厳しい修行と壮絶な過去を経てのものであり、まだ経験不足のエルでさえそれを察することができている。


(このアイコン画像はだいぶイメージに近い。色味はいつも通り脳内補正を)

“穴熊”の主人


(ネタバレ注意)


砂漠地の憩いの町ナカタカにある食事処の主人。もういい年齢であるが、かつて戦士であった体躯はいまだ維持し続けている。全盛期よりは筋量は落ちたが、そこらの並の戦士は片手でちょいくらいはできる。

いまは白髪だが、若い頃は黒髪に茶の瞳。昔から寡黙で当時は高嶺の花的に女たちから密かに思われていたが自身はモテていたとは気付いていないくらいに朴念仁、それが歳を経ても変わらないのでいまも若い女性からも熱視線を浴びているが、自身にはいまも無頓着なイケオジ。奥さんには先立たれている。

奥さんと一緒にこのナカタカで食事処を開店、初めは戦士の斡旋所なんかしていなかったが、彼を慕う戦士が増え、彼らに短期の寝床や居場所を提供していたら自然と人脈が増え続け、現在にいたる。町の元締め(たち)の知り合い、というよりは彼も町の秩序の一端にある。


(アイコン画像は、まあまあイメージに近いんでは。この話では名前は出ませんが、この人が主人公のスピンオフあり。奥さんとの馴れ初め話。この作者で珍しい恋愛モノ。どこかで書こうと思ってます。いまの主人公たちより設定が多い…)

イグニシアス


(ネタバレ注意。第4話から)


ナカタカ“穴熊”店主の実の孫。肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪、薄く透き通った金の瞳。

20歳前の女性に見える、中身も名も雄々しいべらんめえ口調の美男子。22歳。

ナカタカで一番といわれるほどの実力の術者。術者=五精霊すべての守護を受けているということ。

生まれながら全盲。代わりに精霊の力を借りているので健常者と変わらないくらいに行動できている。

これから先ずっとエルやデットのそばにいてくれる頼もしい味方。準主役。


(ちょっといいアイコンがないので、女の子アイコンから無理やり持ってきてみた。まあ、いいでしょう。シリーズ内登場人物上の最高の美少女、の顔を持っている人。そしてあの中身。だからこそ魅力的な人物。当初より出番が増えた一人。)

シリューズ


(ネタバレ注意)


傭兵として活躍していた戦士。故人。孤児だったエルを引き取り育ててくれた人。

物語中、一番中身が男前で、一番いろんな人に慕われ、一番その死を惜しまれ、この話では登場しないのに一番存在感がある。それほどの人物だった。エルの大切な誇れる兄。

愛しき妻より歳下。ミーサッハは姉さん女房。正式に夫婦となるまで、シリューズは一途にミーサッハを想い続けた。


(容姿はこの話では出てこないのでシルエットのみ。たぶんアイコンに合うものはない、どうしよう。この人を主人公として一本の話が書けるくらい波乱万丈な人生を送った。)





ネタバレ追記


終盤10話にようやく容姿判明。

銀の短髪、青の瞳。レイグラントよりは少し低いが長身の部類。しなやかな筋力を持つ俊敏な傭兵だった。本当に体格だけならデットと似ている。男前っていうよりイケメーンなイイ男。もちろんモテモテだったけど少年時代から一途な人だったんで、たくさんの人を誠実な態度で袖にしてきた。

“地雷”のビルトラン


(ネタバレ注意)


現フォルッツェリオ国家兵団長。レイグラントの側近の一人。貴族私兵・国王近衛部隊含む、フォルッツェリオ国軍務トップ。大半を戦場で過ごしてきた百戦錬磨の元傭兵。傭兵の鑑とうたわれる傭兵組合重鎮。各国が最も欲した戦士の一人。

刈り込まれた黒髪、沈みゆく陽に灼かれた大地の色の瞳。四十代、独身。頰に古傷あり。若い頃には相棒がいたが、戦場で失う。以降真に息の合う者とは出会えず、一人で多数の傷を負いながら戦い抜いてきた。

実直、堅実、誠意の人。部下や仲間に大変慕われている。女性には強くは出られないが、仲間は別で戦士の一人として厳しくできる。

ナカタカ“穴熊”主人とは昔馴染み。師と慕っている。

シリューズを失ったミーサッハを自ら探し迎えにくる。エルの存在は知らなかった。



(アイコンは、イメージに近いものがなく、強いて使うならってとこ。もっとガチムチな速さも持つ大柄な戦士。色味は脳内補完を。弱点はニースの顔。好みドンピシャ。お堅い戦士も、イグニシアスの悪戯の前では哀れただの男。)

レイグラント


(ネタバレ注意)


エルが兄の敵だと思っている人物。新興国フォルッツェリオ国の英雄王。数年前までは“傭兵”にしてカドル “迅風”のレイグラントとして名を馳せていた。歴代“傭兵”の中でも最高クラスの戦士の一人。

肩に届くほどの自然な量感の濃金髪。澄み切った空のような青の瞳。長身で鍛え上げられた体躯の屈強な戦士で、誰が見ても整った容貌の精悍な男前。まだ二十代。

己の信念に反する者には冷酷だが、根本は天然なところもある。公言はしていないが、現代の“風精王” (風の神)の守護を受けているといわれている。


(アイコンは全く合うものがないのでシルエットのみ。シルエットさえも合うものがない… 世界中のイケメン俳優さんのいいとこ取りな超絶イケメンと思ってくだされば!)

フレンジア


(ネタバレ注意。第10話から)


フォルッツェリオ国王レイグラントが拠点にしている政務府最上階に住う少女。彼女がそこに住んでいると知っているのは政務府に出入りする者の中でも国家の重要人物のみ。普段その姿を表に現すことは少ないが、職務とあらばところ構わず外へと飛び出していく。

こののちの次章の主役の一人。旧アスリロザ最後の王女。

(彼女の設定はてんこ盛りに長い。これでも割愛したほう。)

侍女として王城内に勤めていた母が国王に手をつけられて生まれた庶子。母は彼女を出産前に国王の愛妾の一人として末席に迎えられたが、彼女を産んでしばらくして死去した。当時のアスリロザ王城内は絶対王政による王家史上主義の妄執に蝕まれ陰謀渦巻く巣窟となっており、王妃もしくは筆頭愛妾の思惑で隠されたと噂されている。彼女自身も生まれてからずっとそういった害意の中で過ごしており、身分は王女の一人とされているが、母の身分の低さが理由で王族のみならず貴族たちからも王女とは認められておらず、アスリロザ国内には彼女の居場所はなかった。幼少のころに異母兄の一人に片足の踵を剣で斬られており、いまもその影響で正常に走ることはできない。当時に丁寧な治療を施されていれば完治もしたはずだが、魔法士を呼ばれることなく外科的処置もないままほとんど放置状態で外傷の治療だけ侍女の手でされたのみだった。のちにシリューズとレイグラント二人にその境遇から救い出される。

赤みがかった金色の髪に碧色の瞳。容姿はとくに優れて美少女というほどではなく一見普通の女の子だが、不幸な生い立ちにもかかわらず前向きな性格で、シリューズレイグラントに救われてから感情豊かになったことで、人間味あふれる魅力が表情に現れて可愛らしい印象になる。エルと対面しときは十代半ば。


(アイコンは雰囲気が一番近いものから。政務府から外に出るときはすっぴんポニーテールの少年の格好になる。表向きアスリロザ国王直系子は血統を断つため処刑されているので、いまのフレンジアは亡国王女ではなく、レイグラントの一客人として政務府内で暮らしているが、待遇は完全にお姫様。)

ユッカンティシアナン


(ネタバレ注意。第11話から)


フォルッツェリオ国家兵団参謀長という地位にいる、レイグラントの側近の一人。冷静沈着・慇懃無礼とは彼の代名詞。

世界で五本の指に入るだろう実力の術者としての顔のほうが名高い。知識が豊富で、その頭脳によりフォルッツェリオ国では軍務において参謀役や、外務においての諜報役を担っている。時代背景や人格が違っていれば一国の宰相もできただろう本人は、淡々と、飄々と、胡散臭く世を渡っていたいので、めんどくさい役職には就きたくなかったが、他に適度な人材もいないの仕方なくいまの役職を拝命した。

柔らかい髪質の茶髪、同じような色合いの茶眼。中肉中背で一見優男風だが、本人は気質を抑えてはいないので、普通の容姿なのに個性の強い内面が表に出ているので、異様さがかえって目立つ。長ったらしい名前ですぐに覚えてもらえないため、いろんな名で呼ばれているので、多様な顔を持っているような印象がある。それを生かして対話し人間観察することで情報収集を行なう。

遅まきながら本編終盤に登場。本人は地味に行動しているようでも、どんな場面でもいいところを掻っ攫っていくタイプ。次章フォルッツェリオ建国編では活躍というか暗躍する人。

この章では登場させる気はなかったが、話の展開上と、引き締めの部分で、出したほうがいいと判断、書き直し時に登場させました。


(アイコンはモブタイプでも合いそうなものがないので無理矢理。まあいいか。)

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