プロローグ

文字数 1,517文字

朝食を摂り終え、歯磨きと身支度を済ませると、俺、杉田仁は家を出た。マンションの多い住宅街を抜け、四月の初めに相応しい春の暖かな陽気に包まれながら最寄り駅までの道のりを歩く。
俺は中学生だ。多くの中学生は朝駅には向かわない。地方の中学生は地元の学校でも電車を使うことがあるようだが、俺の地域の中学は俺の家から歩いて行ける所にある。
つまり俺は中学受験をし、地元の中学には行っていないということになる。そういうことになるのだが、実感を持てるようになったのは通い始めて長い時間が経ってからだ。
中学受験をするというのは、少なからず親の方針が関わってくる。よっぽど地元の中学が荒れているか、それか親の方針でもない限り、自分から塾に行きたがる子供は少ない。いるかもしれないが、少ないだろう。
だが、俺が中学受験をする気になったのは、親の方針でも荒れた中学のせいでもない。仲の良かった友達がほぼ全員中学受験組だったからだ。
「なんかみんな受けるみたいだから、俺もやってみてもいいかな〜。」というのが、実際に言ったセリフである。しかも、それを言ったのが六年生の冬休みに入る前。
これは友人から聞いた話なので確証はないが、中学受験をするなら大体小学校五年生ぐらいから塾に通うのが普通らしい。早いうちから勉強しないと、小学校で教わる内容だけでは私立中学には受からない。
だが、俺が勉強を始めたのは十二月。しかも、塾には行っていない。
父親と一緒に書店で買った問題集に取り組み、ほぼ父親が家庭教師になって勉強を支えてくれた。
なぜ受かったのかは、はっきり言って謎だ。受かる気はなかった。強いて言うなら、面接が良かったのかもしれない。
受かったのは国立中学。神奈川県鎌倉市にある、国立雪ノ下中学だった。
住んでいるのは神奈川県川崎市。最寄り駅は川崎駅。通学時間は一時間強。距離にして約三十キロはある。はっきり言って遠い。
私立は学費が高いので、どうせ記念受験するなら国立にしようというのが魂胆だった。国立中学なら鎌倉より近い横浜にも大岡中学があったのだが、受験教科が国語・算数・理科・社会の四教科なのだ。それに対し、雪ノ下中は国語・算数の二教科であった。毎日観光地に通えると楽しいんじゃないか、というふざけた期待も持って受けた。
今日は4月6日。俺にとっては、2年生の始業式。
ちなみに俺は、中学では小学校の時と比べてあまり友達が多くない、というかまったくいない。それというのも、俺が一年生の時に起こしたケンカ騒動で、周りから完全に距離を置かれることになってしまったからだ。
初めは瀬川や須藤という生徒とよく話していた。友達、とまではいかなかったが、会ったら話をする程度の関係。
だが、段々とその関係も薄れていった。そもそも初めの五十音順の席が近かっただけが接点だったのだ。そのうち二人ともそれぞれもっと気の合う別の友人を見つけて、俺から離れていった。
俺は、同じクラスの橋川やその取り巻きに、よくからかわれるようになっていった。それは段々エスカレートしていき、いじめに繋がりそうになった段階で、俺はふっかけられたらケンカを買った。ボコボコにしてやった。そうしたら、それを知った周りじゅうが、俺を避けるようになった。
独りになると見えてくるものがある。朝の空の輝きも、鎌倉の街の空気も、独りになって初めて気づいた。誰かといなくても俺は大丈夫なんだと分かった。だったら、もう面倒な人付き合いはやめよう、そう考えるようになっていったのだった。
お陰で俺は陰キャでボッチだ。気にしていない。これでいいのだ。
だが、心のどこかで、今日から始まる新しいクラスでは、誰かと繋がりたいと思っていたかもしれない。
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