再会と混迷

文字数 6,022文字

鎌倉駅に着くと、バスターミナルを迂回する形で続く通学路を進んだ。一年生の頃は少しぶかぶかだった学ランは、背が伸びてちょうど良い大きさになっている。
バスターミナルを抜けて若宮大路に出る。若宮大路は、鎌倉の中心に位置する参道で、由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮まで一直線に通っている。その途中には三つ鳥居が立っており、海岸の方から数えて一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と名前が着いている。
駅前を抜けて少し進んだところに二の鳥居があり、そこからは段葛がある。若宮大路の両脇に歩道、その内側に車道があって、その更に内側、中央に人の背丈くらいの高さに土が盛られた道がある。これが段葛だ。段葛の両脇の桜並木が、鮮やかに青空の下で風に揺れていた。
たとえ今鮮やかに咲いている花も、時が経てばしおれて散る。俺はその命の儚さに心を打たれるわけでもなく、ただ虚無的な感想を抱く。間違いない、この世の全ては無意味だと。
俺は更に足を進める。段葛の終わり、鶴岡八幡宮の入り口にあるのが三の鳥居だ。その前の信号を渡り、八幡宮に入る。境内には幾つか小さな神社が混在している。八幡宮に入ってすぐ右側にある白旗神社もそのひとつだ。それと池を右手に、境内にある幼稚園の横を通り過ぎると、小道にでる。雪ノ下中学校は、鶴岡八幡宮の東側に位置する。八幡宮の東門をくぐり、左に曲がって、学校の敷地内に入っていく。
俺の後ろを歩いていた集団が、不意に俺の名前を口にした。驚いて振り返ってみると、三、四人の男子生徒が横に広がって歩いていた。
「見ろよ。杉田だぜ」
「えー誰それー」
バカにされているようだったので睨み返すと、すぐさま視線を逸らされた。
俺は前を向き直して歩き続けた。
こういうことは珍しくなかった。何しろ俺は陰キャで根暗でボッチだからだ。校内のヒエラルキーにおいて、俺は底辺に位置していた。だから何も不自然ではなかった。
この学校では毎年クラス替えがある。俺は昇降口で新しいクラスを確認した。名前が杉田でサ行なので、名簿だと大体真ん中より少し上の方に記載されるのが普通だ。一学年四クラスなので、自分の名前を探すのはそう苦労しないものだった。今年からは二組だということが分かった。
ふと見ると、名簿に幼なじみと同じ苗字があった。驚いてよく見ると、名前の漢字が違った。漢字こそ違うものの、読みは同じだった。
「こういう偶然もあるんだな……」
新しい下駄箱に靴を入れ、鞄から上履きを取り出す。昇降口から入って正面には窓を挟んで中庭があり、その更に向かい側に特別棟が、中庭の左側には職員棟が、中庭をぐるりと三方から囲むようにして校舎が建っている。昇降口の真上には教室棟があり、職員棟と教室棟の更に東側に、体育館がある。
教室棟の一階、昇降口から入って右に曲がり、中庭を左手に見ながら進むと一階に美術室と社会室が、二階に一年生の教室が、三階に二年生の教室がある。もちろん四階は三年生の教室だ。
俺は足早に三階まで上がり、二組の教室を目指す。
教室はロッカールームと教室の二部屋で一つになっている。ロッカールーム側には階段に続く引き戸が、教室にはベランダに続く引き戸がある。教室の後ろ側にロッカールームがあり、部屋の右端と左端にそれぞれ繋がるドアがある。
俺は階段側からロッカールームに入り、教室の後ろから入る形で席に着いた。どこに座るかは黒板に書いてあった。
「はぁぁぁあ」
深いため息をつきながらうなだれていると、背後から人の気配がした。
席は男女が隣になるようになっている。俺は右側に座っていたので、左側に女子が来たことになる。
誰が来たにしろ、これから気不味くなるのは分かっていたので、俺はそっぽを向いてやり過ごすことにした。
ドサっと音がした。隣の女子が鞄を机に置いたのだろう。どういう名前なのかと黒板をふと見る。
黒板には、澄田、と書いてあった。
例の、幼なじみと同姓の……?
「あの、」
不意にその女子が言う。
思わず振り返ると、そこにはよく見知った、幼なじみの顔があった。
澄田嘉菜だ。

「すっ杉田!いつからいるのよ!」
目を丸くして澄田が言った。
「いや、さっきから居ますけどね。ていうか、あんたより先に来ましたけどね」
俺はそう言いながら、久々に学校で人と話したなと思った。
「……で何?ストーカー?」
まるでゴミを見るかのような目をして澄田が言った。はいはい、どうせ俺はゴミ以下ですよ。
「いや、しないから。ストーカーとかするわけない」
うっかり普通に答えてしまう。冷静になってみると、どう考えてもおかしい。小学校の頃の幼なじみが、こんな場所にいる訳がない。
「──って、なんでお前、こんなところに居んだよ」
あり得ない状況を、整理しておきたかった。
「それは、こっちの台詞だよ。仮に一年間同じ学校に通っていて一度も出会わなかったなんてこと、あると思う?」
その通りだった。
「ましてや同じ駅、同じ街、確率は格段に下がる」
そう言いながら俺は少し考えて、
「でもゼロじゃない。可能性はある」
と言うと、澄田は
「まあいいや。久しぶり、杉田」
と言った。
俺は少し間を空けて口を開いた。
「お、おう、澄田」



「続いて、校長先生からのお話です」
生徒会役員の司会進行の中、体育館で始業式が行われていた。
ステージの袖から、白石校長が壇上に上がる。
「ええ、オッホン、ゴホンゴホン、ギィィィイン」
物凄いマイク割れとともに始まるのと、コンパクトで長くない話が、この校長の挨拶の特徴だった。
「ええーというわけで、初めての中学校生活や初めてできる後輩、特に3年生は受験ということで、ええー」
この校長毎年同じこと言ってんじゃねえか?と思いつつ、体育座りをこっそり崩す。斜め前から視線を感じたが、すぐに逸らされた。誰だったのかは分からない。
「ええー私からの話はこれで終わりです。皆さん、今日から気持ちも新たに、頑張っていきましょう」
どうやら終わったようだ。生徒会の佐鳥書記が舞台袖に現れて、退場の指示を始めた。
「それでは退場を始めます。一年一、四組の生徒は、回れ右をして退場して下さい」
入学したての一年生は、何もかも新鮮といった感じで、辺りをキョロキョロ見回しながら退場して行った。俺達二年生も、それに続く。
教室に着くと、黒板に帰りの支度をする旨が書いてあった。初日は始業式だけで授業がない。部活のある生徒もいるようだが、ほとんどの生徒がそのまま帰りの支度をはじめた。
教室のあちこちで生徒がおしゃべりを始め、ざわざわとした空気が流れ出した。
すると突然、俺の前の席に座っていた男子が声をかけてきた。
「俺白川ね、よろしく〜」
あろうことかこの男は、この学校で名高いボッチの中のボッチの存在を知らないようだ。
「おっと白川くん。君は今人生の岐路に立っている。俺と会話をするという行為によってな」
「へっ?」
「俺と会話するという事は俺の価値観、言葉、何よりこの腐敗を受け入れることを意味する。つまり君のその輝かしい内面を傷付けることとなるのだ。分かったら今すぐ──」
「呆れた。人とコミュニケーションすらとれないなんて。人としてどうなの?」
隣から澄田が口を挟んできた。
「ええェそこから?そこから否定してく?」
「ウッソー。アハハハ」
澄田が笑いながら肘で俺を突いた。
それを見ながら白川は、
「ハハハ。君らは仲いいんだねー」
と言った。
「ええっ!?あ、いや……」
澄田は若干顔を赤らめながら、
「その、私澄田。よろしくね……」
何がそんなに恥ずかしいのだろう。もしかしてこんな俺と仲がいいと思われたくなかった?そうですよね。ボッチで根暗で隠キャですもんね。などと俺は考えながら、
「いや、仲良いって言うかアレだ」
「うん?」
「ステークホルダーというか主従関係というか上司と部下っつーか……」
「ステークホルダー??」
白川はキョトンとしている。澄田はため息をついた。
「また変な言葉を使う……」
完全に呆れたご様子。俺は気にせず続けた。
「……桃太郎に例えるなら赤鬼と青鬼だ」
「いやただの幼なじみだから!」
そんなようなことをしていると、担任の教師らしき男がベランダから入って来た。
「はーい、ホームルームやるぞー。終わったらすぐ帰れるからさっさと席付けー」
白川は前を向いた。澄田も、会話をやめて姿勢を正した。俺はなんとなく頬杖を突きつつ前を向いた。
しかし、教室は一向にざわざわとしたままだった。静まり返る気配も無い。
「お前ら……」
その教師はそう言うといきなり、黒板に名前を書き出した。井伊田、加藤、と続いて砂川、白川、澄田、そして杉田。
なんだろうと思っていると、段々教室が静かになっていった。皆、黒板に書かれた名前を見ている。
「ようやく静かになったか。今更遅いがな。人がゴミのようだ」
俺は思わず吹き出した。白川や澄田、他にも周りの数人が俺に冷たい視線を送る。
いやいや。だって。七三分けして眼鏡かけた若い男が「人がゴミのようだ」って。どこぞのムスカだよ。誰かバルスしてあげないと。目が!目がああ!
などと考えていると、その教師は続けた。
「ここに名前を書かれていない者は、この後全員相談室だ!あと、俺は新井。前々から聞いてはいたがお前らはけじめがなさすぎる!」
相談室とは、要するに説教を行われる地獄の部屋だ。この学校で相談室と言われたら、まず心が折れる生徒が大半である。
そんなわけで、俺たちはお早い下校をすることになったのだ。

鎌倉駅に着くと、すぐに逗子行きの電車がやってきた。白川は逗子方面らしい。
「じゃ」
白川は電車に乗りながらそう言った。
「またね」
「じゃあな」
横須賀線のドアが閉まり、電車が動き出す。澄田は最後まで白川を見送っていた。俺は見切りをつけ、反対の上り電車のホームの方に向いた。
澄田も白川の乗った電車を見送り終わると、俺の隣に寄ってきた。
「なんか、もう昔みたいにイチャイチャできないね」
澄田が不意に言った。
「そうだな。まあ成長したってことなんじゃねえの」
「うん……そうだね……」
駅員がアナウンスを始める。
「まもなくぅ11両編成の千葉行きが参りまーす」
「今思うと……俺はあのときお前のこと……」
「えっ?」
「好き……だったんだな……」
俺がそう言うと、電車が勢いよくホームに到着した。ゴォッと風が吹く。
見ると、澄田が顔を真っ赤にしていた。
まずい!何言ってるんだ俺は!!
「私は別に……今でも……」
「すまん!!」
俺はとっさに言ったので大声になってしまった。
「うわぁ」
「昔のこととはいえ……軽率だった。すまない。撤回する」
「えぇ……なんか勝手に告られて勝手に振られたああ」
澄田は落ち込んで柱にもたれかかった。
「あああごめんって!!」
俺はこういうときてんでダメなのだった。

川崎駅に着くと、俺は澄田とは別れ、駅の西口から続く遊歩道を歩いて、家を目指した。数棟のビルやマンションの二階部分を繋ぐ遊歩道を途中まで歩くと、階段を降りて一般道路に出る。この遊歩道は屋根が付いているので、雨の日などは濡れずに済む。日差しが強すぎる時などもこの経路が好ましい。
「ただいまあ」
家に着くと、俺はそう言った。
「お帰りー」
俺の母親は専業主婦なので、基本家にいる。
「空になった弁当出しといてね」
「何言ってんの母さん。今日は始業式だけで弁当持ってってないよ」
「ああ。そういえばそうだったね」
「明日からはあるからよろしくね。いつもありがとう、母さん」
「いえいえ」
俺は学校でこそひねくれているが、家では結構ちゃんとしている。感謝の気持ちは大事。みんなも家族は大切にね。
「そーいや今日学校に澄田がいたんだよ」
なんとなく母親に向かって俺はそう言った。すると、母親はいきなり険しい表情になった。
「そういう冗談はよくないよ。澄田さんはもうこの世にいないんだよ?」
「え?」
俺はとっさに母親が何を言っているのか分からなかった。
「母さんこそ、そんな冗談良くないよ。だってついさっきまであいつは……」
俺がそう言いかけると、目の前が眩んで歪んでいった。
「あいつは……」
みるみるうちに、あたりは真っ暗になった。

次の瞬間、俺は目が覚めた。知らないうちに体が横になっている。
「起きた?」
不意に声がした。俺は上体を起こすと、あたりを見回した。大きな木が俺の周りを囲むように生え、木漏れ日がさしている。森の中にいるようだった。何故か見覚えのある風景だ。
だが、声の主が見当たらない。
「当たり前だろ。君の頭の中に直接話しかけているのさ」
「俺の頭の中に?心が読めるのか?あんたなんなんだ!」
「いいから起き上がれ。歩いて真っ直ぐ進め。僕はここにいる」
俺は言われる通り起き上がって、なんとなく前に進んだ。二、三本の木の幹を避けて前に出ると、古い鳥居のような建物が見えた。その下に人が立っていた。背は俺より低い。狐の面を被っていて、顔が見えない。
「ここに見覚えは?」
狐の男が言った。高くも低くもない声だ。
「なんとなく来たことがあるような……一体なんなんだ?それに、さっきまで違うところにいたような……」
俺はとっさに記憶を辿るが思い出せない。まるで鍵がかかったかのように、記憶の引き出しがまったく開かない。
「思い出せないだろう。当たり前さ。まさか君がこんなに遠いところに住んでるとは思わなかったからな」
「遠いって……川崎が?ってことはここは鎌倉か?」
「お察しの通りさ。君は明日も鎌倉に来るだろう?」
「ああ……もちろん学校があるからな」
「そこで全ては分かるさ」
狐の男はそう言うと、また俺の視界はぼやけていった。
「お、おい!」
目の前が真っ暗になり、次の瞬間目が覚める。

視線の先に俺の部屋の天井があった。チュンチュンとスズメの鳴き声が外から聞こえてくる。朝のようだ。
「ひとしー!起きなー!」
母親の声が聞こえてきた。どうやら元の世界に戻ってきたらしい。
同時に、記憶も鮮明になってきた。俺は学校で澄田と会って、帰って来たら澄田はすでに死んだことになっていた。
今は恐らく次の日になっているのだろう。
俺はベッドから飛び起きると、食卓に急いだ。澄田は今どうなっているのか。そもそも、全て夢だったのかもしれない。とにかく、母親に確かめようと思った。
「母さん!ちょっと聞きたいんだけど!」
「どうしたの。そんなに慌てて」
「澄田はまだ生きてる?もう死んでる?」
「寝ぼけて変な夢でも見た?澄田さんなら普通に元気なんじゃないの?しばらく出会ってないけど」
ということは、全て夢だったのか?澄田が同じ学校に通っていたことも……。
「あー、そう。ごめんなんでもない。忘れて」
ひとまず俺はそう言って、自分の部屋に戻った。
ベッドの脇のデジタル時計を見ると、4月7日を指していた。始業式は6日だったはずだ。少なくとも、一日分夢か現実か分からない期間を俺は過ごしている事になる。
あの狐の男は、鎌倉に来れば分かると言っていた。今は取り敢えず、学校に向かうしかない。
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