方針決定

文字数 10,662文字

ジリリリという目覚ましの音で目が覚めて、朝の憂鬱が心の中に立ち込めた。もっと寝ていたい、と思うことは俺の中では珍しい。
俺の朝は早い。8時半までに学校に登校するには、遅くとも1時間前には出なくてはならない。だが、それは家から川崎駅までと、鎌倉駅から学校までの道のりを全力疾走するという条件がついてくる。そんなことをすれば、朝から汗だくになり最悪だ。5月が始まったばかりだというのに、もうやや暑い。もはや日本に四季はなくなった。夏と冬があるだけだ。
さようなら、春と秋。
いや、桜が咲いている間だけは春のように錯覚するかもしれない。紅葉が色づけば秋のように感じる。
おかえり、春と秋。
さよなら、俺の青春。
などと謎なポエムを考えて一人で笑う。食卓でそんなことをやると、母親が不審がる目で見てくる。なんでもないと視線で訴えると、朝食にありつく。
うちの朝食は、パンとスープと決まっている。うちの母親ならではの、野菜と鶏肉とチーズと、色々どっさり入ったスープだ。これがなんとも言えず美味い。
手早く食べ終わると、自室に戻って制服に着替える。衣替えまでは学ランが必須だ。ワイシャツの袖に腕を通し、ズボンと靴下を履いて、学ランを着ると、ボタンをしめながら洗面台に向かう。歯ブラシをとって歯磨き粉をつけ、テキトーに磨き始める。右手で歯ブラシをシャカシャカしつつ、左手で頭に寝癖直しスプレーをかけ、クシで梳かす。
「ま、こんなもんか」
そう言いながら廊下を歩いていると、変な声が聞こえた。
「うにゃ〜」
「はは、また寝言言ってる」
俺には6つ下の妹がいる。今は小学校2年生だ。地元の小学校に通っているため、彼女が起きてくる前に俺は家を出る。
学校指定のダサい青リュックを持ち、定期の入った財布を右ポケットに入れると、玄関に向かう。
「行ってきます」
そう言って、俺は家を出た。
澄田とは、いつも車内で合流する。川崎からは、東海道線で戸塚まで行き、そこで横須賀線に乗り換える。戸塚は東海道と横須賀のホームがちょうど向かい合わせなので乗り換えがスムーズなのだ。
西口から川崎駅に入ると、聞き慣れない声で話しかけられた。
「杉田くん」
振り向くとそこには、同じクラスの井伊田がいた。
「井伊田か」
こいつも実は川崎に住んでいる。去年は別クラスだったし、特に接点はない。
「杉田くんは、いつも澄田さんといるよね」
「ああ。今日もこの後落ち合う」
「じゃ、一緒にいたら邪魔だな。別の車両に乗るとするよ」
「ああ……別にどっちでもいいけど」
「それじゃ」
こいつは確か橋川の友達だったはずだ。
橋川とは、ヤンチャな背の高い気に食わない男だ。去年はクラスが一緒で、俺はいじめられそうになった。ケンカは俺は好きでは無いが、単純に突き(パンチ)が強いため橋川とケンカになっても負けなかった。野球部の橋川も奮闘した方だったが、幼稚園の頃から空手をやっていた俺には敵わなかった。
中学が遠いという理由で道場にも通わなくなったし、黒帯をとる前に辞めていたので、ケンカをしても犯罪では無いのだ。
井伊田も野球部なので、その繋がりで友達なのだろう。井伊田は別に丸刈りでは無いので野球部に見えない。なので彼が野球部だと知るまで、どうして橋川とつるんでいるのか謎だった。そもそも橋川も丸刈りではないが。
そんなことはどうでもいい。今日は火曜日。反白ねじれ組織の、定例会の日だ。この1ヶ月、毎週放課後にねじれの世界に通うようになっていた。リナイからは、澄田についてのある程度の方針を示された。澄田の状態を今のまま保つために、なるべく彼女の手助けをする。下手に手を抜かないこと。この間の学活でもそういう訳で俺は敢えて意見を言ったり質問をした。
だが、謎は多いままだ。全体で澄田のことについて尋ねても、上手く会話が逸らされて今日まで核心をつけずに終わっている。
そもそも、赤の捻界を治めている行政機関は別にあった。反白ねじれ組織はその傘下にあるとは言っても、その存在自体赤の捻界では都市伝説のようなものになっているらしい。
リナイやイザミさん、反白ねじれ組織は本当に信用できるのか。今のところ安心してはいるが、確信は持てない。
俺は何かとんでもないことに巻き込まれているのではないかと、少し不安に思ったりもする。
「杉田!おはよ!」
ボーッと考えごとをしながら無意識のうちに車内に居た。澄田が声をかけてきてそれに気づいた。
「おお。おはよう」
「杉田、考えてきた?学年レクのミッション」
「あ」
完全に忘れていた。
「『あ』じゃないよ!まったく、そんなことだろうと思った」
「悪いな、考えもしなかった」
「私はもう考えてきたよ」
澄田が自信ありげに言う。
「どんなの?」
「ゲーム開始30分後から、クラス全員
で円周率を40ケタ覚えて、一人一桁ずつ順番に言え。ただし、最初か最後にリーダーが言うこと」
「なるほど。一人一つの数字を覚えるだけで簡単だし、順番を決めるのにある程度時間がいる。時間も指定してるし、いいんじゃないか?」
俺は澄田の方を見ながらうなずく。
「だよねだよね。考えれば思いつくもんだよ」
「俺も今から考えるよ」
そうは言ったものの、すぐには出てこない。全員で何かをするというのは、意外と難しいのかもしれない。
「んん〜、なかなか思いつかないな」
「そりゃ、なんにもないところでは思いつかないと思うよ」
「そうなのか?」
「連想するといいよ。好きな本で出てくるものとか、ゲームとかさ」
なるほど。視点が変わるという事か。
「ゲームといえば、最近マイ◯クラフトにはまってんだよな」
「男子はみんなそれ好きだよね」
「昨日は、ブロックを積み立ててどこまで登れるか試す動画とか見ててさ……あ」
「ん?何か思いついた?」
澄田が俺の瞳を覗き込む。俺は思いついた事を口にした。
「クラス全員がさ、なんかこう……小さいブロックを一人一つずつ積み上げるってのはどうだ?」
「おお〜。面白いんじゃない?」
「あとはリーダーだな……ブロックを積み上げるってことは最後の方高くなるだろうし、最後から2人のうちどちらか1人リーダーが積み立てるってことにしとくか」
「いいじゃん!」
そんなような話をしているうちに、電車は横浜駅を通り過ぎていた。ビルの間から、みなとみらいのランドマークタワーがチラッと見える。
「しかし、誰がこんな面倒なレクを考えついたんだ?」
「生徒会の男子」
「ああ、毛利とかあの辺か」
俺は成績だけは良かったので、生徒会にも声をかけられていた。故に彼らと面識がある。
「篠田くんとかね」
「お前も……よく面倒な委員会に入ったな」
俺はずっと疑問だった事を口にする。
「業務委員なんか、なんでやりたがるんだ?」
「そりゃ、内申のためでしょ」
「え?」
もしかして、業務委員は内申点が上がるのか?そんな事は聞いたことがない。
「そんなシステムがあるわけ?」
「あくまで噂だけどね。でも、業務委員の人で不真面目な生徒って、いないんだよ。みんな成績がいい」
「それは自慢なのか?」
「違うよ〜。てか、杉田も成績いいでしょ」
「ああ……まあ運がいいだけだ」
事実、テキトーに書いた4択問題が結構当たったりしているのだ。
「そう言えば、先週は運が悪かったね。なんで呼び出しされたの?」
俺は一瞬なんのことか分からず、そして思い出す。先週の火曜日は澄田は委員会がなくて、俺はねじれの世界に行く必要があったので、一緒に帰れない理由として嘘をついたのだ。
「ああ、えっと──」
理由を手早く考える。
「──そう、学活の振り返りプリントがな。皮肉の効き過ぎた内容で訂正しろと言われたんだ」
これは言われたタイミングこそ違えど事実だった。新井先生の困り果てた顔をよく覚えている。
「あー、ついに怒られたか。これに懲りてその性格を直したら?」
「簡単に直せたら苦労してない」
「ま、それもそうか」
「今日は委員会あるのか?」
「あるよ。ごめんね、一緒に帰れなくて」
「気にするな。お前こそ、女子の友達と帰る方がいいんじゃないか?」
「それは……私は好きで杉田といるんだから」
「それは愛の告白?」
俺は半ばからかい半分の顔で言う。
「違うよ。そもそも、始業式の日に勝手に告って振ったのはそっちでしょ」
「あれは……事故というかなんというか」
俺はカウンターを喰らって頭を掻く。
「はは。赤くなってる〜。照れてるんだ。杉田もまだまだだね」
「うるせえ」
こうしていると、澄田が不安定でいるなんて嘘のように思えてくる。
だが、こいつは小6のころの社会科見学のことを覚えていない。俺が力を備えたとき、こいつは赤のねじれの正体を知っていた。『杉田が悪者になる必要なんてない』というのは、赤のねじれが殺戮能力だと知っているからだ。
その一切を、こいつは今覚えていない。直接聞いた訳ではないが、それらしい話題を振って見せてもなんのことかとキョトンとしている。それが何よりの証拠なのだ。
澄田は不安定だ。
「澄田……最近思い出せない事ってないか?」
「思い出せないこと?んん〜、特にないかな」
「そうか」
不思議そうにこっちを見つめる。多分だが、まだその時ではない。俺が赤のねじれを使いこなせるようになるまで、こいつを巻き込むわけにはいかないのだ。
「戸塚あ〜、戸塚あ〜。お出口は左側です。お忘れ物のないように──」
戸塚に着き、電車を降りる。
すぐに反対側のホームに横須賀線の車両が到着する。俺たちは列に並び、車内に乗り込む。人が多くて、俺たちはつり革を掴んで立っていた。
大船駅で目の前の席が空いた。
「澄田、座れよ」
「そう?じゃ、お言葉に甘えて」
ちょこんと座る澄田。こっちに笑顔を向けてくる。
こう見るとなかなか可愛い。まつ毛が長くて二重のぱっちりした目に愛嬌がある。輪郭もはっきりしている。細くて小柄だが、守ってあげたくなる感じだ。俺はいい幼なじみを持った。実に可愛い。世界一である。
「なに?杉田。さっきからニヤけて気持ち悪いよ?」
「人に気持ちわるいなんて言ってはいけません」
「ええ?キモ〜」
うむ。罵倒されるプレイも悪くない。いかん。変な趣味に走るところだった。これが並の男子ならSMプレイを懇願している。ある意味俺は最強だ。
「杉田が私のスカートを見ている」
「え?」
無意識にスカートから覗く生足を見てしまっていた。いやホント、無意識。
「エロいこと考えてたでしょ」
澄田がニヤけながらからかってくる。
「澄田には想像もできない程エロい事だな」
「……この変態め」
「俺も男だからな。澄田は将来が楽しみだ」
その言葉を聞いて何を想像したのか、澄田は徐々に赤くなっていった。
「もう杉田にお色気ネタで攻めるのはやめる。私は負けてしまうようだ」
「めっちゃ棒読みだな。ハハ」
「くぅ〜」
澄田が口を尖らせる。
段々と列車のスピードが落ち、鎌倉駅に着く。
「鎌倉ぁ〜、鎌倉ぁ〜。お出口はぁ、右側でぇす」
階段を降り、東口から出る。
東口の改札を出ると、目の前にはバスターミナルが広がる。中央に横断歩道があるが、校則でそこを通ることは禁じられている。理由は謎だ。
「ここ、普通に通らせてくれてもいいのにね」
「そうだな。ま、この学校の校則が厳しいのは元々有名だしな」
校則が厳しい割に生徒の素行はあまり良くないのが目立つ。特に俺が通っている時期は行き帰りの道や車内でのマナーが悪いことが有名だった。
「それでいて理由がないってのが斬新だ。あるようで無いような理屈で片付けやがる」
「髪のゴムの色も指定するんだよ?私は結ばないからいいけど」
そんな不満を口にしつつ、歩みを進める。段葛にさしかかった。
「桜、さすがにもう散っちゃったね」
「もう5月だからな」
「早いな〜。杉田、クラスの女子の名前、全部覚えた?」
「男子すら覚えてない。井伊田とか白川とか、あと清瀬とか浜村は覚えたけど、それ以外は」
俺は頭をかきながら言った。
「同性も覚えてないんだ。さすが」
澄田が微笑む。
「お前こそ、女子の友達できたのか?」
「お昼休みは中崎さんと喋ってる」
中崎は学級委員なので名前と顔が一致した。
「ああ。委員会絡みか」 
「まあね」
澄田と再会してから、一人でいる事が減った。だが、こうして歩いていても、独りのときに見えていたものが、澄田といても見える。澄田には無理に合わせていないし、澄田も多分、俺に合わせようとはしていない。思った事を口にして、喋る事が無ければ何も話さない。それでも居心地がいいのは、不思議な感覚だった。少なくとも小学校を卒業して以来、こんな感覚は味わっていなかった。
そんな澄田も、流石にクラスメイトの前だと恥ずかしいのか、教室で俺と一緒にいるのは席につくべき時だけ。それ以外は、別のクラスの佐鳥書記のところに遊びに行っているらしい。
俺たちは教室に着くと、リュックを下ろし、別れた。
俺は澄田や白川以外とは話さない。というか、それ以外のクラスメイトは俺に近寄って来ない。橋川とのケンカの件から俺を警戒しているんだろう。
「はああぁ」
白川もいないし、喋る相手もいない。朝は退屈だ。
いや、待て。俺は……今ナチュラルに誰かと喋ろうとしていなかったか?俺は独りでいいのだ。誰かと喋る、そんな必要はないだろ?
俺は変わりつつある自分を受け入れていなかった。人は一人では生きていられない。そんな当たり前の事が、この時の俺にはまだしっかり理解できていなかった。
『一人で抱え込まず、誰かと悩みを共有する。困難には周りと協力して立ち向かう。助け合い、生きていく。
そんなのは理想でしかない。もっと言えば、この手の理想とは教育機関や国家、マスコミが煽りながら作るものであって、それは国民の洗脳でしかない。』
などと、この時の俺は考えていた。それは社会に抗うような確固とした意志を持っていたからではなく、単純に反抗期が変な方向にこじれたものだっただろう。
荷物を片付けると、席を立ちベランダに出る。
この教室棟は廊下の代わりに、教室どうしをベランダが繋いでいる。屋根があるので雨の日でもここを通る。もっとも、少し斜めに降ると端の方が濡れて滑るということはあるが。
ベランダからは中庭が見える。植栽や、隅には竹が何本か生えている。
さて、これからどうしたものか。当面は反白ねじれ組織に協力するつもりだ。その上で澄田のことについて探っていく。まず交流を深めたい。まだ俺に隠しているであろうことを深掘りするためにだ。だが、そう上手くいくだろうか。俺のコミュニケーション能力はそんなに高レベルなものではない。
まあそこはなんとかなるかもな。
それと、厄介な学年レクを早く終わらせてしまいたい。今日の学活次第では、このレクで勝てない可能性が出てくる。別に俺は負けてもいいのだが、澄田の状態を考えると勝っておく方がいいだろう。いくつか戦法は見えてきてはいるが、もう一捻り必要かもしれない。最悪の場合、奥の手を使わなければならないだろう。奥の手とはもちろん、ねじれの世界に通じていることを利用したものだ。
予鈴がなり、生徒たちが席につき始める。俺も教室に戻り、自席についた。



なんとかこの日の学活で、ミッションが決まった。一人一つ案を考えてくる筈だったが、俺しかり、何の案もない生徒が多かった。意外にも俺が行きの電車で雑に考えた案が通った。ブロックを積み上げる、というヤツだ。前回の学活で澄田が言ったポイントに則り、リーダーに背の高さが必要となる俺の案とは対極的に、背の低さが必要となるミッションが決まった。というか、これは前回の学活で澄田が例として提示したものだ。確か、リンボーダンス。
三つ目のミッションは、あらかじめ宝箱を複数敷地内に設置しておいて、その中から宝の入った物を見つけるというもの。ただし、箱はリーダーしか開けることは出来ない。
これは勝ちに行くための案と言うよりは、純粋に面白そうなミッションだ。
この熱意のなさから見ても、うちのクラスにレクを勝ちにいく意志があるようには思えない。つまり、うちが勝つというよりは、他のクラスが負けるようにする必要がある。幸い、戦い切れない状況ではない。なんとか出来そうだ。
放課後になった。俺は委員会に向かう澄田を見送りつつ、帰る支度をして教室を出た。昇降口の下駄箱で上履きから靴に履き替え、校舎を出る。
雪ノ下中の敷地はそこそこ広い。以前のこの学校は小中一貫校で、同じ敷地内に小学校があった。今は小学校は廃校となり、その廃墟だけがまだ残っている。廃墟の周りには有刺鉄線付きの背の高い柵があり、容易には入れないようになっている。その近くに、古い備蓄倉庫がある。気味が悪く誰も近づかない。ここにねじれの世界への入り口があった。
俺は定位置につくと、リュックから鈴を取り出し、鳴らした。
視界が変化していく。あっという間に、「はざま」の世界に着いた。
空は相変わらず淡い緑色で、雑草が遠くまで生い茂っている。霞んで見えないが、下手をすれば地平線が拝めるんじゃないか?
少し歩くと、草原から巨大な爬虫類が顔を見せる。守神だ。そこが光る円陣を出す場所。守神はある種目印になっている。
俺は守神に近づくと、鈴を鳴らして円陣を出現させ、ねじれの世界に入る。守神は怖い目でこっちを見続けていた。どうやら俺には懐かないようだ。もう数回来ているが、リナイのように守神と意思疎通が出来るとは到底思えない。
光る円陣が赤の捻界に向かって降りていく。相変わらずの異様な光景は、かなりの迫力を伴って俺に襲いかかる。ここから白の捻界が見えるように、赤と白の捻界の間には何も無いように思えるが、そうではないらしい。ねじれの世界では、対になった二つの捻界が繋がることはまず無いようだ。両者の間には絶対的な無限の空間があり、物理的に接近すればするほど速さが遅くなって、触れあうことは出来ない、とリナイが言っていた。
反白ねじれ組織本部の建物に入り、玄関で靴を脱ぐ。何かあった時瞬間移動した先で履けるように、靴は常に携帯しておく。リュックから巾着袋を取り出し、靴をしまう。
定例会は会議室で行われる。俺は突き当たりを右に曲がってしばらく歩き、目的地に到着する。
ドアを開けると、ガヤガヤと談笑する声が聞こえてきた。リナイがこっちに気づき、手を振ってくる。俺はそこに向かう。
「やあ杉田。今日は少し早いな」
「そうか?いつもと変わらないと思うけどな」
「杉田。今日は澄田嘉菜に関する議題がひとつある。よく聞いとけ」
俺は一瞬口をつぐんで、安堵する。ようやく本格的に澄田に関しての情報が得られそうだ。
「分かった」
俺はリナイの隣の席につくと、会議室全体を見渡した。
大きな組織だ。人も相当いる。だが、この中で赤のねじれを持っているのは今のところ俺だけらしい。
ねじれの力の起源は、明らかになっていないようだ。赤のねじれを宿した者は過去にもいたが、そのほとんど全てが現実世界の人間だったという。しかも、同じ時期に赤のねじれ保有者は多くても5人しか存在したことがないらしい。それに比べて白のねじれを持つ者は無数にいる。俺の他にあと4人、赤のねじれを持つ者がこの世のどこかにいるのかもしれない……。
「では定例会を始める」
会議室の中央のイザミ団長が立って言った。
「まずは、紅白捻界の境界についての調査結果から発表してもらおう」
何のことだろうか。俺はリナイに小声で耳打ちする。
「境界って何だ?」
「白装束が赤の捻界に侵入する場所の仮称だ。ほら、前に杉田と僕で戦ったろう?」
「ああ、侵入経路ってことか」
何のことか分かると、ヴェナさんが立ち上がり話を始めた。
「まず私の千里眼からの調査結果を報告します。今回白装束が侵入した経路は結果的に言うと分かりませんでした」
その言葉を受けた会議室がザワつく。
「それは……どういうことだ?」
「端的に言うのであれば、白装束はいきなり現れ、いきなり消えた、ということです。なのでどこを通ったかは分かりません」
「瞬間移動の追跡は出来るはずだ。その結果は?」
イザミさんが追求する。
「出来ませんでした。何らかのトラッキングがあってもそれを防ぐ事ができるということでしょう」
ここまで来るとお手上げなのか、一同閉口する。
「分かった。よし次だ。現実世界の被害者の調査結果を発表して欲しい」
その言葉を受けて立ち上がったのは、俺は初めて見る人物だった。スラっと背の高い男性。前髪が長くて、目元が見えない。
「今回報告待ちされているのは3人です。一人目は原かすみ。彼女は3年前に被害を受けています。現在は、その頃の記憶を持っていません。日常生活は普通に送っているようです」
澄田以外の被害者の名前は、初めて聞いた。こうして聞くと現実感が増してくる。
「二人目は澄田嘉菜。彼女は2年前の赤のねじれ発現の際に被害に遭いました。その頃の記憶は持っていないようです。そして彼女、かなり重要な人物かと思われます」
それを聞いたイザミさんが口を開く。
「当初は分かっていなかったことか?」
「はい。彼女は、赤の捻界について何らかの情報を持っていたと見て間違いないでしょう。その口封じと、威力偵察が白装束たちの目的だったと思われます」
それは俺の中ではある程度予想していた事だ。澄田は、2年前記憶を取られる前の時点で何かを知っていた。少なくとも、赤のねじれが何なのかは見当がついていたのだろう。
「ただ、彼女の記憶を戻したとなれば、白の捻界の者も放ってはおかないでしょう。現実世界に迂闊に出られない我々では、彼女を守ることは困難です。そこにいる一人を除いては」
その視線がこちらに向くのを感じた。
「今後彼には、赤のねじれを使いこなせるようになってもらわなければなりません」
俺は固唾を飲んだ。責任重大だ。
「三人目は──」
今の言い方だと組織は、やろうと思えばいつでも澄田の記憶を戻せるように聞こえる。俺の記憶を戻したように。俺は澄田を巻き込みたくない。かと言って、記憶を取ったままというのも忍びない。最終的には、俺の赤のねじれが必要になってくる。それは避けては通れないだろう。だとすればやるしかない。この間の戦闘で俺はまだねじれを使いこなせないことが分かった。今後はその対策を考えていくことになるだろう。
「──以上になります」
男はそう言うと、席に座った。



定例会が終わり、会議室から出ようとしたところで、リナイが話しかけてきた。
「杉田。澄田嘉菜についての方針を話そう。これから10分くらい、いいか」
「分かった」
そう言うとリナイは歩き出した。会議室をでて左に曲がり、二番目のドアを開ける。中に入ると、応接間のようになっていた。中央にテーブルがあり、手前と奥にイスが置かれている。
リナイはイスに座ると、俺にも座るよう勧めながら、口を開いた。
「近いうち、行事みたいなものはあるか?」
「学年レクリエーションがあるな」
「へえ。何するの?」
「それは──」
俺は面倒なルールを一からリナイに説明した。うちのクラスで決まったミッションも告げた。
「──みたいなことをする」
「なんだか面倒だな」
「澄田の事を考えると、やっぱり勝った方がいいのか?」
「澄田嘉菜がなるべく負の感情を持たないようにしたいってのが本当の所なんだ。レクで負けた程度で落ち込まないなら、勝つ必要はない」
「いや──落ち込むと思うぞ」
俺は正直に言った。
「そうか。じゃ頑張って勝ってくれ」
リナイの投げやりな態度は相変わらずだ。もう既にそこに不満が出てきたりはしない。
「なあ、一つ質問していいか」
俺がそう言ったのをうけて、リナイがこっちに顔を向ける。
「僕が答えられることなら」
「始業式の日のことなんだ。俺は家に帰って、母親に澄田が学校にいたことを話したんだ。そしたら母さん、なんて言ったと思う?」
「澄田はもう死んだ、だろ?」
リナイは案外あっさりと答えた。
「知ってたのか?」
「その直後に君を呼び寄せた。よく覚えてるよ。ヴェナが千里眼で赤のねじれを宿した人物を見つけたって、大騒ぎしてた」
「お前が俺を呼びよせて、そのあと母さんは正反対のことを言ったんだ。澄田は生きてるってな。お前は最初、澄田は一回死んでいると言ったが──」
俺が続きを話すのを遮るようにリナイが話し始める。
「その問題を説明するのは難しいんだが、長い話を聞きたいか?」
「ぜひ」
そう言うと、リナイは語り始めた。
要約するとこうだ。
澄田が一度死んだのは、白装束のねじれによる殺害だった。ところが、ねじれで殺しているその瞬間に、俺が白装束を殺した。つまり澄田は、「不完全に殺された」状態にある。これは死んだとも捉えられるし、生き残ったとも捉えられる。
ねじれの世界が現実世界に常に影響を及ぼしている中で、何らかのアクション、今回で言う殺害が行われると、その時点で現実が分岐するらしい。つまり、パラレルワールドとなるわけだ。
俺が一連の騒動に巻き込まれる前までは、俺は別のパラレルワールドでの俺だった。澄田が死ぬ世界線ということだ。だが、ヴェナさんが俺の赤のねじれを千里眼で見て、ねじれの世界における『接触』をしたことにより、また現実世界が分岐した。そこで、俺は澄田が生きている別の世界線と、不完全にリンクしたということだ。
ヴェナさんの千里眼は時間を遡ることは出来ない。が、時間を遡る能力自体は、存在しているようだ。
「それは誰が保持しているんだ?」
「さっき現実世界の被害者を報告してたネヅさん」
「あの背の高い男の人か?」
俺がそう言うと、リナイは頷いた。
つまり、ネヅがヴェナとともに時間を遡った先でヴェナが千里眼を使えば、今回のような事も起こってしまう。
二年前の時点で、俺と澄田は不安定な世界線を進むことになっていたという事だ。だから、俺以外の人間、例えば母さんは澄田が死んだ世界線を生きていたことになる。だが、リナイが俺に接触した瞬間、俺は完全に、澄田が生きている世界線にシフトした。だから、リナイに呼び出された後、始業式の次の日、母さんの言動が変わったのだ。
「そういうことか。だから俺は澄田が死んだことも知らなかった……これなら辻褄があうな」
「僕にとってはどうでもいいけどな。それより、来週から赤のねじれの操作実験を始めたい。澄田の事があるから、できるだけ早く、杉田がねじれを使いこなせるようにしたいんだ」
「それは同感だ。来週からだな。分かった」
そう言うとリナイは頷いて、席を立った。
俺はねじれの世界を後にし、自宅に向かった。
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