四十七 明日の君へ その一 小説とは の二 ~或いは、過去の自分との邂逅~

文字数 2,516文字

 俺も、昔は、あんな目を、していたのかな。そういや、随分と若い頃に、一度、小説の話をしている時は、目がキラキラと輝いてるとかって、言われた事があったっけな。当時は、そんな事って本当にあるのか? なんて、思っていたけど、今のうがちゃんを見ていると、本当だったのかも知れないな。と、町中一は、うがちゃんの表情を見ていて、そんな事を考えた。



「自分をそのまま出しちゃいけないうが?」



「別に構わない。うがちゃんの事を知っていて、うがちゃんがどういう気持ちで書いていたかをある程度知っている人達だけが読むのならそれで問題はない。だが、赤の他人に読ませるんだったら、やめた方が良いと俺は思う。うがちゃんがどんな人物かを、その文章の印象だけで、判断されかねない。極端な事を言えば、主人公が人を殺すような小説を書いたとして、その主人公をうがちゃんが自分として書いたとする。すると、うがちゃんが本当に人殺しだと思ってしまう人が出て来てしまうかも知れない。まあ、普通は、そんな事はないと思うけどな。世の中には色々な奴がいるからな。用心に越した事はない」



「自分を出さないで、全部架空の話だったら、何をやっても良いって事?」



 お母さんスライムが、何かを思い付いたかのような顔をしつつ言う。



「何をやっても良いと思うぞ。そうだ。小説にはジャンル、ええっと、種類って言えば良いのかな? そういう物がある。簡単に言えば、本当の事を書く物や、今の話の場合みたいに、架空の話を書くとかっていうような物の事だ。架空の話としてのジャンルで書けば、読む人もこれは架空の話だと思って読むから、何を書いても大丈夫なはずだ」



「妄想が膨らむわね。現実ではできないような、あんな事やこんな事も、架空の世界ならできるものね」



「他には、どんな、ジャンル? っていうのがあるの?」



「こっちの世界にはそもそも本が出回ってないらしいからな。どんな物があるんだろうな」



 スラ恵の言葉を受けて、町中一は言いながら、柴犬の方に顔を向ける。



「主様。こっちの世界にも、色々あるんだわん。代表的な物だと、恋愛物、騎士道物、冒険物などだわん」



「なに~? これは、ライバルも意外と多そうだな」



 ちぃー。全然出回ってないなら、ちょちょちょっとそれっぽいのを書けば、いけるんじゃね? とか密かに期待していたのにぃ~。と思って、町中一は、ハンケチの端っこを噛みたいような気分になった。



「エッチ物はないのかしら? あるとしたら、どんな物なのか読んでみたいわ」



「そうだな。俺も、こっちの世界の本を読んでみたい。柴犬。手に入れられるか?」



「もちろんだわん。すぐに用意するんだわん。空き部屋を書庫に改造して来るんだわん」



 柴犬が、ななさんの方を見て、ニヤリっと、笑みを浮かべてから、部屋のドアを器用に口と前足を使って開けて、部屋から出て行く。



「もうぅん。あの子ったら、なんなのよぉん」



 ななさんが、至極、不満そうに言う。



「創作は最後のフロンティアだ。なんて言葉がある」



「フロンティア? うが?」



「そう。フロンティア。ちなみに言ったのこの俺だ」



「言葉の意味は分からないけど、なんだか、格好付けてるような感じがする。急に、そんな事を言い出して、それが、なんなのよ?」



 スラ恵が、小馬鹿にしたような目を、町中一に向けて来た。



「皆、これから、柴犬が用意してくれた本を読むと思う。そうすると、多分、その本に色々な意味で、圧倒されると思うんだ。自分には、こんなのは、書けない。なんてなって、書こうと思った気持ちが萎えてしまうかも知れない。だから、そうなる前に言っておきたくなってな。この世界の、いや。待てよ。この世界は、まだ、色々な事が、開拓されてはいないかも知れないからな。俺の前にいた世界での話、になってしまうのかも知れない。まあ、しょうがない。取り敢えず、こういう考えもあると思って聞いてくれ。俺が言っている、フロンティアとは、まだ、手が付けられてはいない事があるとか、何もかもが、先人達に決められていて、雁字搦めになっている世界ではないというような意味だ。もっとだな。俺は、こういう意味でこの言葉を使っていた。自由。というような意味だな。創作には、自由がある。現実の世界には、色々な事があるだろう? 自分の思いのままにならない事が多過ぎる。理不尽で、不条理で、残酷な事がたくさん起こってしまう。だが、頭の中の世界はどうだ? 自分の頭の中で、あれやこれやと、考える世界は、なんだってできる。それこそ、自分が望む、完璧な世界だって、実現可能なんだ。こんなに、素晴らしくって、楽しい事があると思うか? たとえ、自分が考えていた物と同じような物語があって、それが、自分の考えていた物よりも優れていると思ったとしても、そんな事は気にしなくって良い。そういう、優劣みたいな物に縛れる事なんてないんだ。何かと比べたり、何かと比べられたりするなんて事は、本来は、創作とは関係のない事なんだからな。……。俺は、そうか。俺は、そうだった。俺が小説を書こうと思ったのは、社会人になったばかりの時に、世の中の、理不尽さ、不条理さ、残酷さを、目の当たりにして、自由になりたいと思ったからだったんだ」



 町中一は、言葉の途中から、自分の心情を吐露し始め、やがて、己の内部に、思考を引き込まれて、唐突に、口を閉じてしまう。



 忘れていた訳じゃない。だが、俺は、この、小説を書きたいと思った動機の事を、いつの間にか、軽んじていた。いや、違うか。小説の事を、自由になる為の手段、とも、考えていたはずだ。社会という枠やルールに囚われず、違うな。小説家になったって、その手の物は付いて回る。今思えば、随分と、甘ちゃんだったんだな。ただ、逃げたかっただけ……。いや。それも違うか。逃げる手段にしては、面倒事が多過ぎるし、無駄な事も多過ぎる。俺は、つくづく、馬鹿だったんだなあ。だが、愛すべき、馬鹿、だったんだなあ。町中一は、口を閉じると、そんな事を考えて、過去の自分を思い、泣きそうになりながら、自嘲の笑みを顔に浮かべた。
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