物理数学赤点のためのハイゼンベルク小史

作者 ろっべ

[科学]

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不確定性原理を発見したドイツ20世紀の物理学者ハイゼンベルクについて、普通の人に分かるように書いてみます。物理数学赤点だったのはこの私なので、キャシディの本は頭がフラフラになりました。物理学以外にも第一次大戦後のドイツ史とかめっちゃ面白かったです。
数冊の本を読みましたが、参照度が多い順に以下に書きます。
なお、科学者の写真は極力パブリック・ドメイン(知的財産権がない、誰でも利用できる状態)のものを使いました。実は他の小説サイトで画像を削除されまくって凹みました。
ハイゼンベルクの本を数冊読んで、物理学に焦点を当てたもの、原爆について書いたもの、政治的な面について夫人が書いた手記など色々な著書が、さまざまな切り口でハイゼンベルクについて書いています。
私の切り口は以下のようなものです。
⚫できるだけ易しく(物理数学赤点でも分かる)
⚫量子力学の発見と不確定性原理については詳しく
⚫ハイゼンベルクやその周囲の人たち(師、同僚、妻など)の性格や彼らとの交流/すれ違いを書く
⚫亡命せずナチスドイツに留まり、ナチスと妥協して原子爆弾の研究を行ったこと
⚫そのために戦後非難されたこと
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『不確定性
ハイゼンベルクの科学と生涯』
デヴィッド・C・キャシディ著
金子 務 監訳
白揚社
1998年5月15日 第一版第一刷発行

『シュレーディンガーの生涯』
D.ホフマン
櫻山義夫 訳
地人書館
1990年3月10日 初版第1刷

『部分と全体
私の生涯の偉大な出会いと対話』
W.ハイゼンベルク
湯川秀樹序・山崎和夫訳
みすず書房
1974年7月10日 第1刷発行
1974年10月20日 第2刷発行

『ハイゼンベルクの追憶
非政治的人間の政治的生涯』
エリザベート・ハイゼンベルク
山崎和夫訳
みすず書房
1984年5月10日 印刷
1984年5月20日 発行

『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか
連合国が最も恐れた男・天才ハイゼンベルクの闘い』
トマス・パワーズ
鈴木主税(すずき・ちから) 訳
ベネッセ 福武文庫
上巻および下巻
1995年8月5日 第1刷印刷
1995年8月10日 第1刷発行

『そして世界に不確定性がもたらされた
ハイゼンベルクの物理学革命』
デイヴィッド・リンドリー
阪本芳久 訳
早川書房
2007年10月20日 初版印刷
2007年10月25日 初版発行
 

登場人物

ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクWerner Karl Heisenberg, 1901年12月5日 - 1976年2月1日)は、ドイツ理論物理学者行列力学不確定性原理によって量子力学に絶大な貢献をした。量子力学のほかにピアノが得意でベートーベンのソナタなどを弾く。趣味はスキーと山歩き。師のボーアとは後で激しい論争をし、涙を流すこともあった。1933年、量子力学の確立により1932年にノーベル物理学賞を受賞した。 彼は量子力学の哲学的側面も扱った。また、ナチスが政権を取ってからコペンハーゲンに行ったが、デンマークはナチスに占領され、ハイゼンベルクは原子爆弾について忠告しようとしたが、ボーアと気持ちがすれ違ってしまった。戦後、ナチスに両親を殺されたオランダ人との同僚ともしっくり行かなかった。ハイゼンベルクはナチス党員ではなかったが、ドイツで物理学の仕事を続けるため、ナチスの高官と妥協した。それを責められないと私は思うが、親を殺されたらしっくり行かないだろう。

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアデンマーク語: Niels Henrik David Bohr[1]1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者[2]量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。王立協会外国人会員。ユダヤ人。ハイゼンベルクの師。基本的には優秀でいい人なんだけど、物理学の議論になると、我を忘れることも。コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所に来たシュレーディンガーは、ボーアの厳しい論争に病気になったし、ハイゼンベルクもボーアと不仲なときがあって、自分の失敗で涙を流したことが。1922年原子構造とその放射に関する研究でノーベル物理学賞を受賞。

ヴォルフガング・エルンスト・パウリWolfgang Ernst Pauli, 1900年4月25日 - 1958年12月15日)は、オーストリア生まれのスイスの物理学者。スピンの理論や、現代化学の基礎となっているパウリの排他律の発見などの業績で知られる。緑で塗ったらカッパみたいになった。カッパウリと呼んでくださいw。

アインシュタインの推薦により、1945年に「1925年に行われた排他律、またはパウリの原理と呼ばれる新たな自然法則の発見を通じた重要な貢献」に対してノーベル物理学賞を受賞した。
パウリはウィーンでヴォルフガング・ヨセフ・パウリとベルタ・カミラ・シュッツの間に生まれた。エルンストという彼のミドルネームは名付け親の物理学者エルンスト・マッハに敬意を表して付けられた。父方の祖父はユダヤ人で、名の知れた出版社の経営者だった[1]

ハイゼンベルクの批判精神にあふれた同僚で、ハイゼンベルクは何か新しいことを思いつくと、いつもパウリに連絡した(離れていたときは、当時は主に手紙で)。

エルヴィーン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガードイツ語: Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger [ˈɛɐ̯viːn ˈʃʁøːdɪŋɐ]1887年8月12日 - 1961年1月4日)は、オーストリア出身の理論物理学者

1926年波動形式の量子力学である「波動力学」を提唱。次いで量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式や、1935年にはシュレーディンガーの猫を提唱するなど、量子力学の発展を築き上げたことで名高い[3]

1933年イギリスの理論物理学者ポール・ディラックと共に「新形式の原子理論の発見」の業績によりノーベル物理学賞を受賞した[1][3]1937年にはマックス・プランク・メダルが授与された[2]

1983年から1997年まで発行されていた1000オーストリア・シリング紙幣に肖像が使用されていた。シュレディンガーとも表記される。デイビッド・C・キャシディ『不確定性』では「粋なオーストリアの物理学者」と紹介され、愛人が3人いて、子供もたくさんいたらしい。それはともかく、アインシュタイン+シュレーディンガー対ニールス・ボーア+ハイゼンベルクで物理学的に対立しており、感情的な言い争いになったこともあるそうだ。

アルベルト・アインシュタイン[注釈 1]: Albert Einstein[注釈 2][注釈 3][1][2]1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ生まれの理論物理学者ユダヤ人スイス連邦工科大学チューリッヒ校卒業。

特殊相対性理論および一般相対性理論、相対性宇宙論ブラウン運動起源を説明する揺動散逸定理光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、半古典型のシュレディンガー方程式ボース=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績で知られる。当時は"無名の特許局員"が提唱したものとして全く理解を得られなかったが、著名人のマックス・プランクが支持を表明したことにより、次第に物理学界に受け入れられるようになった。

それまでの物理学の認識を根本から変え、「20世紀最高の物理学者」とも評される。特殊相対性理論や一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年ノーベル物理学賞を受賞した。

アインシュタインはユダヤ人だったため、ドイツを去り、アメリカに移住した。「神はサイコロを振らない」と言って、ボーアのコペンハーゲン解釈による量子力学を一生認めなかった。


ルイ・ド・ブロイ(Louis Victor de Broglie)こと、第7代ブロイ公爵ルイ=ヴィクトル・ピエール・レーモン(Louis-Victor Pierre Raymond, 7e duc de Broglie 、1892年8月15日 - 1987年3月19日)は、フランス理論物理学者

彼が博士論文で仮説として提唱したド・ブロイ波(物質波)は、当時こそ孤立していたが、後にシュレディンガーによる波動方程式として結実し、量子力学の礎となった。電子の波動性の発見により1929年ノーベル物理学賞を受賞した。

細かい間違いはあったようだが(シュレーディンガーにも間違いはあった)、ド・ブロイにヒントを得て、シュレーディンガーは波動力学を生み出した。ボーアもハッキリしないところもあったし、ハイゼンベルクもミスしてベソをかいた。間違っていいから、みんなどんどん研究して物理学を発展させて欲しい。

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小説情報

物理数学赤点のためのハイゼンベルク小史

ろっべ  robbe48

執筆状況
完結
エピソード
20話
種類
一般小説
ジャンル
科学
タグ
科学, 量子力学, ハイゼンベルク, 伝記, 不確定性原理, 原爆, 原子爆弾
総文字数
48,053文字
公開日
2023年10月10日 22:45
最終更新日
2023年12月27日 20:47
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