11章―3
文字数 4,469文字
普段ならモレノが気分を盛り上げようと騒ぎ立てるのだが、今は神妙な面持ちで黙っている。アースは左隣を見る。その視線にすら気づかず、モレノはじっと前を見つめていた。
この日は、モレノとミックの両親の命日である。二人の要望により、ミルド島東部の霊園を訪れることになったのだ。
「(そういえば今まで、モレノ達がなんで[家族]になったのか、聞いてなかったな……)」
アースは昨晩、モレノが語った話を思い出していた。[家族]になった日から、本当の兄のように優しく接してくれた彼。過去を語るその顔は、とても痛ましかった。
モレノとミックはミルド島東部に生まれ、その地で幼少期を過ごした。『家』から車で半日程の距離に大きな屋敷を構え、宝石商として生計を立てていた彼らの両親。裕福な家庭で育った兄妹は、いずれは家業を継ぐはずだった。
しかし、悲劇は突然訪れる。屋敷内で火災が起き、逃げ遅れた両親が犠牲となったのだ。兄妹は無事だったが、その日は親戚一同が屋敷に集っており、生存者はいなかった。
一瞬のうちに天涯孤独となった二人だったが、偶然その場に居合わせたバックランド家に拾われ、その日から[家族]となったのだ。
アースは右隣を見る。ミックは朝からずっと黙っており、今は窓の外を眺めていた。
――死んだ人を生き返らせるような力は、ありますか?
ふと、昨日のミックの質問を思い出す。何故そのようなことを聞いたのか疑問だったが、今なら分かる。彼女はきっと、両親に会いたがっているのだ。
両隣の兄妹は無言で、悲しみに耐えている。実の家族を失った二人を慰める術など、知るはずもなく。アースは大好きな二人が苦しむ様子を見て、胸が張り裂けそうな痛みを感じていた。
――
「さぁ、着いたぞ」
銀色のキャンピングカーは、広い駐車場に停車した。ノレインの呼びかけに全員が車から降りる(日帰りのため、スウィートとピンキーは『家』に残してきた)。
アースは辺りを見回した。背の低い生垣に囲まれた霊園の駐車場。生垣の向こうの道路には、街路樹が点々と続く以外に建物はない。冷えた風が吹きつけ、街路樹から残り僅かとなった枯れ葉が数枚、宙に飛ばされた。
駐車場は閑散としている。二、三台の乗用車が停められている以外は誰もいない。
敷地内を横切り、霊園の入口に差しかかる。しかし、ミックは急に足を止めた。彼女は目の前の景色を食い入るように見つめている。遠くに公園が見える以外は、何もない。
「ミック、どうしたの?」
異変に気づき、ナタルが声をかける。ミックはしばらく黙っていたが、やがて、口を開く。
「……あの場所に、わたしのおうちがあったの」
語尾が震える。モレノは咄嗟に、妹の肩を抱いた。
「ミック、無理はするな。見ない方が……」
「無理なんてしてないわ」
普段なら疎ましそうに手を払うはずだが、ミックは悲しげに微笑み、モレノを見上げる。その様子は、兄思いの妹そのものだった。
「つらいけれど、泣いてばかりじゃ何も変わらないもの。わたしだって、そろそろ大人にならなきゃ」
ミックは兄の手を取り、再び歩き出す。アースは二人を目で追っていたが、ラウロに肩を叩かれ、皆の後を追った。
「二人と初めて会った場所が、あの公園だったんだ」
霊園を進みながら、ノレインは語り出す。先を行く兄妹は、こちらの会話に気づかない。
「公園で演技の練習をしてた時、モレノとミックが見に来てくれたのよ。ちょうど目の前に家があってね、窓から様子が見えたんだ、って言ってたわ」
メイラはノレインの腕を取り、当時を懐かしむ。
「でも、二人が帰ってすぐに、家が燃えてるのに気づいたの。急いで助けに行ったら、二人は無事だったけどお母さんが物の下敷きになっていて……」
「助太刀に入ったが、びくともしなかった。そうするうちに火の手が回ってきて、退却せざるを得なかったんだ」
ノレインは、悔しげに声を絞り出す。
「私達は、彼らの母親から『二人をよろしくお願いします』と託された。ミックは残ると言い張ったが、連れ出すしかなかった」
アース達は言葉を失う。モレノは事故の詳細まで語らなかったが、ここまで悲惨だとは思わなかったのだ。
手を繋いで歩く兄妹。アースは、彼らの心の傷に気づかないどころか想像もしなかった自分に、憤りを感じた。
数分後、モレノとミックは足を止めた。生垣に囲まれた広い区画に、白い墓標が二十基程。ここが、彼らの両親と親族が眠る場所のようだ。
[家族]はそれぞれの墓標に、ユーリットの植物園で購入した花束を供える。横一列に並び、全員で黙祷を捧げた。
「……わたしは、今まで逃げてきたのかもしれないわ」
ミックは、独り言のように語り出す。
「みんなが死んだのはわたしのせいだ、わたしが、何もできなかったから。そう思いこむことで、わたしの時間はずっと、止まったままだったの」
彼女の言葉は震えていたが、芯の通った強さを感じた。ミックは枯れた芝生に跪き、言葉を続ける。
「あの時、お母さんは『生きて』って言ったのに、わたしは、一緒に死のうとした。それが間違いだってこと、今なら分かるわ。お母さんと……コンバーさんが、教えてくれたから」
アースは、あの崖での出来事を思い出した。コンバーの後を追って飛び降りようとしたファビに、ミックは激しく叱咤した。大人しい彼女が急に激昂した様子に驚いたが、ファビに当時の自分の姿を重ねていたのだろう。
「会えないのはやっぱり寂しいけど、レント先生も『その人と過ごした『思い出』は決して消えない』って言ってたものね。だから、わたしはこれからも、みんなのことを想い続けるわ」
ミックは胸元の青い宝石を手に取り、蓋を開ける。ロケットの中には、家族写真が入っていた。
黙って聞いていたモレノは目を潤ませながら鼻を啜り、ミックの背中に飛びついた。
「あぁ。みんなは俺たちの中で生きているんだ。ミックも俺も、[家族]みんなも、親父やおふくろたちに見守られてるから最強なんだぜ!」
双子も感極まり、ミックに抱きつく。ナタルもラウロの手を引っ張り二人に続くと、アースに目配せする。
アースは手で涙を拭い、ミックを正面から抱きしめた。ノレインの慟哭が耳に入る中、ミックは涙を流しながら、抱きしめ返してくれた。
「みんな、ありがとう」
ミックはモレノの腕を掴み、泣き崩れるノレインとその背を擦るメイラに近寄る。そしてほんの少し顔を赤らめ、笑った。それは今まで見たどの笑顔よりも、眩しく輝いていた。
「ふつつかものですが、これからもよろしくね。パパ、ママ」
夫婦は同時に、あんぐりと口を開ける。一瞬の間を置き、二人は兄妹を力一杯抱きしめた。
「ぜっ、全然ふつつかものじゃないわよ! 二人共最っ高の兄妹なんだから!」
「ぬおおおおおこちらこそ、よろしく頼むぞおおおおおッ‼」
アース達も、彼らにつられて顔が赤くなる。ナタルはくすぐったいように口元を歪ませた。
「パパにママ、か。私も真似しちゃおうかな?」
「歳の近い俺が言うのは気持ち悪いけどな」
ラウロの発言に「あら、全然いいわよ?」とメイラが返し、彼の顔が一気に真っ赤になる。
「でもメイラさんは『ママ』っていうより『オカン』の方が似合うっすけどね!」
「ちょっとモレノそれどういう意味よおおおおおぉ‼」
「ぎゃああああああ‼」
メイラは逆上し、モレノに関節技をかける。しんみりした空気が一変、この場は爆笑の渦に包まれた。
「あれ?」
その時、アースの目にある姿が映った。
技をかけられながら「ギブ、ギブ!」と叫ぶモレノの向こう側。ラガー家の墓標と向かい合う離れた位置に、二つの背中が見えたのだ。一人は背が高く、もう一人は背が低い。長身の人の髪は、見覚えのある赤茶色。
「アース、どうしたの?」
メイラはこちらに気づき、モレノから手を放す。地面に落ちるモレノには目もくれず、アースは目線の先を指差した。
「あの人、ヒビロさんじゃないですか?」
[家族]全員がその人を見る。メイラは睨むように目を細めると、「確かに『変態』っぽいわね」と呟いた。だが、ノレインはしきりに唸っている。
「子供のようだが、もう一人は誰なんだ?」
男性の隣には、彼の膝辺りよりも背が低い少年。アースは初めて『変態』に会った時、自分の背丈は彼の太もも中間の位置だった、と記憶していた。そうなると、あの少年はアースよりも年下だろうか。
「とにかく、確認してみよう」とノレインが呼びかけ、ラガー家の墓標を振り返る。再度黙祷を済ませ、全員でその人物の所へ向かった。
公園のように整備された、生垣と樹木に囲まれた霊園。石畳の道に沿って迂回し、遂に二人の目の前に辿り着く。
彼らとの距離が縮まるにつれて、疑問は確信へと変わった。長身の男性は間違いなくヒビロだ。派手な色合いの服装が好みのはずだが、今の彼は上下共に黒一色だった。隣の少年も、彼と似た色合いの防寒着を纏っている。
彼らは[家族]の足音に気づく様子もなく、沈んだ様子で目の前の墓標を見つめている。普段とは全く異なる雰囲気にメイラは息を詰まらせ、不安げに口を開いた。
「あんた、ヒビロ……よね?」
メイラの声に、ヒビロの背がビクリと跳ねる。振り返った彼の顔は凍りついたように固まっていた。『何でお前らがここにいるんだ⁉』とでも言いたげに、口元が震える。隣の少年はヒビロの様子に気づき、ようやく振り返る。
その瞬間、今度は[家族]全員の表情が凍りついた。特徴的な癖っ毛に茶色の瞳。遠目で見た時は茶色だった髪の色は、ヒビロの隣では、少し控えめな赤茶色に見えた。
しかし、それよりも少年の顔つきが目についた。目鼻立ちが整っており、幼いながらも美しいことが分かる。少年は、隣で呆然と突っ立っているヒビロを見上げた。
「おとうさん、この人たちはだぁれ?」
ノレインとメイラが同時に息を詰まらせる。アースもまた少年から目を離せず、動揺していた。少年に似ていたのは、ヒビロだけではなかった。骨格や眉の形はどことなく、『ある人物』を連想させたのだ。
少年はヒビロの目線を追う。茶色の瞳が『ある人物』を、無言で震えるノレインを捉えた。
「えっ、ぉ……おかあ、さん……?」
[家族]全員の目が眩む。メイラは顔面蒼白のままノレインと少年を交互に見ながらふらつき、倒れてしまった。
「メ、メイラ、しっかりしてくれッ! メイラああああぁぁッ‼」
ノレインは気絶したメイラを揺さ振りながら、必死に呼びかける。ヒビロは膝から崩れ落ち、夫婦を食い入るように見続けていた。
誰も何も言えず、ノレインの叫びだけが響き渡る。ヒビロと少年の間から茶褐色の墓標が見えたが、それに目を留める者は誰もいない。
墓標には、『ルミ・ファインディ』と書かれていた。
Even if they die, their souls stay alive
(愛する人は、今でも心の中に)
(ログインが必要です)