9章―4
文字数 3,142文字
「間違いない、ここだッ!」
ノレインの声が聞こえた瞬間、目の前が急に開け、平らな崖に出た。気づかずに進むとうっかり転落しそうな場所であり、全員が慌てて踏み留まる。
視線を前方に移すと、歓声が上がった。この場所からは、『家族』の暮らす世界全てが一望出来たのだ。
広葉樹林と針葉樹林の並木道、『家』、ブロード湖、森、丘。その向こうに、眩く光るオレンジ色の夕日がじわじわと沈んでゆく。まさに、『この世で一番美しい場所』だった。
「ここは、あたしがうん十年前に見つけた場所だったの。ルインと一緒に同じ時間に見に来て、それ以来、色んな人に教えたわ。もちろん……コンバーにも」
メイラは夕日を哀しげに見つめる。彼女を優しく抱き寄せるノレインも、悲痛な面持ちで黙っていた。
「でも、悪いのは僕だ」
ファビは夕日を見据えながら、一歩前に出る。
「あの時落ちなければ、コンバーは死なずに済んだ。僕が、コンバーを殺してしまったんだ。……だからもう、生きる資格なんてないんだ!」
ファビは泣き叫び、崖に向かって飛び出そうとする。だが、その腕をミックが引き止めた。ミックは振り返る彼をぐいっと引き寄せ、その頬目がけておもいっきり平手打ちした。
「……ふざけないで」
ミックは体を震わせ、ファビを真っ直ぐ睨む。その目から、一筋の涙が零れた。
「コンバーさんはあなたに生きてほしいから助けたんでしょう? だったら死んじゃだめってことくらい、なんでわからないの?」
普段は無口な彼女が、なりふり構わず本気で怒っている。ファビは呆然としていたが、ミックの言葉に涙が止まらなくなる。
「あなたは今元気なんだから、コンバーさんの分まで生きなきゃ。勝手に死ぬなんて、絶対に許さないわ」
ミックは掴んだ腕を強く、優しく、握りしめる。大粒の涙を流したままファビは俯き、今までせき止めていた気持ちを全てぶつけるように、むせび泣いた。
「え?」
その時、トルマが疑問の声を上げた。彼は夕日を食い入るように見つめ、何度も目を擦っている。ゼクスが「どうした?」と聞くが、その声は届いていないようだ。
それから一分程経過し、トルマはファビの肩を叩いた。
「ファビ。実は僕、死んだ人の霊が見えるらしいんだけど、そこにコンバーがいるよ」
全員が彼らを注目する。ファビは顔を上げ、すがるようにトルマを見た。
「ど、どこにいるの⁉」
「ちょうど崖の外の位置だよ」
トルマはファビに肩を貸し、宙を指差す。そこに人の姿はなく、夕日と、美しい風景が映っていた。彼はファビの背中を撫でながら、宙に向かって微笑んだ。
「コンバーが君に伝えてほしいって。いいかい……『ファビ、勝手にいなくなって、本当にすまなかった。でもあの時は俺の命に代えても、お前を守りたかったんだ』」
「な、何で、僕なんか……助けてくれなくても、よかったのに」
「『大切な親友を放っておくなんて、俺には出来ないよ』」
ファビは胸を押さえ、宙を見つめる。彼を慰めるように寄り添い、トルマはコンバーの言葉を続けた。
「『いいかファビ、お前は何が何でも生きるんだ。俺は死んだけど、これからもずっとお前の傍にいる。先生もミン達もついてる。お前は一人じゃないんだ。だからもう、泣かないでくれ』」
ふわっ、と、優しい風が吹いた。それはまるで、宙にいるコンバーがファビを抱きしめたようだった。
「コンバー……ありがとう。でも、会いたいよ……!」
ファビは膝をつき、風を逃がさぬよう自分自身を抱きしめる。「『大好きだよ、ファビ』」という言葉を最後に、トルマは沈黙した。
誰も何も言わず、また、彼らから目を離すことも出来ない。夕日が完全に沈むまで、コンバーの温もりは留まり続けた。
――
その後、ファビはコンバーの死をようやく受け入れた。彼との別れ、いや、再会を経て、改めてその存在を認識したのだ。
目に見えなくても、コンバーは今でもファビの傍にいる。たとえ嘘だったとしても、それは事実なのだろう。
懐中電灯を照らしながらの帰り道、生徒達はトルマを質問攻めにした。
コンバーもついて来ているのか、コンバーの他にも誰かいるのか、そもそも何故霊が見えるのか。トルマは『今までは見えなかったんだけどねえ』としきりに首を傾げていたが、『コンバーは間違いなく皆と一緒にいる』と断言した。
言われてみれば確かに、この地に来た時から温かい視線を感じることはあったが、振り返ると誰もいなかった。きっとコンバーが見守ってくれているんだ、と誰もがそう信じるのだった。
そして、翌日の早朝。[家族]は『家』の前に赤と黄色のテントを張り、準備を始める。そう。この地で[オリヂナル]の公演を行うのだ。
「おはよう。僕にも雑用、手伝わせて!」
「ユーリ、来てくれて助かったぞ! 今回はピンスポを頼む!」
「ニティアは演者で出たいって。私は何すればいいかな」
「そうねぇ……あっ、じゃあデラとドリの代わりに、あたしのアシスタントをお願い!」
ユーリットはノレインから照明の操作を教わり、ブラックウィンド夫妻はメイラに連れられテント裏に消える。ノレインの呼びかけにより、周辺の卒業生が集まったようだ。
彼らだけではなく、近隣住民の姿も見える。昨日のうちに、リベラとウェルダが知らせて回ったらしい。
「うーん、私も裏方の手伝いでもしようかな」
「ウェルダさんは演者、やらないんですか?」
オズナーに問われ、ウェルダは慌ただしく動き回る『家族』を眺めながら苦笑する。
「だってこれといった特技なんてないからね。……おっ、ちょうどいいところに!」
その時、道化師姿のラウロが大量の風船を手に登場した。生徒達や、町の子供達は歓声を上げる。
ウェルダとオズナーは、彼を手伝おうと走り出す。隣で話を聞いていたアースも、その後を追った。
風船配りをしている最中、突如、軽やかな音色が聞こえた。テントの入口で、ナタルがヴァイオリンの演奏を始めたのだ。ミックによる電子ピアノの伴奏に合わせて、ソラの楽曲を美しく奏でる。
子供達だけでなくアース達[家族]も聴き入り、我を忘れて手拍子する。昨日は塞ぎこんでいたファビも、弾けるような笑顔で楽しんでいた。
そして野外コンサートはあっという間に終わり、開演時間を迎えようとしていた。
舞台裏には、アース達通常公演のメンバーに加えて、スペシャルゲストの姿も並ぶ。漆黒のローブを着たニティア、純白のドレスを着たソルーノ、そしてスパンコールのついた燕尾服を纏うデラとドリだ。
双子は、新しい[家族]を探す必要のないSB公演限定で、軟体芸を披露しているらしい。彼らの代わりの助手として、お揃いのタキシードを着たリベラとウェルダも到着した。彼女らに少し遅れて、ラウロもその列に加わる。
ノレインは舞台袖の幕をちらりと捲った。最前列には子供達、後部席にはレントやトルマ、ゼクスの姿が見える。座席は満員。入口に立てた脚立の上で、ユーリットが手を振っている。準備は整ったようだ。
ノレインは号令をかけ、舞台裏の全員で円陣を組む。
「皆、今回はコンバーのためにも、最高の舞台にするぞッ!」
威勢良く拳を振り上げ、一斉に声を上げる。ピンキーはスウィートの頭から飛び立ち、シルクハットの上に止まった。ノレインは笑みを湛え、幕を勢い良く捲って舞台へ躍り出た。
拍手と歓声が沸き、舞台中央にスポットライトが当たる。華々しいファンファーレが響き渡り、一日限りの特別公演が開幕した。
Meet again at the blue broad lake
(ブロード湖での再会)
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