9章―3
文字数 2,990文字
「この部屋は音楽室だよ。楽器は自由に使っていいからね」
彼はそのまま真後ろを振り向く。
「これは私の部屋。その隣は書斎で、授業の時にもここを使うんだ。そして更に隣が……」
レントは廊下を引き返し、玄関の前で足を止めた。
「トイレと浴室。左側が男子用、右側が女子用だからね」
「水がもったいないから、『家』にいる間はここを使わせてもらうぞ!」
後方からノレインの高笑いが聞こえる。モレノは(ミックに睨まれたことには気づかずに)アースの肩を抱いた。
「ここの風呂場、すっげー広いんだ。みんなで一緒に入ろうぜ!」
この後、レントは玄関正面の図書室、生徒達の部屋、廊下の先のガーデンを案内した。
廊下の両側に部屋がある構造のため窓はなく、天井の照明のみで薄暗いが、不思議と恐怖は感じない。壁には生徒達の絵や、メイラが撮影した美しい風景写真が掲示されていた。
ガーデンの案内が終わり、廊下を再び引き返す。
アースはこれまでの説明の中で、ある場所が気になっていた。生徒達の部屋のドアは建物と同じ木製だったが、一箇所だけ重厚な金属のドア、いや、鉄板があったのだ。
「あ、あの……」
例の扉の手前で、アースは意を決して口を開く。レントは振り向くと、アースの目線に合わせるように屈んだ。
「どうしたのかな?」
「さっきから気になってたんですけど、この
レントは優しく微笑み、その先にいたノレインとメイラは何故か赤面する。
「ここはね、ルインの部屋だった場所だよ。昔ヒビロが……」
「先生、そ、そこはちょっと黙」
「ヒビロさんが泊まるたびにママがドアを壊しちゃうから、ゼクスさんが怒ってすっごく重い
「二人共何でばらしちゃうのよおおおおおおぉぉぉぉ‼」
ノレインはレントの口を手で塞いだが、双子があっさり口を割る。メイラは両手で、双子の頭をぐりぐりと押さえつけた。アースの右隣ではナタルが呆れたように額を押さえ、左隣ではラウロが顔を引きつらせていた。
「あっ、みんな来てたんだ!」
その時、玄関先から子供達が駆け寄って来た。親子は慌てて喧嘩を止め、レントは彼らを紹介する。
「この子達は今の生徒だよ。皆、新しい[家族]に挨拶してあげて」
「はじめまして、ミンです。これからよろしくね」
黒髪を低い位置で二つに結んでいる少女。ギンガムチェックのワンピースを着ており、アースより少し背が高い。双子と同い年だろうか。
「あたしはリタだよ!」
「サファノと」
「ルビナでーす!」
焦げ茶色のショートカットの少女、リタはパーカーにジーンズという、一見少年のような服装だ。紫に近い青髪の少年サファノと、橙に近い赤髪の少女ルビナは顔立ちが似ており、兄妹だと思われる。
リタの背丈はアースより少し低く、サファノとルビナは更に低い。きっとこの三人はやんちゃ盛りなのだろう。
「あと一人、ファビっていう男の子がいるんだけど……彼はコンバーの事故以来、ほとんど部屋に籠りっきりなんだ」
レントは哀しげに目を伏せ、子供達も元気がなくなる。そういえばユーリットも、彼の様子を案じていた。
「その事故のこと、詳しく教えてほしい」
ノレインに頼まれ、レントは説明しようとする。だがちょうどその時、左の部屋のドアが開いた。
「僕の、せいなんだ」
背の高い、白髪の少年が廊下に現れた。目は泣き腫らしたように赤く、顔はやつれている。レントは悲痛な表情で首を横に振った。
「ファビ、君のせいじゃない。あの事故は……」
「ほんとうは僕が死ぬはずだったんだ!」
少年、ファビはレントの言葉を遮るように叫ぶ。レントは黙ったままファビを抱き寄せ、しっかりとした声で呟いた。
「これから皆で、コンバーの眠る場所に行こう」
全員で『家』を出た後、アース達はブロード湖の右手に見える森を進んでいた。うっそうと生い茂る針葉樹林が陽光を遮り、辺りは薄暗い。一見入り組んだ迷路に見えるが、「そんなに難しい道ではないよ」とレントは説明した。
この森は授業の場としても、生徒の遊び場としても使われているらしい。暗い森なのに不気味な雰囲気が全くないのは、うん十年に渡って『家族』に愛された証なのだろう。
「この辺にね、男子限定の秘密基地があるんだよ」
双子は、歩みを止めずにアースの耳元で囁いた。本当は騒ぎたいのだろうが、前を行くファビは相変わらず落ちこんでいる。アースも声を潜め、双子に聞き返した。
「なんで男子限定なの?」
「まぁ、そのアイデアを出したのがヒビロさんだから……」
二人は苦笑し、言葉を濁す。アースは妖しくにやける『変態』の顔を思い出し、納得した。
そのまま五分程進むと出口が見え、森を抜けた。枯れかけた草地に覆われたなだらかな丘が広がり、その奥には険しい山々。
「天気の良い日は、この丘までピクニックに来ることが多いんだ。でも奥の山には滅多に登らない。登山道はあるけど急な崖も多いから、子供達だけで登るのは危険なんだ」
レントは山からその麓に、視線を移す。丘の向こうに、小さな石碑が見えた。
「レント先生、まさか、『事故』って……」
メイラは崖を見上げたまま震え出す。ノレインも何かを思い出したのか、顔面蒼白になる。レントは重々しく頷き、何も言わずに歩き出した。
崖の麓に到着する。白い墓標がひっそりと佇み、墓石には『コンバー・カインドウィル、ここに眠る』と記されていた。全員でその前に並び、黙祷を捧げる。風の音が一段と強くなった。
「あの日も、風が強かった」
ファビは、独り言を呟くように語り始めた。
「コンバーが久し振りに帰って来て、みんなでここに遊びに来た日だった。夕方になって帰ろうとした時、コンバーは『この世で一番美しい場所』が山にあるんだ、って話してくれた。ミン達はもう帰ったし、暗くなってきたけど、どうしても気になって登ることにしたんだ。でも、着く直前で僕は……足を滑らせて、落ちてしまった」
アースは顔から血の気が引くのを感じたが、同時に疑問を持つ。何故転落したはずの彼が無傷で、転落しなかったはずのコンバーが亡くなったのか。
「それでも、僕の意識はうっすらとあった。体が折れて、血が止まらないのも分かって、このまま死ぬんだなって思った。でも意識が遠くなる前に、コンバーが見えたんだ。来ちゃだめだ、って言おうとしたら、もう、コンバーが……」
ファビはその場に膝をつき、泣き崩れる。生徒達も彼につられ、涙を流す。「どういうことだ?」というラウロの呟きが聞こえたのか、レントはファビの肩を抱き、酷く哀しい声で補足した。
「コンバーの[潜在能力]は[状態交換]。『自分と相手の体の状態を交換出来る』力を持っていたんだ。彼は幼い頃から、皆の怪我や風邪を引き受けてしまう優しい子だった。だから、命をかけてファビを助けたかったんだろうね」
レントはファビを抱き起し、振り返る。太陽は森の方向に傾き、間もなく夕方になるようだ。
それを見たノレインはハッと息を飲み、ファビに詰め寄った。
「ファビ、もう一度あの景色を見に行こう。コンバーが見せたかったのは、きっとあの瞬間なんだッ!」
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